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カザフスタンのタラス河畔で聖地巡礼 ビシュケク→タラズ→シムケント

唐突ですが、タラス川ってご存じでしょうか。

751年、唐とアッバース朝による中央アジアの覇権を決定づけるシルクロード史における転換点として重要な戦いが行われました。世界史で必ず習うこのタラス河畔の戦いの意義というのは、①唐の勢力が弱体化(シルクロードの時代の終わりの始まり)、②中央アジアのイスラム化を決定づけたこと(現在まで至る文化の確立)、③製紙法が西方へ伝わったこと(イスラム世界、ヨーロッパにおける情報の蓄積と伝播における革新)ということ。そんな歴史の転換点となった場所に行きたい。要するに聖地巡礼したいというわけでタラス河畔の戦いのあったであろう地方へ行ってきました。

タラス川というのは天山山脈を源流に、現キルギスのタラス渓谷を作り、現カザフスタンの平野に流れ込み低地で消失する川。乾燥したこの地域における重要な水源で、タラス渓谷の出口は現キルギスとカザフスタンの国境になっていて、キルギス側にはタラス(Талас/Talas)、カザフスタンにはタラズ(Тараз/Taraz)という都市がある。ちなみにタラス河畔の戦いの戦場の場所は明確にはわかっていないようで、現キルギス領内と言われているとのこと。乾燥地帯において水源となる川、さらには渓谷の出口が戦略的に重要なのは言うまでもない。8世紀、タラス川も流れるソグディアナ地域では遊牧民族やオアシス都市が点在していて唐が勢力を拡大。その中でタシケントがイスラム世界で勢いにのるアッバース朝に助けを求めたことでアッバース朝が本気で介入、結局唐の勢力下だったカルルクという有力な遊牧民が寝返り、タラス河畔での戦闘で唐が撤退を余儀なくされたというのがストーリー。

前置きはこの辺で、タラス河畔の空気を吸いたいということでカザフスタンのタラズを目指しました。タラズ市は人口30万超の主要都市、2000年の歴史がある古都でありこの一帯で戦闘があったことは予想できる。キルギスの首都ビシュケクから280km、次に行きたいシムケントという町まで180kmの中間地点。キルギスのタラスは町の規模が小さく、ビシュケクからだと山越えで遠回りで交通手段が見つかるか不安だったので。

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当日、キルギスの首都ビシュケクのバスターミナルから、タラズ行きの乗り合いバスに乗車、タラズまで300ソム(約400円)程度、30分ほど待って乗客が満員になり出発。鉄道も検討したけど国際列車はかなり本数が少なく時間もかかりすぎとビシュケク駅で調査済みのため断念。

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乗車前にナンを購入。この中央アジアのナンはもちもちで薄い塩味と香ばしい小麦の味がしてそのままでもめちゃくちゃうまいのです。しかも1枚数十円くらいと安い。前にウズベキスタン旅行した時も、サマルカンドのナンを研究したいと鞄に詰めて持ち帰ってた日本人の料理人に出会ったことを思い出した。

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そんなに良い道とは言えない片側1車線くらいの道をひたすら西へ、左手には常に天山山脈を望みながら2時間ほどでカザフスタンとの国境。

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国境で一度車を降りて徒歩で検問を越える。キルギス出国、徒歩、カザフスタン入国という感じ。そこまで大変ではなく通過。車はドライバーが手続きをして越える待ってくれているので、カザフスタン入国後に自分の乗ってきた車に戻って、全員揃ったらさらに進むという感じ。

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手持ちのキルギス‐ソムは国境の商店でカザフスタン‐テンゲへの両替と、小銭は水を購入して消費。

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そこから3時間ほどでタラズ市街地のはずれの国道沿いのバスターミナルへ到着。タラズ市自体はめぼしい観光地が無いのか、日本語ガイドブックで一番詳しいであろう地球の歩き方にも載っていないし、カザフ語もロシア語もわからないので完全手探り。

