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5/12コミティア個人誌サンプル【7】

2019/5/12コミティア発行予定の個人誌サンプルその7です。6はこちら↓

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6・一番暗い海の底で君と出会った

 
「夜の海は好かねえなあ。いまひとつ、よくねえよ。そう思わねえか、エリオ」
「今更帰れないのに、何言ってんだ。もうだいぶ沖に来てるし、ルカ兄貴の着てるそのスーツ、くっそ高えしさ」

 振り返りもせずにエリオが言うと、漁船の甲板にしゃがみこんだルカが嘆きのうなりをあげた。彼はいつものばかみたいなアロハを脱いで、縫い目が美しい高級スーツに身を包んでいる。見た目だけはずいぶんまともになったが、言動は相変わらずだ。

「馬鹿野郎、半端なスーツでマフィアなんざやってられるか! びしっと決めてお仕事に励んでこそのアバティーノじゃねえか。いいんだよ、好きなの買えって言われたんだから。余計な遠慮なんかしてたら、男が小せえと思われる。大体お前のが安すぎなんだよ、ガキみたいな紺選びやがって」
「本当にガキだから、これでいいんだ。大体こんなの、動きにくいだけだと思うけどな。万が一海に落ちたら一発でさようならだ」

 エリオはエンジン音の合間をぬってつぶやき、夜の海を見つめた。
 エリオとルカが、マフィアの若頭であるジルドに誘われてから十日後。ジルドの金でスーツを特急仕上げしてもらった二人は、ジルドたちと共に漁船の上にいた。

 ――取引があるんだ。もちろん内緒の。

 笑って言ったジルドはいつも通り穏やかなだけの美青年に見えたが、夜の海のど真ん中で行われる取引が、真っ当なものであるはずもない。
 正直気は進まなかったが、海はエリオの古い友人だ。ついてきたからには、出来ることをするしかない。ジルドは、自分たちはこの海の守護天使だと言っていた。それは一体どういう意味なのだろう。彼らに付き従っていれば、おのずとわかってくることなのだろうか。
 暗い海を見つめ、エリオは言う。

「この時間に船を出すよう、ジルドさんに助言したのは俺だ。コローナの漁船は、夏のこの時間には絶対に海に出ない。観光客のヨットだって遠慮する。秘密を守るにゃ一番いいが、俺たちが気を張ってなきゃ。みんなして海の底に呑まれておしまいだ」
「『夏の海には幽霊が出る』か? お前、まさかあんなもんをあてにしてこの時間を勧めたってのか? ばっか、あんなもん迷信に決まってんだろ!」
「ばかは兄貴だよ。忘れたのか? 夜のサルベージ中に何人がこの海に吸いこまれたのか。俺が無事なのは、きっとお守りのおかげだ」

 お守り、と言ってエリオがスーツの胸ポケットから取り出したのは、例の錆びた金属片である。ルカは見慣れた金属片にため息をついた。

「またそれかよ。いいかげんにもっと現実的になれよ、エリオ。そんなもん、金にもならねえ、使いようもわからねえ、ただのがらくただ」
「がらくたじゃねえ。これはオルゴールの部品だ。兄貴だって覚えてるだろ? ほら、あの、旧市街にあった古い店の店先でさ」

 エリオは少しむきになって言い募る。ルカがどれだけ昔と変わってしまっても、駄目な男ぶりをさらしていても、これだけは忘れていて欲しくなかったのだ。

「どうだったかな。忘れちまっ、」

 つまらなさそうなルカの台詞が、半端にとぎれる。
 エリオはだいぶ背の高いルカの顔を見上げ、はっとして彼の視線を追った。空と水との境もわからないべったりとした闇の向こうに、ぽつりと明かりがともっている。
 星の光とは明らかに異質な、緑の光。

「ジルドさん! 明かりです」

 一転して真剣な顔になったルカが狭い甲板を走り、キャビンの扉を開けて叫ぶ。
 エリオは甲板から身を乗り出して光を見つめ、腕にはめた完全防水の時計を見た。
 夜の二十三時半。

「予定通りだね。相手は結構礼儀正しい」

 キャビンから出てきたジルドは、歌うみたいに言う。
 イザイアはニーノとかいう医者を引きずって、主たるジルドの横に物言わずつき従った。相変わらず、ルカやエリオなんかとは比べものにならない、堂に入ったスーツ姿だ。
 彼らが出てくるだけで、甲板に緊張がみなぎった。

