パロディス


先日初めて小南泰葉さんのファンの方と現場以外で知り合った。

その時、「なんの曲が1番好きですか?」と聞かれ、自分は迷いなく「全部好きです」と言った。

もちろん大オタクなので全部の曲の歌詞を覚えているし、小南泰葉さんの曲なら1曲につき400字詰め原稿用紙3、4枚は語れるな、と思ったのでこれから1曲ずつnoteにでも書いていくことにした。

まずは小南泰葉さんを知らない方に簡単な紹介をしてみる。

小南 泰葉(こみなみ やすは、1983年10月11日 - )は、日本女性シンガーソングライター作曲家兵庫県丹波市出身。(wikipediaより)
エジプト府民が大学生時代最もハマっていた歌手であり、なんなら今も変わらずハマっていて、青春であり、人生であり、自身の音楽の趣味、人格構成から何まで影響を受けた人です。

現在は病気の療養のため2017年から活動休止中。

※これ以降の文書はアーティストの曲に勝手な解釈を持ったオタクの妄想であり、事実とは異なるのでご注意下さい。




「パロディス」

小南泰葉さんにどっぷり浸かっていたころ、自ら藁人形を自作しようとしたちょっとキツいオタクが最初に語る曲は「パロディス」。※近所のコーナンには藁が売っていませんでした

メジャー1stアルバムに収録されており、合間に入る管楽器が特徴的な"小南泰葉らしい"歌詞が特徴的な1曲である。(ライブでは小南泰葉さん自身がカズーを鳴らしています。)
最初の投稿に選ぶ曲としてはあまりキャッチーでなく万人受けしない曲だと思うが、オタクの自語りとして許して欲しい。

この曲は以下の歌い出しから始まる。

飼い慣らされてしまった道徳がモノに蔓延る
パラサイトみたいに深く深く 根付き蜜を吸い巣食う

https://www.uta-net.com/song/146150/


"美"というフォーマットから外れたものは、大衆から"間違ったもの"と認識されてしまう可能性を孕んでいる。
とりわけ芸術に関しては、大衆からの評価が価値を決めてしまう。ピカソやモネであれ大衆から評価を受けなければ現在わたしたちは名前すらも知らないだろう。
言いたいことは「評価をもらえないもの」は間違っていると認識されてしまうことだ。
アーティストは自分のやりたい音楽と、売れる音楽の狭間で苦悩している。

芸術はいつの日にも報われない
僕の陣地にはピアノ線 入ると首が飛びますよ パロディ

https://www.uta-net.com/movie/146150/

小南泰葉さんの歌詞は彼女の身の回りや、感じたことをストレートに書いていることが多い。
「僕の陣地にはピアノ線」という歌詞も実際にピアノ線を張り巡らせた部屋に住んでいたことを書いている。
https://www.hmv.co.jp/news/article/1305100037/

現実とは離れたような歌詞でも、歌詞の全ては小南泰葉を表している。例えば「拘束ロード」は小南泰葉の見た夢をそのまま歌詞に書き起こしている。
小南泰葉さんを10年近く追ってきて特に感じることは、小南泰葉は今まで会った誰よりも自分の感情や周りの出来事を素直に歌詞に降ろす人だということだ。

パロディ 芸術は探偵が調べ上げ
折角引いた他人との境界点も線も蹴散らしてしまった パロディ

https://www.uta-net.com/song/146150/

世の中には何かにつけて比較しなけりゃ気が済まない人が一定数いる。
小南泰葉の「嘘憑きサルヴァドール」のMVで3件ぐらいはこんなコメントを見かけた。(現在当該MVのコメント欄は閉鎖されている)
「椎名林檎みたい」
小南泰葉はおろか椎名林檎ですらまともに聴いたことのない馬鹿のコメントである。

「探偵」=音楽評論家(笑)は虎の威を借ることしかできない下賤な語彙でアーティストを比較している。
便所の落書きなんて気にしなくていいと言う意見もあるが、先にも述べたようにアーティストは大衆にその芸術の価値をつけられてしまう。
気にしなければ「間違った芸術」と価値づけられてしまうジレンマがあると考えられる。
この曲はそういった大衆からの評価と、芸術の価値に苦悩し、行き場を失った小南泰葉の怒りの曲だと自分の目には映った。

自分はこういったコメントをリアルタイムで見て、悲しくて悔しくて仕方がなかったので、出来るだけ新しいアーティストに触れて感想を言うときは、〜〜に似ていると言う言葉は選ばないよう気をつけている。

どこにも飛び出せない恐怖は"明日を放棄する"に足りる パロディスト 人の言葉を借りて前倣え

https://www.uta-net.com/song/146150/

今まで書いたような人の評価と自らの芸術を飲み込んだ上で小南泰葉は誰でもない小南泰葉であろうとした。人の評価を気にして「明日を放棄する」ことよりも、誰に似ていると言われようがこれは自分だと信じるものを創ろうと突き進むという、ある種の意思表明の歌詞だ。
大衆の目には誰かの後追いに見えようが、自分は自分だと信じて歌を歌う。人の目ばかり気になる自分には到底できない勇気のある人間だと思っている。

簡単に言ってしまえば「パロディ」は芸術に価値をつけて比較する物への皮肉、怒りの歌である。

既に原稿用紙5枚分ぐらいになってしまったので終わろうと思うが、紹介しなかった歌詞も同様のことを歌っているので是非聴いて欲しいし、サブスクを聴くと1曲あたり0.01円とかその程度であるが小南泰葉に還元できるし、CDを買うともっと還元率高いし、歌詞カードのアートワークもとてもいいのでちょっとでもいいので聴いてほしいです。マジで。



と言うふうに小南泰葉の「パロディス」を語ったが、本人からするとこれを書いたエジプト府民も音楽評論家(笑)なのかもしれない。


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