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週末パスでめぐる 未乗路線 上田電鉄別所線

長野県第3の都市上田市の中心である上田駅から南西の別所温泉駅まで11.6km、15駅の小さな路線。真田家ゆかり地である上田と、信州の鎌倉とされる塩田北条氏ゆかりの塩田平、古湯別所温泉を結んでいる。大学前は長野大学、上田女子短期大学、長野県工科短期大学があり通学需要があるよう。

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朝夕のラッシュは1時間に2本、その他時間は1時間に1本程度。利用したのは休日の昼間。別所温泉への観光客がちらほらといったところ。別所温泉は信州最古の温泉とされ1400年の歴史ともいわれる。鎌倉時代に北条家がこの地に拠点を構え、仏教文化が興隆したことに由来。国宝や重要文化財も点在している。

大正ロマンの別所温泉駅。土日には袴を着たボランティアガイドの案内もある。台湾人と思われる一行が写真撮りまくってたけど、何か台湾で紹介されたりしたのだろうか。
上田電鉄の上田駅は独立した高架駅。
上田駅はJR北陸新幹線と、信越本線が第三セクター化したしなの鉄道が乗り入れる。メインは新幹線にとられ、しなの鉄道と上田電鉄は横に追いやられている。
下之郷駅は車両基地併設。一部朝ラッシュに始発列車が設定。上田駅からの終電は下之郷行き。
上田盆地の端っこの別所温泉に向かう。単線ローカル線ながらしっかりと整備された線路。
稲刈りの季節。コンバインとの並走も楽しめる。

車両は東急池上線や東横線で使用されていた1000系(東急でも少数現役)をベースに改造したもの。専用ラッピングとして上田電鉄6000系としても運行されている。

上田市は真田家の本拠地なので真田全振りのさなだどりーむ号。
さなだどりーむ号の車内は真田家の紹介や周辺の観光案内など盛りだくさん。六文銭つり革も。
1928年から1986年まで活躍した上田電鉄オリジナル車両の丸窓電車。上田電鉄のシンボルとして親しまれていた。丸窓の意匠は全国的にも珍しかった。
丸窓電車をイメージしたラッピング車両で2代目らしい。協賛のミマキエンジニアリングは上田市の隣の東御市に本社がある産業用プリンターメーカー。ミマキエンジニアリングのプリントシールを車体全体に貼っている。さなだどりーむ号の方のラッピングも担当。

上田電鉄の前身は、多くの地方私鉄と同じ国鉄幹線(官営鉄道)の路線に連絡するために推進された路線。1909年に開業していた信越本線(当時は信越線)へ連絡するため2つの鉄道会社、丸子鉄道株式会社と上田温泉電軌株式会社が設立された。最初に開通したのは1918年の丸子鉄道の丸子町駅から信越本線の大屋駅の区間(丸子線、廃線済み)。1921年に今の別所線にあたる川西線の最初の区間が開通。1924年に千曲川を渡る鉄橋が完成し、上田駅へ乗り入れられるようになり、上田駅から別所温泉駅(当時は信濃別所駅)の原型が完成する。その後、上田駅から北東方面への真田傍陽線(廃線済み)や、丸子線上田駅への延伸などがあり、2社は1943年に合併。合併時点で48kmの路線網を持っていたものの、モータリゼーションの進展、貨物輸送の衰退により1972年までに別所線を除く全路線が廃線となっている。

別所線の他、上田駅を中心に青木線、丸子線、西丸子線、真田傍陽線があったがすべて廃線化している。
上田城の東側の堀に真田傍陽線が走っていた。真下に見えるのが旧公園前駅。

別所線も廃線の危機とは隣り合わせの状況は変わらなかったが、沿線の存続運動も一定の効果があり想定よりも利用者の減少が抑えられたこと、長野新幹線(北陸新幹線)の開通に向けた観光促進などのタイミングも重なり、継続して国、長野県、上田市からの支援により設備改修投資もできている。2019年には千曲川橋梁が崩落してとうとう廃線かと嘆く声もあったが、上田市が国からの災害復旧補助金も活用して修復させている。

千曲川橋梁。
ふ2019年10月の豪雨災害で崩落流出した千曲川橋梁。2020年の橋梁修復中の様子。
2021年3月橋梁修復まで上田駅と城下駅の間が不通となり代行バスが運行されていた。

安泰ではないものの鉄道として残すことに希望はある状況。根本は利用促進が必要ということで、上田市と市民団体、沿線大学生による企画やボランティアガイドなど連携しての活動は継続している。ただちょっと更新が止まっているようで不穏ですね・・・。

乗り継ぎの40分で弾丸観光してました。

真田信繫(幸村)像。9月中旬に35℃。残暑が厳しすぎる。
上田城東虎口。本丸の建物はほとんど残っていない。
本丸内に鎮座する真田家を祀る真田神社。不落城とされる上田城にあやかった必勝・合格祈願にご利益。
上田城下にある藩主居館跡は上田高校になっている。

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