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シェアハウス子育て中の親が、30年前のシェアハウス子育ての映画を観てきた話①

先日、大井町の慶應義塾大学SFC研究所にて、多世代型シェアハウス研究会による、ドキュメンタリー映画「沈没家族」上映会に行きました。

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※「沈没家族」とは:いまから30年近く前に、共同子育てをしていたシェアハウス。また、そこで育った子供が監督した同名の映画。Wikipedia書籍映画公式ページ

私自身シェアハウスで子育てをしていることもあり、その視点からの感想です。

「あるべき母親像」を背負いたくない

作中での「母」のこの言葉を聞いた時、私と同じ思いを感じている人が目の前に現れて、応援されている気持ちになりました。
この言葉は別に責任を負いたくないとか、あまのじゃく的に意地を張りたいというわけではなくて。
周りの無意識な思い込み(unconscious bias)を窮屈だと素直に感じるなら、あなたが無理に合わせる必要はないんじゃないかな、ということだと思うのです。

私もよくテレビや新聞記事を観た方から「甘い」だとか「子供がかわいそう」なんて言われるわけですが。
そういう考えを聞くと、「あるべき親像」にとらわれて、なんだかしんどそうだなぁと思います。

私も、全員にシェアハウス子育てをおすすめはしません。
それどころか、決定的に向いていない人も多いと思います。

でもこれが、やってみると意外と向いている人も、実は多いと思っているんです。
しかも、はじめ、本人が自分ではそう思っていなくてもね。

「いやいや、ぜったい無理」「シェアハウスで子育てなんて、ありえない」と思っているそこのあなたも。
やってみないとわからない。意外と結構、最高だったりします。
うまくハマれば、親も幸せで、子供も幸せで、子育ての悩みがだいたい解消なんかされちゃったりして。

と、シェアハウスはいいことばかりのようですが、今回の言いたいことはシェアハウスのことではなくて、テレビや育児メディアで礼賛されるような「あるべき家族像」について。

私がこの冒頭の言葉を聞いて、ああ、そうだなぁと思ったのは、違和感は素直に言葉にしていいんだな、ということ。
そして針の穴のような「あるべき家族像」よりも、もっとあなたに合った家族像ってあるのかもしれないよ、ということです。

いままで自分が無意識に信じていた「あるべき像」にとらわれない姿を見た時って、ついけちをつけたくなるものです。
上映後の質疑応答で話した皆さんも、たとえシェアハウス子育てがちょっと良さそうだと思っても、「あるべき像」から外れるのを恐れている。
どうなってしまうのか不安。そういう人って多いんだろうなと。

でも作中の家族も、私もいま実際にやっていますが、結構いける。それどころか、私は、「なんでこんなに幸せな暮らし方をする人がこんなに少ないのか」と思ってしまうくらい、とっても面白い。
万人向けではないけど、世間がなんとなく同調させてくる「あるべき像」だと息苦しい、不安だ、という人の選択肢の一つとして、向いている人には結構、いや、とってもオススメだよ、と改めて思ったのでした。

(続く)