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適当に目の前の路線バスで中心地まで行ってみた。中心地でとりあえずタクシーを捕まえてGoogleMapを頼りに、そもそもタラス河畔に無駄に行くなんて伝えられないので、タラズ市街地のはずれにあるタラス河畔にある丘の廟まで連れて行ってもらった。タクシー運転手は待っててくれたし、とりあえず金で解決。と言っても1時間くらいで1000円程度。なかなかいい車でしょ。

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この廟は当地のイスラム聖職者の廟と伝えられているよう。時代としてはタラス河畔の戦いの時代ではなく14世紀頃のものとのこと。ただ眼下にはタラス川とタラス市街地が見えるとても雰囲気のいい場所。乾いた風が気持ちい、この地を遊牧民族が駆け回っていたんだろうなという空気を全身に浴びた。地元民も来ているようでなぜか声をかけて写真を撮ってもらった。言葉はよくわからないけど、ヤポンスキ(日本人)と言ったら驚かれた。

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帰りは数少ない知っているロシア語でヴァグザール=タラズ駅まで連れて行ってもらった。タラズ駅では次に行くシムケントから最終滞在地のアルマトイに行く夜行列車のチケットの購入もしたかったので。英語は全然通じないのでとりあえず伝家の宝刀筆談と、身振り手振りで何とか購入できた。キリル文字は読めるので地名とかは何とかわかるのが幸い。

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そのあと中心市街地をぷらぷら。ソ連地方都市の雰囲気ありつつ中央アジア味のある良き町(モスクワとサンクトペテルブルクしか行ったことないのに何を言ってるかわからないかもだけど)。

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ゆったりもできずに最初にバスを降りた国道沿いの拠点まで向かってシムケント行きの車を拾おうという魂胆。実際に周辺の人に「シムケント?」って声をかけて指さされたあたりでシムケントと掲げたバスを比較的すぐに見つけられた。そこからシムケントまでよく整備された高速道路があったと思ったら途中でローカルな道にでたり、牛がいたり羊がいたり、雷雨のあとのきれいな夕日と変化に富んでた。

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人は少ないようで自分が乗った段階では私一人で、途中のタラズ市内の国道沿いで2人カップルが乗り込んできた3人でシムケントまで向かった。このカップルは英語が少しわかったのでいろいろ親切にしてもらって、下の写真のように途中の村でなぜかリンゴを買って分けてくれたり。

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シムケントまでは3時間くらい。結構大きな町だとわかる。リンゴを買ってくれたカップルがシムケントで予約してるホテルの前で降りれるよう運転手に話をしてくれたので助かった。海外の知らない街を夜に移動するのは大変なので助かった。

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ホテルにチェックイン後、夜はホテル側の食堂でロシア式餃子のペリメニと、ロシア式クレープのブリヌイ(クレープと言っても肉や野菜、チーズを入れたものがメイン)。昼間は移動ばかりでバタバタでナンともらったリンゴしか食べてないので身に沁みました。

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ここで中央アジアの1人旅の都市間移動では避けては通れない乗り合いバスの仕組みを説明しておく。中央アジアでは時刻の決まった長距離高速バスみたいなものは少なくて、その代わり最大15人乗りくらいのバンが満員になったら出発するというような形態をとっている。バンの運転手は個人事業主なのでなるべく人を乗せた状態で動かすことが収益に直結するため。バスターミナルでは行き先事に地名が書かれた大きいパネルをフロントガラスにおいてるバンが止まっていて、「どこどこ行き、あと何人!」って客を呼び込む(人数は聞き取れないけど、地名ならわかる)。急ぐ場合は数時間の距離でも1人数百円なので金に物を言わせて人数分上乗せすれば出発してもらうことも可能。小さい町・村に行きたい場合、自分の降りたいところを経由できるような主要都市行きの運転手と交渉してどこかでおろしてもらうという形をとっている。逆に幹線道路沿いで自分が行きたい都市行きのバンがとおるときに手を挙げれば停まってくれる(おそらく村の入り口みたいなところが習慣的にバス停の役割を担っている)。ちなみに4人乗りくらいの普通車だと1人あたりの相場は運転手一人頭の人数を考えてバンの3倍くらいの値段、その代わりにスピードも速いし時短できる。

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