障害者クレーマーを産む3つの構造 #5

ここまでで紹介できなかった点をいくつか補足したいと思います。

「障害者の側にも合理的配慮が必要」は誤り

ネット記事に見られた主張として「障害者の側にも『合理的配慮』が必要」というものがありました。
クレーマーのような行為を控えるべきなのは当然ですが、「合理的配慮が必要」というのは誤りです。

「クレーマーが社会に貢献している」「クレーマーが社会を改善した」というのは単純に誤りで、否定されるべきです。
障害者の環境改善には事前連絡が合理的、過度なクレームはハラスメント、というのも事実です。

しかし障害者の環境改善を望むのでなければ、事前連絡する必要などありません。
単に非効率になり相応のサービスしか望めないだけです。
クレームも障害者だからと特別に控える義務があるわけではありません。
過度でなく、また迷惑行為を社会正義のように主張でもしなければ攻撃されるべきではありません。

そもそも「合理的配慮」は努力義務とは言え法律上の文言です。
民主的に決定され、過度にならないように努力義務という形態にしたものを、障害者には新たに実質的義務かのように求める大きな問題です。

こうした主張は、事業者への合理的配慮を「障害者のあらゆる要求に応えなければならない」と誤って捉えた辻褄合わせだと考えられます。
要は不当な要求さえ応じる義務が生じるのは行き過ぎなので、「障害者の方にも義務を設けるべき」としておこうという発想です。
元々努力義務に過ぎないものを法的義務扱いするくらいですから、法律に何ら規定のない障害者側の義務をでっち上げるのにも抵抗はないのでしょう。

私の個人的な考えとして、「障害者だから~でなければならない」という社会はあってはならないと思います。
障害自体はなかったことにはなりませんし、彼らの生活は健常者と同じにはなりません。
しかしそれを理由に彼らに健常者以上の義務を負わせるべきではありませんし、性格を規定されるべきではありません。
車椅子なら車椅子で行ける範囲を好きなように行けば良いだけの話です。
感謝するのが嫌ならそれもまた勝手です。
もちろん迷惑や負担を掛けても構わないというわけではありません。

善きサマリア人の法

SNS上で見られた意見に「介助によって怪我などしたらどうするんだ」というものがありました。
これに関して私は…何とも言えません。

なお今回の件では駅員が持ち上げたのは車椅子だけです。それでも高価なものですが。
一方2017年のバニラエアの問題では介助時のリスクが大きな論点になっています。

まず障害者差別解消法には「合理的配慮」の努力義務があります。
努力義務であるとはいえ、条件を満たす配慮は行うのが望ましいでしょう。
リスクが伴うか否かは、負担が過重であるか否かを判断する一要因になるでしょうが、リスクの存在を理由に拒否するのは非合理的です。
理論的にはどんな介助にも様々なリスクが伴い、リスクの存在を理由とした拒否を許せば対象は幅広いものになります。
こうしたリスクは多くの業務に伴うもので、過失等への注意は怠るべきではありません。

一方で介助を要求する側の「持ち上げて階段を上がるだけだ」「現実にできたんだから大したことはない」のような主張には欠如している視点です。
偶然問題が起きなかったとしても現場の「臨機応変な」対応は場合によっては重大な事態を招き、法的なもの以外にも様々なリスクが伴います。
何か問題が起きれば「信じられない」「理解が足りない」などというのではないでしょうか?

また情報の非対称性もあります。
介助者や障害者が安全と知っていても経験のない駅員には怖いでしょうし、最悪の事態を想定する場合「急に暴れだしたら」などとまで考えなければならないかもしれません。
非合理的なことを言うクレイマーならあり得ることです。
相手の視点を持つという点で「リスク」という視点は不可欠です。

こうした問題への一つの対処は「善きサマリア人の法」です。
これは救護時に重大な過失がない場合の免責を規定するものです。

よきサマリアびと‐ほう〔‐ハフ〕【良きサマリア人法】
負傷者を救助した際に、結果的に負傷者が死亡または悪化したとしても、救助者に重大な過失がない限り、その責任を問わないとする法律の総称。
(デジタル大辞泉/Weblio)

法的リスクが介助を躊躇する理由になるのなら障害者差別解消法に同様の免責規定を設けるのも一つかもしれません。
障害者の求めによる場合に限定すれば非合理とは言えないかもしれません。

ただ完全な免責ではないにしても「責任制限の法理」が存在することなどを考えれば個人的には否定的です。
小規模な事業者に関しては考慮に値するかもしれませんが、JRのような大きな鉄道会社を免責するのは行き過ぎでしょう。
障害者への介助に関してのみ免責を与えるという合理性もないように思えます。

参考になるニュースを挙げます。
リスクの存在は委縮に繋がる場合があり、それは最終的に無罪になるとしてもです。

・朝日新聞デジタル 2020年8月12日『ドーナツ死裁判、准看護師の無罪確定 高検が上告断念』

社民党常任幹事

伊是名夏子さんが社民党常任幹事であり、党派的アピールのための行動として計画し今回の騒動を起こしたという疑惑があります。
社民党の昨今の行動を考えれば無理からぬことです。

・令和電子瓦版 (松田 隆) 2021年4月14日『伊是名氏の計算違いか 自民・熱海市議に聞く』

仮に事実であるとすればあってはならないことですし、ここまでの議論の多くが無駄になります。
今回は議論の拡大や一般的な知見拡大を目的として、あえてそうではないと仮定しています。

kuremaについて

ここまでの長文を読破いただきありがとうございます。
できる限り簡単に議論を進め、大きく削った部分もあるのですが、内容はかなり長くなってしまいました。
これを読んでいるあなたは私のファンです。

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出版予定のない草稿も参考になります。

似た記事を読みたい場合は「2017年投稿履歴」もご参照ください。
当然古いですが、かなりのボリュームです。
Twitterは平均して数日に一度程度ツイートしています。

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ニコニコ動画のキャッシュサーバーもあります。

この記事は、ツイートを記事形式に発展させたものです。

ちなみに私のID、kuremaはクレイマー(Claimer)を由来にしています。
個人的にはクレイマーが否定的な使われ方をすること自体に若干の違和感があります。

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