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【連載小説】何も起こらない探偵事務所 #3

「さくら!! 聞いて、依頼が来たよ」

「そう? すごいじゃん。それはいいんだけどさあ、みはる。化粧落とし持ってない?」

 僕の言うことをさらりと流したのは、僕の従兄弟で探偵の砂倉渓一だ。
 今日は女の顔をしている。

 ……正確には、女性用メイクをしている。唇真っ赤、まつげもバッチバチで左官並みに顔塗ってるタイプのやつ。
 理由は知らない。
 僕が探偵事務所にやってきたときにはこの顔だった。
 砂倉は長身だし、ちょっと頬のこけた男性的な男前なんだけど、化粧は案外よく似合っていた。
 なんだろうなあ、こういう美人いるよね、っていう顔に仕上がっている。
 僕は彼の顔を三秒だけ物珍しげにしげしげ眺めたのち、にっこり笑った。

「あるわけない。石けんで洗っときなよ」

「石けんで落ちると思う? 最新の化粧品だよ。どうせ大企業の血と涙と企業努力が詰まってるんだろ?」

 そんなこと言われたって、持ってないものは持ってないのだ。
 僕は素っ気なく、事務所のカウンターの奥、シャワーカーテンの向こうを指さした。

「洗濯石けんならあるよ。血でも泥でも落ちるやつ」

「やってみる」

 砂倉は素直にカーテンの向こうに消えた。
 マジか。
 僕はシャワー音を立て始めたカーテンを見つめつつ、ポケットからメモを取り出す。

「顔面を大事にね。それよりさ、さくら。依頼だよ、依頼」

「依頼ねえ~。大学の掲示板?」

「そう! 当方名探偵、謎と事件を求む。こんなメモに返事くれるなんて、変わりもんだよね」

 砂倉に答える僕の声は、どうしたって躍ってしまう。
 僕は21歳で大学生だ。
 大学生っていうのは行動力と暇を持て余したおとなこどもの集団だから、面白そうなことを吊り下げておくと案外獲物がかかってくれる。
 僕は学内のサークル掲示板に、サークルでもないのにたまにメモを貼る。

『当方名探偵、謎と事件を求む』。

 電話番号もないメモだけど、たまーにこうしてメモの空白に返事を書いてくれるひとがいるのだ。

「で、何が書いてあったの」

「うわ、落ちてる」

 シャワーカーテンを押しのけてにょっきり顔を出した砂倉を見て、僕はびくりとして言った。
 砂倉はすっかり男の顔に戻って、使いふるしのタオルで頭を拭きながら僕の手元をのぞく。