「止めろ」

 ジルドの合図を受けたイザイアが操舵室に指示し、船体を震わせていたエンジンがうなるのをやめる。イザイアがルカに手伝わせて、キャビンから緑のフィルタをかけた照明を取り出し、海に向かって何度か点滅させる。
 すると、海の向こうの遠い光もまた、同じように点滅した。
 ほどなく相手方のエンジン音が耳に届き、船影が視界にはっきりと現れる。
 最終的にエリオたちの船から十メートルほどの距離を置いてぴたりと止まったのは、快速そうな小型船だった。

(漁船、に、見えるけど、漁業の道具は積んでない気がする)

 船を見慣れたエリオの瞳が、闇に照明で浮き上がる相手方の船を観察する。
 使い込まれてはいるが、魚を捕っている様子のない漁船。

「おい、エリオ、機関銃ついてねえか、あれ! か、かか、海賊じゃねえの!」
「しっ! アホか、兄貴は!」

 素っ頓狂な声を出したルカを罵倒して、エリオはぐっと拳を握る。
 ルカの推測はきっと正しい。漁船のふりをして船に近づき、略奪を繰り返す完全武装の海賊たちが、今回の取引相手なのだ。
 ジルドはひるむ様子ひとつ見せず、船の舳先近くに立って口を開いた。

「ミソサザイは鳥の王だ」

 役者みたいに通る彼の声に、少し遅れて向こうの船からだみ声が返ってくる。

「奴は子供を巣の奥で育ててる。カッコウの子かもしれないけどな」

 双方、あらかじめ決めた合い言葉を交わしているのだろう。ジルドはよどみなく続ける。

「例のブツは」
「ここだ」

 だみ声に反応して、イザイアが相手の船の甲板に照明を向ける。
 そこには細長い袋が転がっていた。
 思ったより大きく、どこか異様な荷姿に、エリオはぎょっとする。

(あれは、薬とか武器とか、そういうもんじゃない)

 だとしたら、一体なんだ。
 心臓が勝手に高鳴り始める。手のひらが汗をかく。

「医者をそっちにやる。調べさせろ」

 ジルドが言うと、イザイアの横で小さくなっていたニーノが、飛び上がるように背を正した。

「えっ。僕ですか? 僕、ひとりで行くんですか? 聞いてませんよ、殺されちゃいますよ、あのひとたちどう見ても穏やかじゃなさそうですよ。ね、イザイアさん、イザイアさんは僕の言うことがわかりますよね、インテリですもんね」

 瞳を震わせてまくしたてるニーノに、イザイアは冷え切った視線を投げて言う。

「安心しろ、ニーノ。奴らにとって、お前には殺すほどの価値もない。クレーンを!」

 イザイアの声を聞き、相手の船の男たちが相談する風情を見せる。やがて訛りのある指示が飛び交い、相手方の船が近づいてきた。
 波は幸い静かだが、不慣れなニーノが自力で跳び移れるほどに船同士が近づけるわけではない。相手の船の船尾についているクレーンが起動し、ニーノが悲鳴のような声を上げてイザイアにすがる。

「荷物みたいに僕をつり上げようっていうんですか? 冗談じゃない! イザイア、やめさせてください!」

 するとイザイアは、珍しく優しい声を出した。

「黙れ、ニーノ」

 眼鏡の奥の瞳をさっと絶望の色に染め、ニーノが黙りこむ。イザイアは事務的な手際の良さで、ニーノに戦闘機のパイロットみたいな安全ベルトと、救命浮き輪を装着させた。

「こっちだ、こっち! もう少し左! よーし」

 ルカが相手のクレーンを誘導し、鉤をニーノの安全ベルトにくっつけて、賑やかに悲鳴を上げる彼をつり上げさせた。海賊たちは失笑しながらニーノを甲板に迎え入れ、どついて正気に戻させる。

「いいんですか、あれ。殴られてますよ」

 ルカが曖昧な笑顔で訊いても、イザイアは眉ひとつ動かさない。

「騒ぐから殴られる。そんなことは奴も知っているはずだ。それで騒ぐのだから、殴られたいのだろう」
「ちょっ、その理屈はおかし、いや、うん、いいんですけどね!」

 ルカがイザイアに睨まれて冷や汗をかいているうちに、ニーノはよたよたと甲板の袋に歩み寄っていた。
 しばらくして、ニーノが大きくこちらへ手を振り、震えがちな声で叫ぶ。

