Photo by kuribou2022 5.「アッバ、父よ」 2 くり坊(そろい) 2023年5月10日 16:00 教皇フランシスコ、2019年1月16日一般謁見演説、「主の祈り」に関する連続講話からです。 教皇フランシスコ、2019年1月16日一般謁見演説:5.「アッバ、父よ」 www.cbcj.catholic.jp 以下、必要と思われる箇所から引用させて頂きます。イエスと出会い、その教えを知ったキリスト者は、もはや神を恐れるべき支配者とは思いません。神を恐れるのではなく、神への信頼が深まるのを感じます。「父よ」と呼びかけることによって、キリスト者は創造主と話すことができます。このことばは、キリスト者にとってあまりにも重要なので、しばしば「アッバ」という原型がそのまま用いられます。2019年1月16日一般謁見演説よりアラム語の表現がギリシア語に翻訳されずに記されるのは、新約においては非常に珍しいことです。イエスご自身の声がまるで「録音されている」かのように、このアラム語のことばに残されているように思えてなりません。イエスの母語が尊重されたのです。「主の祈り」の冒頭で、わたしたちはすぐさま、キリスト教の祈りの抜本的な新しさに触れます。2019年1月16日一般謁見演説よりそれは、単に神の神秘と結びつくために象徴を――この場合、父親像――を用いるということではなく、いわば、イエスの世界全体が自分の心に注がれます。それにより、本当の意味で「主の祈り」をささげられるようになります。「父である神」と呼ぶよりも、「アッバ」と唱えるほうが、ずっと親しみがこもっており、心が動かされます。だからこそ、この「アッバ」というアラム語を、「パパ」「お父さん」と訳す人がいるのです。「わたしたちの父よ」と言う代わりに、「パパ」「お父さん」と唱えるのです。もちろん引き続き「わたしたちの父よ」と唱えるのですが、わたしたちは、父親のことを「パパ」「お父さん」と呼ぶ子どものように神とかかわるために、心の中では、「お父さん」と唱えるよう招かれています。2019年1月16日一般謁見演説よりたとえあなたが神を探し求めなくても、神はあなたを探し求めます。たとえあなたが神のことを忘れても、神はあなたを愛してくださいます。たとえあなたが自分のすべての才能を無駄に浪費したと思っても、神はあなたの素晴らしさに目を向けてくださいます。2019年1月16日一般謁見演説より「父よ」と呼びかけ、まず祈ってください。わたしたちをずっと見守っていると、神は沈黙のうちに語ってくださいます。「父よ、わたしはこんなこともしてしまいました」。そして神はこう答えてくださるでしょう。「わたしはずっとあなたを見守ってきました。すべてを見ていました。わたしはずっとそこにいて、あなたへの愛のうちに、あなたに寄り添っていました」。「父よ」と唱えることをどうか忘れないでください。2019年1月16日一般謁見演説より次回は「6.わたしたちの父よ」からです。 ダウンロード copy #教皇フランシスコ #主の祈り 2 サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/ 記事をサポート