タイムリミット

 物凄い衝撃音、目の前が真っ暗になった。続いてざわめきとともに人に囲まれている気配。

 目を開けたら沢山の顔が覗き込んでいた。俺は慌てて身を起こすと、通勤カバンを抱きかかえ、人々の足の間を逃げるようにして走り去った。

 後ろを振り返ると群衆はまだそこに固まっていた。一瞬見ただけだが30人くらい居ただろうか。通勤前に恥ずかしい。交差点で転倒し気絶しかけたのだろうか? まぁ遅刻しないでよかった。醜態を誰かにSNS投稿されたら嫌だな。顔から火が出そうだった。

 ビルの角を曲がり早足に切り替える。動悸を落ち着かせようと大きく息をした。

「ん?」

 目に飛び込んできたのは異様な光景。街を歩く人々の頭の上に電光掲示板が浮かんでいる。何の支えもなしに。

「何だこりゃ?」

 立ち止まる私に関わりたくないのか、皆無視して私を避けて歩いていく。冷たい大都会。

 どの人間にも頭の上の電光掲示板はストップウォッチみたいに時を刻んでいた。

「見えてるの俺だけ?」

 大半の人は白色の数字であったが、中には違う色の人も居た。数メートル先からこちらに向かって歩いてくる人は青色の数字だった。それも五秒前。

 俺は気になってカウントダウンを観察した。3、2、1。

 その時強い風が吹いた。その青色のカウントダウンの男の前を歩いていたミニスカの女性のスカートが0になったとき捲れ上がった。パンツは見えてしまっただろう。カウントダウンの男は『ラッキー』という顔をしていた。

 続いて向こうから歩いてくるサラリーマンの頭の上にはオレンジ色の数字、これも5秒前であった。もう目が離せない。3、2、1。

「どこ見て歩いとるんじゃぁ!」

 ビルから出てきたヤクザ風の男と0の時に男はぶつかった。サラリーマンはペコペコと頭を下げて謝っていた。

 道路に目を移した。そこにも異様な光景が広がっていた。走る車の上を電光掲示板が浮いた状態で走っているのだ。

 多くの車が白色の文字であったが、一台だけ真っ赤な数字を刻む車が走っていた。運転席を覗き込むと、スマホを見ながらにやけて運転している。前を全く見ていない。

「オレンジであれだろ? 赤? お、おい、ちょっと待て」

 俺の声が走る車に届くわけがなかった。3、2、1。

 車はガードレールにぶつかって前面がぺしゃんこになってしまった。顔を歪めながら運転席から出てくる運転手。どこか身体を打ち付けたようで、肩をさすりながらスクラップになったマイカーを眺めている。まだローンあるのに、といった表情だ。

「これってもしかして」

 どうやら俺は、転倒した衝撃で超能力を開花させてしまったらしい。人間の脳は普段数%しか動いていない、という話をどこかで聞いたことがある。

「それも数字の色でイベントの内容が区別されているようだ」

 青色はその人にとって有益なこと、暖色系に向かうにつれ、危険なことが起こるようだ。

 そんなことを考えるうちに、前から綺麗な女性が真っ赤な数字を刻みながら歩いてきた。残り20秒。俺は焦った。こんな変な能力を説明して変人扱いされても困るし、手を引かれて『痴漢です』みたいなことになっても困る。最悪、会社をクビになる可能性だってある。

 俺はすれ違いざま、その女性の後ろ髪を軽く撫で、素早く電柱の影に隠れた。通行人は割と多くいたので女性は特定できていないだろう。先ほどまで響いていたヒールの音が鳴り止んでいるので立ち止まっているはずだ。

 数秒後、再び印象的なヒールの音がした。電柱からそっと様子を伺うと、女性の数字は白色になっていた(すれ違うと後ろに表示が切り替わるのだ)。

 その直後、女性の数メートル先で衝撃音。道路に鉢植えが砕け散っていた。皆が見上げると、アパートのベランダからオバハンが狼狽えて涙目になっている。ベランダでガーデニングをしていたオバはんの手元が狂ったのだろう。

 あんなものが頭に直撃していたら大怪我していたはずだ。

「あっ、だから赤色だったのか」

 だいぶ先に行ってしまった女性の数字は白に戻っている。俺が歴史を変えたのだ。

「これは物凄い能力を手に入れてしまったかもしれない」

 俺は『この能力金になる』と踏んだ。サラリーマンも今日で辞められるかもしれない。憎っくき上司のハゲ頭に、辞表を叩きつけてやろう。

 頭の中で会社を辞めた後、起業するイメージを膨らませた。

 道を歩く裕福そうな中年の男に声をかける。

「あなたは何かやりたいことがありますか?」

「いきなりなんやねん」

「私はその人のタイムリミットを霊感で言い当てることができます」

「ほんまか? ワシは会社の社長でいつか自伝を書くのが夢なんやけど」

「ええと、どれどれ。貴方はあと4年ありますから、それまでには書き上げることができるでしょう」

「な、何? ワシの寿命はあとたったの4年しかないんか?」

「そうです。では鑑定料を頂きます。一万円になります」

「ワレ阿保け?」

 いかん、これじゃペテン師みたいに思われる。やり方を慎重に考えねば商売にならんなぁ。

 やはり会社は続けた方が良さそうであった。そして能力は隠して有益に使っていこう。

 もう一度通りに目をやる。大半の人が白色の数字を忙しく回転させている。それがその人の寿命なのだろう。遠くに赤色の数字で通勤を急ぐサラリーマンがいた。癌に侵されているのを知らずに出勤しているのかもしれない。

 今ではこんなしがないサラリーマンだが、俺にも夢があった。作家になって印税生活をすることだ。頭の中のこの傑作を形にさえすれば、そう思いながらズルズルとサラリーマンを続けている。

「さっきの社長じゃないけど、俺に傑作を書ききる時間はあるのか?」

 ボンヤリとそんなことを考えながら歩道を歩く。左手のビルは全面ピカピカのガラス張りであった。まるで鏡のようである。俺は視線を足元からゆっくりと上げていく。

 ビルのガラスに映った俺の頭の電光掲示板は、これまでに見たことのない、どす黒いかさぶたのような血の色をしていた。

 そして血の色の数字は全てが『0』を刻んで止まっていた。

 立ち尽くす俺の後ろで、けたたましいサイレンを鳴らしながら救急車が走り抜けていった。

 どうやらさっき俺が群衆から逃げ出してきた交差点へ向かっているようであった。


〜完〜

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