家族のカタチ

こんにちは。こちらではお久しぶりですね。くれはです。
今回は家族をテーマに話を展開していこうかなと思います。
話の中身は一部改訂してお送りしています。
またもや長文です。

去年の祖父の他界をきっかけに、私にとって、私の家族にとって、この時期は家族について自然と振り返るような月となりました。そしてそれは、家族のサイクルをより乱すものとなりました。

私は大学時代にソーシャルワークを勉強していて、家族システムアプローチについて学んだことがあります。上手く循環していた家族の輪が、何かをきっかけに崩れ、家族として上手く機能しない、いがみ合ったり喧嘩したり不満が溜まったり生活に支障が出てしまったり、そんな家族になってしまったとこにこのアプローチ法を用いて、循環させて行けるようにする、ざっくり言うとそんなアプローチ法です。ちゃんと説明できなくてごめんなさい…!
でも、沢山ある関係性の中で、家族システムに焦点を当てたアプローチ法と思っていただければおけです笑

その家族の輪が崩れるのを身をもって体験したのです。祖父が居なくなっただけでこんなに家族それぞれが不満を爆発させるものだったのかと、いなくなってから気づきました。
いたらいたでパシられたりもしたけれど、それでもちょっと可愛らしいようなキャラクターや、ちゃんと話を聞ける柔軟性のある人だったので、とても好かれる人ではありました。

かたや祖母はめんどくさい性格で、祖父が居なくなったことで話し相手も足もなくなり、祖母の面倒を家族全体で見なくてはいけなくなり、よく問題がおこるのです。面倒を見るといっても、動けない訳では無いし、むしろお話は大好きだし、構ってもらうの好きだし、お出かけも沢山したい、そんな祖母です。

問題は、そのことについて叶えられる家族がいないことでした。もちろん、私もその一員…。いや、みんなそれぞれ頑張ってはいるのです。話し相手になってくれる人もいるし、足となり送迎してる人もいるし、必要な時に助けることが出来る家族がいます。

ただ、祖母にとって今の家族のカタチは、あくまで現実の家族として至らないとこを悔やみ、理想の家族像がもっと高みにあるのです。
こんなのは家族じゃない、家族はもっと愛のあるもの、挨拶だってするもの、1人で頑張ってるんだから声くらいかけてくれたっていいじゃない……と。

周りの家族が快い気持ちで接することが出来ない理由があります。祖母は意見をコロコロかえ、周りが予定通りに動こうとしても違う動きを勝手にしてしまったり、そばにいる人を言葉巧みによいしょして持ち上げる、うちに秘める本心は別にありとても計算高い……それがみんなには見透かされていて、忌み嫌われるのです。

そして周りの人は離れ、自業自得だ、と言ってしまうのです。

家族とは何なのでしょうか。家族の数だけカタチはある。そして、今の家族と、私がまだ生きてない時代の私の家族は違う。条件も違えば、場所だって違うかもしれない。人も違うし、世の中の風潮も違う。それだけのカタチがあり、友人の家族の話を聞けば羨ましいことばかり。自分の家族は?悪いとこばかり目がいってしまうもの。

そう思っても正直いいでしょう。隣の芝生は青いもんです。だけど、それを口に出し高い理想として家族に求めてしまうのはエゴなのではないかと、私は思うのです。
そして、自業自得だ、という言葉には違和感を覚えるのです。
本来なら穴の空いたとこを埋めるように柔軟に対応していけば済むであろう問題。だけど、それを全てのことひっくるめて少し威圧的に一方的に言っているような気もするのです。

私は双方の話の間にいるので、どっちの言い分もわかることが出来る。だからこそ、家族ってなんだろうという疑問を強く抱くのでした。

1番近くにいる他人ではありながら、自分たちのことを昔から知っている人。そして、いざとなったら責任をおうことが決められている運命の間柄…。
家族には愛があるかもしれないが、それは最初から線で繋がっているわけではなく、人という点と点でなんとか関係性を取り持っているような、そんなイメージです。そしてその点が機能しなければ、繋がる線もうまれず、愛がわからなくなるのです。

最初に家族システムの話をしましたが 、ご自分の家族を思い浮かべてください。今良い循環になっているでしょうか。
誰かが抜けたら崩れたり、逆に安定したり、そんな存在が皮肉にも家族にあるのです。

今ある環境をこれ以上崩れないよう、協力しあっていかなくてはいけません。だけどそれは正直いって、全ての家族には効かない。どうしてもこの家族とやっていけないとかがあれば、家を出るという選択もあるのです。それは一見逃げることに見えるけど、もしかしたら、家族にとって良い選択になった…なんてこともあるかもしれないんですよね。

いずれにしても、色んな人の言い分を聞いて、状況を正しく見ることが出来ないと崩れていく一方なんだろうなと、家族を見て思うのでした。
だから僕は、愚痴吐き場として、そして繋ぎ役として、機能しようと思います。

これが、僕の生まれた時に祖父から託されたものなような気がするのです。
僕が生まれたきっかけは祖父のある一言だったけど、だからこそ、遅く生まれてきた私には何か意味があるような気がしてしまうのです。
とは言っても綺麗事にしか過ぎず、結局はイライラしてしまうことが多い家族ですが。

みなさんも家族のことでイライラしたり、理不尽に怒られたり、不必要な存在として扱われたり、愛のある育てかたを受け育ったきた人もいて、色んな人と家族のカタチがあると思います。どれが正解とか、どれが不正解とかないです。どーゆう家族にするかという選択することも出来るものです。
今悪い流れになっている人がいたら状況を1度整理してみてください。自分の家族のこと、そして、これから始まる家族のことなど。

さて、これからまた状況が大きく変わることが起きてしまうと誰かが鬱になったりしそうな…悪い空気が今から漂っています…。

くれは

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