スクリーンショット_2019-03-05_11

学校という枠での難しさ 〜 小学校でのワークショップNo.3 〜

NPO法人Collable(コラブル)のくりのです。
連続投稿も折り返しになってきました。もう少し頑張ります!

No.1 「こどもたちの関係性を覗き込む」  
(大人から見たワークショップの価値について

No.2「こども自身が自らの参加の仕方を探る 」  
(こどもの変化について)

No.3学校という枠の難しさ」  
(日常へのワークショップの限界について)

No.4「大人が行う、こどもたちの行動への価値づけ」  
(関わる大人の価値付けの変化について)



ーワークショップで見えなくても、「難しい状況」は日常にある。

山田:支援級とはなんなのかって気持ちになりますね、通常級もそうだけど。クラスってなんだったんだっけって。でもあの学校の支援級がいいのは、本来のあるべき使い方を支援級はしていると思っていて。

ある程度授業とか、情緒とか、あるラインに達すると、通常級にクラスが変わるっていう事例ができているわけじゃないですか。逆もあるけど。あくまで支援級は特別な子たちが特別なことを学ぶのではなくって、今この子に合うステップを用意している教室。

それを(こどもによっては)ある程度できるようになったらこれは使わなくていいんだよ、もちろん使ってもいいんだよって感じがして。だからそういうふうに他の子もなればいいのにって思いますね。

柏木:うーん、僕は難しさも感じてるんですけど。
特定の学校という訳ではないんだけど、不登校の子の場合とかを考えた時に、そういう子たちはもし通って来ようとしたら保健室や相談室、支援級から始めるか、みたいになっているわけです。

ワークショップの感想文を書いてもらうと見え隠れしてくるんですけど、「他の子がそういう弱めの子をいじめているんだけど、私は今までは何も言えなかったけどこれからはやめなよって言おうかなと思う」って文章があるわけですよ。ということは、その書いた子から見ると、ちょっとそれはないんじゃないって思うようなことが学校で起こっているってことでしょ。

もちろん、先生が認知しているものから認知できていないものまであると思うんですけど、先生が全てを認知できるわけがないし。見えたことだけを追うだけで手一杯だろうし。でも残念に思うような状況はあるわけです。そのターゲットに支援級の子とかはなりやすい。


ー一時的にうまくいく。でも、日常でできるのか。

柏木:今日は「不安だ、やりたくない」っていう子が多かったけど、あの子たちはどこかである種の自信を無くさせられてきている可能性があると思うんです。注目を集めたくて発言する子もいるんだけどそれだけじゃないなと思っていて、実際に授業でも前半心配になる子と後半心配になる子がいる。

なんかあるんだと思う。もちろん、それを笑い飛ばしながら「大丈夫、大丈夫」と言って次にチャレンジさせていく、という方向も当然あると思うんです。普段のやり口としては僕はありだろうと思っている。

でも、その状態のままで笑い飛ばしてくれる人がいなくなったときに、何か新しいことにチャレンジできるようになるだろうかって思う。傾向として、最初は不安っていう子がいたっていいし、やっているうちに不安の虫が出てきたっていう子がいてもいいけど、あそこまで不安が強いと流石にねえ…と思う。

***

学校という枠の難しさ。
他者として関わるからこそ、日常での関係性が見えやすくなったり、新たな変化が起きたり。でも、関わることには時間的に限界があります。

「日常か、非日常か。どちらが良いのだろう」
ワークショップをやったことがある人は、一度は考えたことがあるかもしれません。私も悩んだことがあります。

「非日常であるワークショップには限界がある」
ワークショップではできていたかのように見えたことも、ファシリテーターがいなくなった日常ではできなくなる。そんな難しさがあることを、今回のnoteでは書きました。

それでも、ワークショップには様々な効果がある。
これはNo.1 や No.2 でも書いたことです。だから、私たちはワークショップを続けます。非日常には非日常でしか出せない変化があるから。

次回は関わる大人の価値付けの変化についてです。
いよいよ次回が連載ラストです。最後まで読んでくださいね!

#ワークショップ #インクルーシブ #デザイン #NPO #小学校 #こども #多様性 #ダイバーシティ #NPO法人Collable


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?