「大丈夫です」
「よし。では積み荷をこちらへ。医者を戻すのは、積み荷の後でいい」

 ジルドが軽やかに言うと、相手の船で低い笑い声が巻き起こった。
 嫌な感じだ、とエリオは思う。相手がニーノのことで笑ったのならいい。だが今回はそうではないのではないか。
 案の定、最初に合い言葉を言ってきた男が、どこか棘のある声を張り上げる。

「金が先だ。ああ、その前に交渉しねえとな。そいつは高くついたんだ。単価が上がるぜ」
「おかしいな。少なくとも金額は同意済みのはずだった」

 ジルドは動じない。ただし、相手もだ。双方、部下の間に漂う緊張はきつくなる。各々の視線が武器の置き場所を探り、相手の立ち位置を探る。
 ジルドは黙って微笑み続け、海賊も笑って言う。

「言ったろ。経費が、思ったより高くついたんだって」
「明細を出してくれるなら、その件に関しては考えよう。ただしブツはナマモノだ。腐らないうちに取引を終えたいな。腐ったら価値はゼロになる」
「ゼロにゃならない。利用価値はあるはずだ。そうだろ。俺たちは無茶は言わない。あんたらがこれでもうける金の、半分を渡せ」

 しん、と辺りが静まりかえった。
 もうけの半分は、総額がどんな金額でも破格だ。マフィアが身内以外に半分渡すなんて、普通じゃ考えられない。
 イザイアがちらとジルドを見やり、その名を呼ぶ。

「ジルド」

 ジルドはイザイアに視線をやらなかった。海賊を見つめ続け、ふ、と唇に笑みを含む。

「あ、は、はははははは」

 いきなり盛大に笑いを弾けさせ、ジルドは目の端に涙すらにじませた。
 唐突すぎてエリオは淡い恐怖すら感じたが、相手側はそうではなかったらしい。
 海賊が、低く押し殺した声を出す。

「面白いか。何が面白い?」
「いや、僕の説明不足が面白かった。僕らは、そのブツでちっとも、ほんのちょっとも儲けやしないよ。――エリオ、今は何時だい」
「あと三分で夜中の十二時です」

 反射的に答えてから、エリオは不意に思い出す。
 みながこの時間にこの海域に出ない理由。

 ――夜更けたころから誰も海には出なくなりますけど、十二時前後は本当に避けたほうがいいです。マジで事故が多いんで。
 ――噂には聞いていたけど、実際何が起こるんだい? 君はそれを見たことがある?

 ジルドの問いに、エリオは知りうる限りの知識と経験で答えた。
 今、ジルドはそれを利用しようとしている。
 エリオは直感する。
 エリオの勘をなぞるかのように、ジルドは堂々と言い放った。

「僕らはそれで、この海を守るんだ。早めに最初の金額でブツを渡したほうがいいよ。そうしないと、海が燃える」
「まさか、『夏の幽霊』か? そんな子供だましで俺たちが気を変えるとでも?」

 相手は海賊だ、この辺りの海の噂にも詳しかった。それでもジルドはひるまない。

「変えるさ」

 静かに重みのある声で言い、白い指を闇の中に差し出した。人差し指、中指、次に薬指。ゆっくり順番に三本の指を立てていく。数を数えているのだ、とわかった人間は何人いただろう。エリオには、わかった。
 ジルドが三本目の指を立てた瞬間、夜が明ける。
 いや、違う。もちろん違う。
 単に辺りが薄明るくなったのだ。

「なんだこりゃ……!?」

 ルカが囁き、あわただしく周囲を見渡す。他の連中もそうだ。薄明るくなった視界、薄明るくなった海。光源は海の中にある。海が深いところから強く発光し、真昼のようにきらめき始めている。
 エリオは念のため、自分の腕時計に視線を落とした。
 十二時ちょうど。
 コローナ近海、特にこの場所に魔法がかかる時間。素潜りが趣味で、漁師たちとも親しいエリオは知っていた。ここがこうなること。
 皆があっけにとられているうちに、周囲の空気が震え出した。びりびりという振動で肌がむずがゆくなり、海面も泡立ってくる。
 ぽこり、ぽこりと無数の泡が弾け、ほう、と、女の声がした。
 海賊たちの間から悲鳴に近い声が上がる。それはそうだろう、海の中からひとの声がするなんて、どう考えてもホラーだ。しかし女の声はやまず、ぽこぽこ、ぽこぽこという泡の弾ける音に交じって、どこか懐かしい鼻歌のような旋律が辺り中を漂った。
 この声。この音楽を、エリオは知っている。
 かっと耳の奥が熱くなるような感覚を覚え、エリオは泡立つ海面を凝視した。
 一方のジルドは、さらに声を張り上げる。

