厄介な病気 〜結城昌治への返歌〜

 結城昌治のショートショートに「厄介な病気」という掌編がある。これを読みながら私は、この短い話のオチを予想しながら読んだ。

 が、予想は見事に外れ、結末は明後日の方向へ行ってしまった。「なるほど、そう落としたか。だが私が考えたオチも、それほどスクラップじゃないぞ」そういう想いで書き出した、これは一雑文書きの文学実験である。

 筋を追いながら読み、自分なりのオチや決着を見つける創作法、というのも、作り手なら「ある」ことだと思う。

 半年前から急に蕁麻疹がおこりだした。まず足のあたりからむず痒くなり、掻いているうちに赤い斑が全身へと広がっていく。

 最近では夜も満足に眠ることができていなかった。

 彼は何度も医者に診て貰った。

「ううむ、分かりませんなぁ…」

 医者は匙を投げるように首をかしげた。蕁麻疹の原因が特定できないのである。内臓に疾患もないし、寄生虫もいないようだし、食中毒でもない。

「あと考えられるのは神経性の蕁麻疹ですな。アレルギーの一種でしょう。のんびりしていれば治るかもしれません」

 医者は頼りない診断をくだし、その度に注射を打った。

 神経性蕁麻疹というのは、疲労や精神的緊張によって引き起こされる。

 しかし会社における彼は、仕事の性質上、常に緊張しているのは確かだが、好きな仕事であるため、その緊張も苦痛ではなかった。

 ではなぜ蕁麻疹が出るのか? その原因さえ掴めれば、もっと適切な治療法がわかるはずだ。

「よう、岡田」

 仕事を終え、病院に寄った帰りの岡田は、大学からの友人である岩崎と、街角で出くわした。

「なんだ暗い顔して、いま会社帰りか?」

「病院帰りだよ。ここ最近、急に蕁麻疹が出て参ってるんだ」

 岡田は大学卒業後、中小企業の営業職になり、岩崎はフリーで建築関係の事務所を開いた。この前も友人のよしみで、一階の和室の畳を取り、壁も洋風に変え、玄関も含めフローリングで統一するリフォームを格安で手がけた仲だった。

「岡田、空手部でいつも気合いの入ってたオマエが蕁麻疹か。今でもアレか? 綺麗な奥さんがせっかく玄関にスリッパを並べても絶対に履かず、冬だろうが家では年中素足でいるの、今でも変わってないのか?」

「勿論だ。身体も意識して鍛えているのだが、蕁麻疹が起こる原因が特定できんのだ。医者は神経性らしい、とは言うがな」

「原因は簡単だと思う」

 一通り悩みを聞いた岩崎が言った。

「簡単だって?」

 岡田は目をむいて思わず聞き返した。

「オマエの話を聞いて、俺は自分のことを思い出したんだ。ちょうど去年の今頃、俺も同じ病気で悩んでいたんだ。そっくり同じ症状だし、アレルギーの一種に間違いない」

「その原因というのは?」

「まぁ待てよ。俺の経験を話す前に、オマエの病状をもう少し詳しく聞こう。蕁麻疹は毎日起こるのか?」

「毎日だ」

「時間は?」

「ほとんど夕方以降だ。仕事が終わって家に帰り、本来緊張から解き放たれてリラックスするべき我が家で痒くなりはじめるのだ。廊下を歩いて食卓に座る頃には、もうたまらない。我慢していると痒くて気が狂いそうになるんだ。そうなれば医者から貰った軟膏をすり込む以外にない。お陰で女房もノイローゼ気味で睡眠不足さ」

「朝も痒いのか?」

「痒い。ところが会社に向かうと痒みは治まるのだ。その点が実に不思議だ。会社では全然痒くないのだ」

「失礼なことを聞くが、オマエは内づらが悪いだろう」

「よく分かったな。家ではよく仏頂面しているらしく、女房にのべつそう言われる」

「実は俺も同じだったからさ。オマエは結婚して何年になる?」

「四年かな?」

「奥さんを愛しているかい?」

「おいおい、おかしな事を聞くなよ。いつまでも新婚さんじゃないんだ。恋愛と結婚生活は違う。オマエだって分かるだろう?」

「いや、真面目に答えてくれなければ駄目だ。俺の場合は結婚後、六年くらいたってから病状が出だした。家に帰ると身体中が痒くてたまらなかった。自覚症状はなかったが、いつの間にか家に帰るのが嫌になっていたんだな。もっとはっきりと言えば、女房の顔を見るのが嫌になっていたんだ。その証拠に仕事場では蕁麻疹が起こらないし、地方の仕事へ出向いた時など快適そのものだった」

「それで?」

「離婚したよ。そのことはオマエも知っているじゃないか。離婚したら二度と蕁麻疹は起こらなくなった。要するに原因は女房アレルギーだったわけさ。何の罪もない女房には気の毒なことをした、とは思っているが、健康上、やむを得んだろう」

