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【没記事】ポストコロナ時代に起きること #1

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が始まって一年が経ちました。
現時点でも感染が拡大しつつあり予断を許さない状況です。
しかし効果的なワクチンも開発され、「コロナ後の世界」も考えてみなければいけない時期になりつつあります。

この記事ではポストコロナ時代に起きうる可能性をいくつか考えてみます。
まとめ記事の体裁を取りますが、基本的に私の考えのまとめです。

注意
この記事は2021年4月に書かれた没記事です。
完成させる気力がなくなったのでここに公開します。

長期間のワクチン接種

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COVID-19のワクチン開発は、2020年12月上旬のイギリスに始まり世界各国で接種が始まっています。
このままワクチン接種が拡大し完全に終息する、と多くの人が想像しているのではないでしょうか。

実際国民の過半数が既に二回のワクチン接種を終えているイスラエルではピーク時の3%[1]にまで感染者数が抑え込めています。
十分期待が持てます。
しかしこれは「ワクチンを打たなくても良い」ということにはなりません。

例えば日本国内で狂犬病が発生したのは1956年[2]ですが年1回の予防接種は飼い主の義務です。
これは狂犬病が致死率が高く日本に存在した「人獣共通感染症」だからです。
新型コロナウイルスも人獣共通感染症で、動物からに限らず海外からの侵入も完全には防げません。

COVID-19は必ずしも「感染が即死に繋がる恐ろしい病気」ではありません。
しかし多くの国が教訓としてワクチン接種を続けるでしょう。
今後の世代にとってCOVID-19は「動画で見た」「学校で習った」の他に「よく分からないワクチンを打った」ウイルスとして記憶されるかもしれません。
またワクチンの開発や効果などの研究は今後も続き、製薬会社には大きなビジネスであり続けるでしょう。
一方感染者数の減少から予防効果の数字などは現在のものが長く使われるかもしれません。

[1] https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/israel/
[2] https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/

記憶の断絶

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「教科書に載るようなイベントを経験している」。
これは今回のパンデミックで多くの人が感じていることでしょう。
COVID-19を経験した世代はその記憶とともに生きることになります。
COVID-19を経験していない世代にとって、それは「何度も聞いた話」という二次的なものです。

我々はこの一年で多くのことを学びました。
マスクや手洗いの重要さ、迂闊な行動が誰かの命に関わるという事実。
不織布マスクとナイロンマスクの効果のような以前は科学者すら知らなかったことすら知っています。

良い点は、これらは現在における最新の知見である点です。
悪い点は、いくつかは今後否定されるが、人々の知識はそうでないという点です。
血液型性格分類は1927年の論文「血液型による気質の研究」に始まり1933年には日本法医学会総会で否定されたそうですが[1]、未だに多くの人が信じています。

[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E

記憶の断絶 - ポストコロナ世代の印象

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一方でポストコロナ世代もパンデミックの影響は皆無ではありません。
世界全体で既に300万人近い死者は直接的な影響を与えます。
日本では2020年における超過死亡はほぼありませんが、我々の経験は何度も語られるでしょう。
我々は語ります。

経験するのと話を聞くのは違います。
「石鹸を使って手を洗う」というのは我々自身小さいころから聞きながら、2019年まではあまりに愚かで不徹底でした。
COVID-19がなくとも毎年一万人程度を殺すインフルエンザへの対策としても有効だと我々は知りましたが、ポストコロナ世代は同じことを繰り返すでしょう。

語られることにも癖があります。
我々はパンデミックでの有り触れた日常より、特徴的な出来事を語りがちです。
人々の死や悲しみは、数字といくつかの具体的なストーリーに還元されてしまいます。
後に要約されるとき語られるのはこんなところでしょう。

・中国の海鮮市場から拡大したとされるが、現在もはっきりしない。
・全世界で300万人もの死者となった。日本では1万人。
・GDPでは3000兆円(現在の~兆円)もの損失が発生した。
・最多の死者を出したアメリカではトランプ政権が交代した。
・日本では緊急事態宣言やマスクの配布が行われた。
・感染対策によりインフルエンザによる死者も減った。
・デンマークでは1700万匹ものミンクが殺処分された。
・世界的にマスクやワクチンの確保競争が起きた。
・終息後など、世界的に法的な法整備が行われた(~条約)。

こうして「大変な死者を出した恐ろしい事態が起きた」「外出するのも恐ろしいはず」「人間は仕方ないけどミンクさんかわいそう」のような感想を抱くでしょう。
我々がCOVID-19で経験した「日常/経済と感染拡大の兼ね合い」「恐怖の欠如したパンデミック」といったものは塗り潰され、漠然とした悲劇のイメージで上書きされます。
そしていくつかの分かりやすいエピソードが、我々にとっての「トイレットペーパー騒動」のように語られることになります。

数年もすればコロナウイルスの映画も造られるでしょう。
想像するにこんなところでしょうか。
主人公は実家住まいのアメリカ/イギリスの女子高校生/大学生あたりで。

・主人公の小さい頃の思い出シーン。
・中国の雑多な海鮮市場、あるいは蝙蝠に噛まれるアジア人。
・最初のケースの隠蔽。その頃は平和で日常的なニュースが流れている。
・テレビで「アジアでの感染拡大」ニュースを見ながら日常生活を送る一家。
・国内での感染開始のニュース。そして急速な感染拡大。
・人が少なくなり誰もがマスクをするようになった町。
・マスクをして町で買い物。そこでコロナに関する日常会話。
・ロックダウンで人がいなくなったヨーロッパの観光地。
・トランプ大統領の気楽な発言ピックアップ。
・毎日パーティーに出かける馬鹿な若者/反マスクデモ(BLMは省略される)。
・友人の親族が亡くなり慰める主人公。身近な恐怖を感じる。
・ちょっとした恋愛。それなりの日常。オンライン授業に手間取る。
・友人に誘われるなどで嫌々参加したパーティー/デモ。
・親との喧嘩。酷いことを言ってしまう。
・咳や熱などの初期症状。検査後コロナと発覚。
・隔離、入院、回復。退院後両親の死を知る。あるいは一人きりの家(若者の重症化はリアリティがないので)で寝込んでいて、電話か郵便(「両親が帰ってきた!?」→死亡告知)。
・悲しみに暮れる主人公。
・周りは日常を過ごし、パーティーをしたり馬鹿なことを言う。主人公は感覚の違いに隔絶を感じる。
・ワクチンが広がり、終息。世界に日常が戻る。
・その中でも立ち直れない主人公。笑顔の家族写真。家は引き払う。

これもまた我々の典型的な日常とは違います。
しかし具体的なイメージを形成しがちなのはこういうものです。


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