「あの石けんすごいよ。で、依頼は?」

「えーっとね。落ち着いて聞いてよ。『ものすごく不味いおにぎりというのはあり得るのか?』だって」

「おにぎり」

「うん。おにぎり」

 僕らは顔を見合わせた。
 くだらない謎、だろうか。
 まあ、とてつもなくくだらない謎だろう。

 だけど砂倉は、やたらと鋭い目をさらに細めて囁いた。

「おにぎりは魔法の玉だからなあ。大体おにぎりになってるだけで美味しいもんな。腐ってなければ」

「そうだねえ。腐ってても味自体はそこまで崩れないしね」

 うんうん、とうなずきながら、僕はちょっとほっとする。
 砂倉はこの謎を気に入ったみたいだ。

 彼は上半身裸でデニムという格好でスツールに座り、真剣な顔で言う。

「米って、腐っても糸引くだけだよな。最初は」

「そうそう。強烈に臭う前に、まず糸引くんだよね。米が」

 相づちを打ちながら、お互いの弁当運のなさに僕は少しだけ思いをはせる。
 その間に、砂倉は切れるような視線を上げて囁いた。

「……デザート握り系は確実に不味そうだ。いちごおにぎり」

「うわお!! 僕、あったかいお弁当に果物が紛れてるの許せないタイプ」

「わかる。なんとなく嫌なんだよな、なんとなく。だけど……よく考えたら梅も果物か?」

 はっとして言い、肩を落とす砂倉。
 まあ、言われてみればそうかなあ。甘いもの×ごはんは、案外食べられるひとは食べられる。
 僕は慎重になって答えた。

「干してあるけどね。となると、ご飯は果物の甘酸っぱさは許容しがちってこと?」

「そういうことだ。全国の中にはイチゴの塩漬けを握ってる県もあるかもしれない」

 東京生まれ、東京育ちの砂倉はさらっと他県をdisる。
 僕は曖昧に話をそらすことにして、腕を組んだ。

「それはないと思うけど。うーん、もっと決定的なまずさが欲しいよね。いっそ、食べ物じゃない系とか」

「消しゴムか?」

 すかさず砂倉が言った。
 消しゴム。消しゴムかあ。
 まあ、定番だよね。
 うっかり口に入れがちな、食べられないものとしては。
 僕は腕を組んだまま首をひねる。

「消しゴムは不味いけど、つるんとしてるしそこまでにおいも強くないし、食べることは可能じゃない?」

「そうだな。大体みんな人生に一度くらいは食べたことあるしな」

「……あるのかな」

 多分女の子はあんまり食べないと思うよ? と言いたかったけど、砂倉は女心がわからない度数で言ったら全国平均のグラフを振り切ってしまう。
 案の定、彼は整った真顔で告げた。

「あるだろう。俺はある。みはるもあるはずだ」

「……うん。まあ。僕も食べたけど……」

 もじもじしつつも本当のことを言ってしまう。
 そんな僕を見て、砂倉は満足そうにうなずいた。

 そうしてしばらく考えた後、ふと顔を上げる。

「今の話から思考を発展させるに、ポイントはにおいかもしれない。食べ物じゃないにおいがしたら確実に不味い」

「殺虫剤とか?」

「食ったら死ぬな」

 砂倉の声に抗議の色が混じったので、僕は肩をすくめた。

「食べても死なない範囲でって限定はついてなかったし。だけど、殺虫剤のにおいなんかしたら誰も食べない、か、な……」

「どうした? みはる」

 僕が言いよどんだのを聞きつけて、砂倉が訊く。
 僕はしばらく中空をにらんで静止していたが、やがて勢いよく砂倉に向き直った。

「ねえ、さくら。そもそもにおいがおかしかったら、食べてもらえなくない?」

「確かに」

 うなずく砂倉に、僕はますます勢い込む。

「ここはやっぱり、無臭のものに絞るべきだよ。一見何の変哲もないおにぎりで、においも少ない。だからこそ口に入れてしまうもの」

「なるほど。――ならばいっそ、色も白色に絞ったほうがいいかもしれないな」

 砂倉がゆっくりと言う。
 僕は小さく首をかしげた。

「なんで? 具が白かったら……あ」

「そう。白米に混ぜるんだ。最初の一口で、違和感を抱かせずに仕留める」

 きらり、砂倉の目が光る。ナイフとまではいかないけれど、台所ばさみくらいの鋭さで。
 僕は何かを言おうとして、自分の呼吸が乱れていることに気がついた。

「さくら、僕、ドキドキしてきた」

「俺もだ。ものすごく不味いおにぎり。それは……」

 僕らはそこまで言って顔を見合わせ、大きく息を吸った。
 そして、ほとんど同時に叫ぶ。

「歯磨き粉にぎり!!」

「粉々にしたミントタブレットにぎり!!」

 歯磨き粉にぎりが僕の案で、ミントタブレットにぎりが砂倉の案だ。
 まあ、発想はほぼ一緒と言っていいだろう。
 同時に言い終えた途端、砂倉が顔をゆがめて吐き捨てた。

「まずっ!!!!」

「考えただけでまずいよ!! 口がミントと白米で汚染された気分だよ!!」

 僕らはひとしきり口の中に広がった想像の味に苦しみ、呼吸を乱してカウンターにすがる。

 ようやく衝撃の味が去りかけたころに、砂倉が神妙な顔で言った。

「恐ろしい謎だったな。むしろ、解いちゃいけない謎だったんじゃないのか」

「まずいよう……まずいよう……」

 僕はまだまだ泣き言を言い、くしゃくしゃになったメモを握りしめている。
 砂倉はそんな僕を優しい目で見て、そっと背中をさすってくれた。

「世の中、謎のままにしておいたほうがいいことは山ほどある」

「さくら……」

 うるんだ目で見上げる僕。
 微笑む砂倉。
 ああ、いいなあ、さくらだなあと思う。
 こういうとき、問答無用で、魂の底からひとに優しくできるのが砂倉渓一だ。
 そして。

「ラーメン食おう、みはる」

 こういう慰め方しか知らないのも、砂倉だ。

 僕はまだ涙をにじませたまま、力一杯うなずいた。

「うんっ!!」

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