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廃線跡巡り 国鉄佐賀線

国鉄の旧佐賀線は、長崎本線の佐賀駅から鹿児島本線の瀬高駅を結んでいた路線。1935年に全線開業し、1980年に第二次特定地方交通線に指定され廃線候補となり、1987年、国鉄分割民営化の4日前の3月28日に廃線となっている。

旧佐賀線の跡地で最もシンボリックなのが筑後川にかかる筑後川昇開橋。敗戦後も地元民が声を上げ保存することが決まっており、2003年に国指定重要文化財に登録されている。日本に稼働状態で現存する唯一の昇降式可動橋で、今でも橋の下を船が通れるように中央部分は約26mの長さ、高さ23mまで稼働するようになっている。

早朝深夜を除いて遊歩道として開放されていて、昼間は観光財団のボランティアによって稼働するところを見ることができる。


線路跡
筑後大川駅跡
この橋は後の時代にサイクリングロードとして作られたもの。
光法駅跡
南佐賀駅跡は公園になっている

佐賀駅そばでは長崎本線から分岐していた高架橋の一部がそれとなく残っていて不自然な道路の形がひっそりと廃線跡だったことを物語っている。

佐賀線が通っていた筑後川河口の木工の町 大川は九州鉄道(現 西鉄)が久留米方面から分岐する大川線があったが、国鉄は鹿児島本線の瀬高駅から分岐させ、柳川と大川を結ぶ形で路線を敷設した。結果として鹿児島・熊本方面から佐賀・長崎をショートカットするコースとして佐賀線が開通。そのような効果を期待されたものの非電化・単線でスピードも遅く、相も変わらずモータリゼーションで沿線利用者減少してあっという間に赤字ローカル線としてお荷物に。それに西鉄大川線も利用者が低迷し国鉄佐賀線よりも先に廃線化している。大川市は鉄道が無い自治体になってしまった。

そもそも九州内の人の移動は博多を向いているわけで、鹿児島・熊本と佐賀・長崎を短絡できたとしても期待するほど利用者がいなかった。一応、佐賀線は現在も残っている鳥栖経由より25kmくらいは距離は短縮できていたけど、直通列車は停車駅の多い急行が最盛期ですら1日1本、それと比較して鹿児島・熊本から鳥栖、鳥栖から佐賀・長崎は当時でも博多起点の特急(新幹線)がバンバン走る区間で便利だったので今でもメインルートであることは変わらない。


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