「アバティーノはコローナの支配者だ。この海を鎮める方法は僕らだけが知っている。ブツをこっちに渡すんだ。さもなくば船が沈むぞ」
「ばか野郎、こんなもん何かの自然現象だ! おい、おい、お前! 何してやがる!」

 海賊が必死で叫ぶ背後で、部下がなにやら動いている。脅えた彼らが袋に入った『ブツ』を手にしているのを見て、エリオはとっさに上着を脱ぎ捨てた。

「奴ら、あれを海に棄てる気だ! ルカ! ロープ!」
「エリオ! お前、よせ!」

 長いつきあいのルカは、エリオが何をしようとしているのかわかったのだろう。普段の調子をかなぐりすてて叫ぶ。エリオは気にせず、ジルドたちに買ってもらったばかりのスーツを脱ぎ、下に穿いていた水着だけになった。

「畜生!」

 ルカが吐き捨て、エリオにロープを投げてくる。すぐにそれを腰に結び、エリオは夜の海に飛び込んだ。冷たい海水がエリオの体をどっぷりと包みこむ。夜の海。まったくの闇に素潜りで飛びこむのは自殺行為のはずだが、今、海は薄緑の光に照らされていた。
 痛む瞳をどうにかこらせば、現実感のない世界がエリオを取り囲む。
 緑色の中にぼうっと浮かぶ海底遺跡の町並み。そのあちこちから無数の泡がわき上がってくる。泡は弾け、震え、エリオの鼓膜に直接女の歌うような音楽を届けた。

(オルゴールだ。これは、あの、オルゴールの歌だ)

 どっと溢れてくる記憶。エリオは昔、古ぼけた店のショウウインドウに張り付いてこの歌を聴いた。錆びた歯車で出来たオルゴール。海から引き上げたという不思議な機械。あれが奏でるのとよく似た音楽が、エリオの全身を包みこむ。
 郷愁でうっとりとしかけたエリオの視線の先に、泡をまとって沈んでいく何かの姿が見えた。海賊が、ジルドと取引する予定だった『ブツ』を海に捨てたのだ。こいつがこの海の異変の元凶だと思ったのだろう。船乗りはなんだかんだで迷信深い。
 エリオは我に返って水をかいた。水の流れは、幸いエリオに味方する。程なく荷の端っこををとらえることが出来た。エリオは腰につないだロープを強く引く。
 ロープの端は、ルカが持っていてくれるはず。信じて待つと、すぐにロープが引き返される感覚があった。ルカが気づいたのだ。このまま船まで引っ張ってもらえれば、おそらく自分は助かる。あとは、この『ブツ』だ。
 エリオはつかんだ荷をどうにかこうにか抱きかかえ、固く結ばれた袋の口に噛みついた。本来なら滑りのいい防水の紐とロック用のプラスチックが、固くかみ合ってしまっている。甲板に上がってからナイフで切り裂くのが一番だが、とにかく気がせいた。
 袋を見たときから気づいていた。この中身は、きっと、ひとだ。
 濡れた袋で窒息し、パニックを起こしているかもしれない。
 必死で力を込めてプラスチック部品を引っ張ると、やがて、ずるりと部品が動く感覚。
 これなら外れる。一気に心が明るくなる。

(待ってろよ。あとちょっと。あとちょっとだ)

 どうか。どうか生きていてくれ。祈りと共に結び目をほどく。
 海底から上がってきた音楽を含んだ泡が、どっとエリオと荷に吹き寄せた。その拍子に荷を包んだ袋がめくれ、中からこぼれた暗い色の髪が海中でそよぐ。ひとだ。やっぱり、人間だった。髪の次に、死んだみたいな白い肌があらわになる。
 そして――はっきりと見開かれた、灰色の瞳が。

(――死んでる?)

 とっさに、エリオは思った。そうじゃなきゃ、こんなふうに海中で目を見開いてなんかいられない。痛みもある、恐怖もある、呼吸だって苦しいはずだ。
 なのに、目の前の顔には何もない。
 苦しみの色もない。慌てても、もがいてもいない。
 心臓が凍るような感覚がエリオを襲った。なんだ、これは。なんなんだ、こいつは。わからない。ただひたすらに、ぽかんと暗い瞳が目の前で見開かれている。

 これが、エリオと彼との出会いだった。
 自分が知る中で一番美しい海の中で、緑に輝く神秘のど真ん中で、エリオは地獄を見つめる瞳に出会った。マフィアに誘拐されてこの地にやってきた、カールに。

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