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Gift 06 〜 長く苦しいロールの合間に花火のようなしあわせを見る

たとえば、それほど遠くない将来に「何としても手に入れたい!」と思える報酬を作っておきます。お金やモノや体験でも、学歴や資格でも、地位や評価でもいいでしょう。そのうえで「この魅力あるものを得るために動くんだ!」と捉えておけば、多少の苦労は受け入れられます。

あるいは「これだけは起こってほしくない!」と感じる未来の不安な出来事を想像しておきます。こちらは、仕事がなくなることや評価が下がること、健康を損なうこと、大切な人との離別などが挙がるでしょう。報酬の場合と同じように「そのような悲惨なめに遭わないために動くんだ!」と信じられれば、ロールに苦痛が伴っても納得できます。

私たちは、ここで発想を大きく転換しました。まずは、愛を使わずに動く辛さや葛藤を解消するのはきっぱりとあきらめます。その代わりに、現在に行うすべてのロールを、未来の目的を達成するための「手段」とみなすことにしたのです。

こうしておけば「なぜこんなに苦しいことをやらなければならないのか?」の疑問が湧いても、

「ほしいものや安心を得るためだよ!」

と自分に言い聞かせられます。

さらに、手段と目的にそれぞれ重みをつけて、

「行動が大変であればあるほど、手にする報酬や安心も大きい!」

と解釈を広げることもできます。

ときおり職場で交わされる次のような会話がわりとすんなり通ってしまうのも、この捉え方が浸透しているからではないでしょうか。

「仕事がとてもキツいんです。どうすれば楽しくなるでしょうか?」
「お金を得るための仕事が辛いのはあたりまえじゃないか! そこに楽しさを求めるほうがおかしいんだよ!」
「なるほど……」

たしかに、これが本当なら、前話で書いた愛を使わない版の「来客に一杯の飲み物を出すロール」にも救いを見い出せます。ムカつく相手をもてなすのは、ほかでもない報酬か安心を得るため、すなわちパートナーから怒られないためや、両親に見下されないため、もしくはその人たちに評価されるためと考えればいいのです。

私の人生を振り返っても、ずいぶんと長いあいだ、この第二の対策を採用してきたように思います。部活の練習も、受験勉強も、まったく売れない音楽家としての活動も、編集者になってからの過酷な仕事も、すべて「いまが大変なのは仕方ない。すべては明るい未来のためなんだ!」の発想で乗り切ってきました。

ところが、自分が望むような評価や収入を得て、生活も安定した40代の初めに限界を迎えます。最初に身体が悲鳴を上げ始めました。病院に行っても原因を特定できない不調を何度も繰り返します。次第に心の動きも鈍くなり、沈んだ気持ちで過ごす日が増えていきました。嬉しいとか悲しいとかの感覚が薄れ、何を体験しても心から感動できません。

目的を達成すればすべての労苦は報われるはずなのに、なぜか肝心のしあわせだけが手に入らないのです。

いったい、このやり方の何が問題なのでしょうか。

愛を使ってロールを手がけるとき、私たちは「いまここ」で現実のしあわせを体験しています。Gift 03の「来客に一杯の飲み物を出すロール」でいえば、いいグラスを選べたその瞬間、お湯の温度や茶葉を蒸らす時間をうまく調整できたその瞬間、仕上げのコースターがバチッとはまったその瞬間に「よし!」と手応えを感じられます。

この、小さいけれども確実に心が満たされる「いま」が連なるとき、私たちは「ああ、しあわせだなぁ」と感じるのではないでしょうか。Gift 02で「あらゆることをいい感じで手がけられていれば、人生もしあわせであるはず!」と書いた理由もここにあります。

私たちがそこにいられて、実際に動ける時間は現在しかありません。だとしたら、しあわせに向かう入り口も、まさにロールを手がけている「いまここ」に開いていなければつじつまが合わないのです。

あらゆる行動を、未来の目的を実現させるための「手段」とみなしたことで、この「しあわせの扉」は閉じてしまいました。

私たちにとって手段とは、できれば早く終わらせたい作業や手続きでしかないからです。そのような退屈なものに興味をもてるはずがありません。ましてや、そこをじっくりと味わって、しあわせを見い出そうとする人はまずいないでしょう。

もちろん、冒頭に書いたお金や物品、学歴や資格、地位や評価を手にした瞬間は「ここまでがんばってよかった!」と思えます。けれども、そこで満足していては、すぐにやってくる次のロールの辛さに負けてしまいます。喜びもつかの間、ようやく手にしたしあわせをゆっくり味わう暇もなく、また新たな報酬や安心の材料を作り出さなければなりません。

これで、40代の初めに私が限界を迎えた理由も判明しました。つまり私は、

「長く苦しいロールの合間に、ほんの一瞬だけ花火のようなしあわせを見る」

という第二の対策の本質と、それがどれだけ自分に厳しいかをまるで理解していなかったのです。

Gift 02で書いたとおり、たとえどのように解釈しても、私たちの日常がロールで埋め尽くされている事実はくつがえりません。本来はしあわせに直結する貴重な機会である行動を、つまらない手段に格下げしたとたんに、

「人生の大半が苦行に変わった」

ということです。

もうひとつ、行動の辛さや葛藤を未来の報酬で帳消しにするやり方には、けっして見過ごせない問題があります。それが何かは、次の問いについて考えてみればわかります。

「そのほしいものは、誰がどのように決めているのか?」

すでに見てきたとおり、私たちは微かな怒りによって愛を封印しています。それは「想いや心は使わない!」と宣言したことを意味します。

ここで大きな疑問が浮かび上がってきます。

もし、心を動かさないとしたら、ロールに伴う痛みをチャラにしてくれるほど「ほしいもの」は、いったいどこから生まれるのでしょうか?

(次章に続く……)

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