「ううむ」

 岡田は唸るように喉を鳴らした。岩崎の言うことは、いちいち岡田に当てはまるようだった。

「だいたいだな、内づらが悪くて外づらがいい、というのは多かれ少なかれ女房アレルギーにかかっているとみて間違いない」

「しかしそんな曖昧な理由で、よく奥さんが離婚を承諾したな」

「不承知でも仕方がない。女房だって、いつも亭主の仏頂面を眺めるのは辛いはずだ。女房はまず俺の浮気を疑ったらしく、それで多少ごたつきもしたが、結局は承知してくれたよ。子供を作らなかったことも幸いした」

「俺も子供はいないが…」

 確かに女房アレルギーによる蕁麻疹かもしれない、と岡田は思いはじめていた。会社では何事もなく、家に帰った途端、痒みは限界に達するのだ。そしてたまに出張で地方に行くと、三日でも四日でも忘れたように蕁麻疹はどこかへ行ってしまうのだ。

 岡田が離婚したのは、それから半年ほど後だった。

 もちろん妻は岡田の言い分を認めようとはしなかった。岩崎と同じように、別の女の影を疑われ、向こうの親戚の者が間に入り、さんざんに揉めた。

 しかし何より物を言ったのは、身体中に歴然と現れている蕁麻疹であった。家のリビングで岡田は妻と親戚に向かって苦痛を説いた。

 岡田は妻と親戚に対して、誠心誠意謝った。そしてせっかく二人のために建てたマイホーム、最近岩崎の手によって内装も洋風に生まれ変わった家を、そっくり妻に渡し、自分はワンルームマンションで新しい生活を始めた。

 岡田は健康を回復した。蕁麻疹はそれっきり起こらず、快適な毎日だった。彼は心から岩崎の忠告に感謝した。

 それから時は流れ、岡田は蕁麻疹のことも、別れた妻のことも、綺麗さっぱり忘れてしまった。

「あなたも罪なひとね」

 全裸で布団の中から岩崎を見つめているのは、離婚した岡田の妻であった。

「俺一人の責任かい? 岡田からリフォームを頼まれ、岡田が仕事をしている間の数週間、俺は一人で工事のために何度もここへ通った。来る度に君は露出度の高い部屋着になっていった。そしてキスをしても全く拒まなかった」

 岩崎は岡田の妻の乳首をつまみながら話す。

「あら、それじゃあまるで私が誘惑したことが原因みたいじゃない。今回の騒動は全部私のせいってわけ?」

 岡田の妻の顔は上気し、うっとりとした目で岩崎を見る。

「一目見た瞬間、お互いに惚れたのは間違いないだろう? そこは認めるよな」

「それでも女房アレルギーって本当にあるのね」

「あるわけないだろう。あれは全部嘘さ」

「だってあなたも女房アレルギーで奥さんと別れたって…」

「前の結婚は俺の浮気癖で別れたのさ。こういう感じの」

 岩崎は布団の中に手を入れ、岡田の妻の大切な茂みに、なんの遠慮もなく指を這わせた。

「じゃあなんであの人はあんなに蕁麻疹で苦しんだのかしら…」

「大学時代、みんなで旅行に行った時、ホテルのバイキングモーニングで食後にみんなでフルーツを食べた。岡田はマンゴーを食べた途端、蕁麻疹が出たんだ。俺は『ははぁん、こいつアレルギー持ちだな』と思っていたんだ。果物であるマンゴーはうるし科で、ウルシオールのアレルギーを持つ者は反応する」

「それでどうやって夕方から蕁麻疹が出るように仕向けたの?」

「リフォームの際、フローリングにうるし成分を混ぜだニスを塗り込んだのさ。アイツとは昔からの付き合いだ。寒くても裸足で家を歩く空手馬鹿であることは知っていた」

「それで家に帰った途端、蕁麻疹が出たのね。全然気付かなか…」

 岡田の妻は全て言い終わる前に、岩崎の熱い舌で言葉を遮られてしまった。

〜終劇〜


※追記 ちなみに本家、結城昌治版はどうなったか。最近では古本屋でもサッパリ見かけなくなったので筋を紹介しておこう。

 ※マーク、離婚成立までは、独自の伏線を除いてほぼ同じである。そこから後、結城版は「女房アレルギーは実際にある」ものとして話は進む。

 男は蕁麻疹から解放され、数年後恋に落ち、再婚する。

 ここからがオチだ。

「最近あなたが仕事に行っている間はなにもないんですが、貴方が帰ってくると身体がなんだか痒くて…」

 という妻の一言で終わるのだ。今度は逆に言われる方の立場になる、ちょっとブラックユーモアー、因果応報、輪廻転生テイストに仕上げている。

 女房アレルギーを『あるもの』として作話するか『人為的なもの』として扱うかが、作り手の嗜好になるのだろう。


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