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祈りの家

私が、キリスト教にて洗礼を受ける前に、通っていた場所があります。
東京は、杉並区と練馬区の堺(さかい)くらいの場所に「上石神井」という地名の場所があり、そこに「無原罪聖母修道院」という、元々はカトリックはカルメル会の修道女たちが暮らしていた施設を、イエズス会が譲り受けて、それを「黙想の家」として活用している…黙想とは、分かりやすく云えば「祈り」のことですから…そこは「祈りの家」でした。

建物の外観は、もう、すっかり新しくなってしまって…既に、昔の「おもかげ」は庭園にあるベンチくらいにしか残されておりませんが…あとは建物入り口のエントランスを飾る、モザイク画ぐらいでしょうか…。これは、かつて主聖堂の背面を飾っていたものでした。

モザイク画から…

わたしは、かつて、この「無原罪聖母修道院(黙想の家)」から、自転車で15分くらいの場所に自宅があり…今から20年くらい前のことになりますでしょうか…よく、そちらへ足を運んで、「十字架聖堂」という名前の小聖堂にて、冬の、おだやかな光に照らされたキリスト像を見つめながら、長いこと、一人、祈ったものでございます。

『また、いつでも、訪ねに来て下さいね。』

この「黙想の家」には、当時、シスターたちが住み込んで生活しており、その中でも、おそらく上長らしい、やさしい瞳を持った、ご年配の修道女の方が、いつも、入り口で、私のことを見送って下さるのでした。

そうして「黙想の家」に、何となく、暇を見つけては出入りしているうちに、その場所で「日帰り」の「黙想会」なるものが開かれていることを知り、「黙想会」の何かも分からずに、わたしは、この慣れ親しんだ場所にて、行われている「集い」であれば…と、ごくごく自然に、そちらに申し込んだのでした。

その「黙想会」の当日、指導司祭は、マヌエル・アモロスという名のイエズス会士の方で、80歳は過ぎていらっしゃるような…とても、ご高齢でいらして、それでいて闊達な、その老師際は、わたしたち参加者に、1枚の資料を配布してみせて、こうおっしゃったのです。

『本日の、黙想の課題は、こちらです。』

それは、俗に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれている、ルカ福音書だったでしょうか…とても有名な箇所で、はて、そちらを読んで、どうしろと云うのだろうと、少し戸惑っておりましたら、他の参加者は、皆、聖堂だったり、廊下にある椅子だったり…各々が「祈り」に集中できる場所へ散っていったので、はて、黙想とは、聖書の「お題」を与えられて、それを思案することなのかな?と、少し「思い違い」をしながらも、会議室のような、殺風景な部屋をあとにして、早々に、わたしも、日頃、慣れ親しんでいる小聖堂へ足を運んで、少しばかり、その聖書箇所を、思い巡らしたりしたのでした。

途中、その指導司祭の方と「面談」のような時間があり…今となっては、何を喋ったのか、まったく記憶の彼方ですが、懸命に、神さまから、わたしが「何を望まれているのか」について、思案している旨を、その悩みの内を、お話したような気が致します。その右往左往する、まとまらない話を、司祭は、ただただ、耳を傾けてくださったのでした。

『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題なのです。』

それはシェイクスピアの戯曲から引用した、あまりにも「ありきたり」な言葉だったのですが、わたしが洗礼を受けて、クリスチャンとなって「生きる」か、もしくは受洗しないまま、信仰者としては「死ぬべき」なのか…それを、当時は、本気で悩んでおりました。

神さまとは出会ってしまった。

それは、もう、取返しのつかないことでした。

それを自認して、これを深め、さらに公認される行為が「洗礼」であると、当時のわたしは、それを捉えておりました。しかし、何も、洗礼を受けなくても、神さまとの絆はあるのだから、それを、これからも大切にするのに、何も、信仰共同体(教会)に所属する必要はないのではないか?そう考える自分もありました。

その「悩み」を、わたしは、参加した日帰り黙想会にて、素直に、指導司祭へ話したのです。その答えは、神さまが、ご存じで「御心ならば、あなたは受洗するでしょう」といったような返答が得られただけで…どうやら、じたばたすることではなく、ただ「待つ」を知ることが、人生においては、とても大切な態度なのだと、そういう「気づき」を得た…そんな時間を、その日は過ごしました。

指導司祭との面談のあと、わたしは修道院の庭に出ました。

そこには、サルディニア・グラニチカという、ハーブの一種が、青紫の花を、風になびかせて、とても、わたしの目には、印象的だったのを、今でも、新鮮に記憶しております。

その花から…

それから数年後、わたしは、東京は四ツ谷にある、カトリック麹町(聖イグナチオ)教会に導かれて、キリスト教入門講座を受講することになります。

途中、気管支炎喘息を発症し、東京は杉並区にあった自宅は売却し、転地療法を目的として、秋川渓谷のほとりに暮らす生活に、活路を見出します。

秋川渓谷、夏の景色から…

途中、喘息の悪化により、キリスト教入門講座も中断し、結局、3年を経た、2012年4月8日、復活の主日に、カトリックにて受洗することになります。司式は、リーゼンフーバー神父(イエズス会士)でした。

教皇フランシスコ来日時、謁見するリーゼンフーバー神父

カトリック信徒として経験した、大きな「恵み」だったのは、修道制という、カトリックにはあって、プロテスタントには少ない…その培われた霊的風土に、間接的にも、触れることが適ったことでした。

『修道院文化史事典』表紙


『世界修道院文化図鑑』表紙

そして、中世キリスト教という、プロテスタントが派生する前の、奥深い、その霊性に、読書を通じて、触れることが適ったことでした。

『中世思想原典集成 精選』全巻

カトリック信徒として、約10年…それから、わたしは、故あって、難治性うつ病のパートナーと、進行性の難病である義母と、ともに残りの人生を歩むため、中野区にある「シオンの群教会」へ、入会することになります。

病を持つ、パートナーと、義母と…
シオンの群教会

歳月は流れて…祈りの家から始まった、神さまとの「出会い」は、私を、カトリック教会へ、プロテスタント教会へと導きましたが、そんな中でも、わたしの原点は変わりません。

それは、無原罪聖母修道院という、黙想の家から、全ては始まった…という事実です。

また、わたしは「振り出し」に戻ろうとしています。まるで「すごろく」の駒のように…わたしが、神さまと出会った場所、その「黙想の家」へ。わたしの、信仰の故郷は、無原罪聖母修道院です。

そのホームページから、わたしは、秋川神冥窟という、東京は桧原村にある施設にて、座禅会(接心)が催されていることを知ります。

クリスチャンとして…次に、わたしが試みるのは「座禅」という、日本古来からの瞑想と、キリスト教信仰の融合です。

先達から、それを学びたいと思っております。

わたしの「祈りの家」は、その原点は、無原罪聖母修道院です。

そこから座禅へと試みる道程が、これから始まろうとしています。

神さま、わたしを、あなたへと導いてくださいますように…。

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/