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舟を漕ぐ。[ありがとうnote創作大賞]

note創作大賞が終わりました。
どうだったのかは言うまでもありません。
そもそも中間選考に残ったことが、今でも信じられません。

飽き性で持続力のない私は漫画など描いたことがありません。挑戦したとて、私はまず表紙で終わる。否、表紙さえ完成しない。芸術一家で育ったので絵は少し描けた。高校でデザイン科に入って早くも上には上がいることを知ったものの、芸大へ進んでなんとかデザイナーにもなった。不真面目なグラフィックデザイナーの誕生です。
常にラクなほうラクなほうへと流されていった私は、いま思えばちっともラクではない、吹けば飛ぶような中途半端なフリーランスにうっかりなってしまう。そして今後というか老後を左右する50歳目前の大事な時期に私事で辛いことが重なり、コロナ禍に見舞われ、それらを言い訳に全く記憶に残らない数年間を過ごしてしまった。すっかりやる気も生気もなくし、愚痴愚痴言っているわたしに仕事仲間が言いました。
「なにか、かいてみては?」
描いてみて、なのか書いてみて、だったのかは知る由もありません。だけど私は、その言葉をきっかけになぜかその気になってしまったのです。飽き性で持続力もないのに。

漫画を描いたことがなければ小説も書いたことがない。エッセイなどというものは、何もなし得ていない私が綴ってもそれはただの日記。漫画を描いたことがない、と繰り返していますが、大学のときに友人とのやりとりを4コマにしたためたことはありました。これはなかなかに評判でしたが、現在ヨーロッパで暮らす彼女の希望により今では封印されています。また娘の子育て4コマ漫画も少しだけ描いたことがあります。これもなかなかに評判で、仕事でタウン誌のようなものに掲載されました(1回で終わったけど)。でもどちらも下描きもなしでいきなりペンで殴り描いたラクガキの延長のようなもので、評判が良かったといってもせいぜい10人くらいの人の間でのこと。そんなもんだ。
そんなもんだけど、もしかして私は文章よりデザインより絵画より、4コマ漫画が一番向いているんじゃないかと密かに思っていた。でも何を描けばいいのかな~・・・とふらふらと考えていました。

ここ数年、幼馴染との月一くらいの呑みが一番の楽しみでした。まず、利害関係がない。そして共通の知人が多い。同い年だから似たような悩みが多い。昔話に花が咲く。いつも二人でゲラゲラ笑い、ときには泣き、ときには歌い、過ごしてきました。50歳が近づくと、何かいままでとは違う感情も湧いてきて、人生観、みたいなものの目線が変わったような気がした。うーん、これを描いてみたらいいんじゃないだろうか。そしたら私の昔のあだ名から「くりこ」が降りてきた。私は甘んじて栗になろう。じゃあ幼馴染にはクマになってもらおう。こうして「くりことクマ子」が生まれました。

生まれてからは早かった。おもしろいかどうかは置いといて、次から次へと描きたいことがあり、ふ、ふでがおいつかないよ~と、妙なゾーンに入ってしまった。仕事もロクにせずに(のちにこのことがまた自分の首を絞める)、まさしく寝ても覚めても描いていた。描いて、自分で読んで、ひとりほくそ笑んでた。お、おもしろ~い(そりゃ、自分の話だからね)。
自分で読むために描いていると別のところにも明言しましたが、これは本当で、自分で楽しみすぎて暴走、完全に客観性を見失いました。

ある程度の数が描けた。せっかく描いたのだから、誰かに読んでもらおう。さぁどうしよう。SNSは休眠状態で、フォロワーさんはほぼ知り合い。知り合いにアホな漫画を描いていることを知られるのはまだ恥ずかしい。どこか新しい場所はないのかな。そして辿り着いたのが、noteでした。

全くのゼロから始めた、noteでの「くりことクマ子」。ネットで見た浅い知識によると、とりあえす1ヶ月は毎日投稿したほうがいいらしい。何をやっても続かないけど、さすがにここらへん(50歳)でちょっと頑張ってみたい。きっとその先には少し違った未来(老後)が待っているはず。そう思って毎日コツコツ投稿を続けました。もちろん知り合いには無告知のまま。そんなアカウントがどうなるかというと、本当にどうにもならない。私が真の天才ならば、それでもどうにかなったかもしれない。でも全くもって天才ではないので、本当にどうしようもない。何もかもがさっぱり伸びない日々が続き、早くも心が折れそうでした。
でもまだ始めて1ヶ月も経っていない。漫画のストックも残っている。描きたいことだってまだまだある。何よりくりことクマ子が大好きだ。描きたくて仕方がない。そこに、創作大賞開催の告知が飛び込んできたのです。
なんでも、一次選考にはフォロワー数とかスキ!の数も考慮されるらしい・・・ダメじゃん!!そう、ダメダメです。出す前から全然ダメです。私をフォローしてくれているレアな方達は、その時点で何人いたでしょう。とにかくレア中のレア中のレア!!!くらいの数だったのは確か(今も)。でも、とにかく応募が簡単。すでに投稿している記事も応募可能、ということで無茶だとわかっていても、私に応募しないという選択肢はありませんでした(結局簡単だった、ってことね)。もともと応募を目指して描いていなかったので、タイトルが適当すぎた。noteにおける「タイトルの重要性」を全く理解せず、どれもこれも至極適当なタイトルをつけていたのをそのまま投稿し、中でも特に適当な「アドバイス」というタイトルの一作が、まさかの奇跡を起こしてしまった。

ハッシュタグの一つみたいな軽いノリで創作大賞に応募していた不届き者の私は、本当に他人事として創作大賞の中間選考の発表を見ました。あ、発表されてる~ほ~、と、水たまりを飛び越すように指で画面をぽーんぽーんと弾いてコミックエッセイ部門へ行き、つらつら~っと選ばれたみなさんの作品名を見て、一度通り過ぎる。通り過ぎたあとに、訪れる違和感。
・・・ん?いまなんか見覚えのある文字が・・・
ちょっと戻った。そこには「アドバイス」くりことクマ子、とありました。

あまりに期待せず、完全に他人事として発表を見てしまった私は、そのことをすごく後悔している。結果を見るのに1行づつ丁寧に進んでいくようなドキドキもハラハラも、自分の名前を見つけて飛び跳ねるような歓喜もすべて逃してしまったからです。もちろん喜びは遅れてやってきました。でもその瞬間の爆発力を体験したかった。こんなこと後にも先にも、もうないのだから。その通り、次はなかった。受賞・入選には至らなかった。そんなもんである。

そんなもんだけど、たしかに1年前の、何も描いていなかった自分とは違った未来に来れた。これは間違いありません。自分で漕げば、舟は進む。それなりでも。
全然知らないみなさんに読んでもらえて、感想や激励もいただけて、さらにnoteさんに、こんなに小さなアカウントを見つけてもらえた。他にも選ばれている方でフォロワーの少ないアカウントはいくつもありました。どうであれ、「やる」と「やらない」では未来は全く違う。

「くりことクマ子」は、私にしか描けません。当然です(しつこいけど私の話だもん)。末っ子であることもポンコツなことも浅はかなところもめんどくさいところも、すべて血となり肉となる。仕事であるグラフィックデザインも、私にしか創れないものはあると思う。でも、もっと良いデザインをする人は数多いて、正直そっちのほうがいい場合が99%くらい。漫画だってそうだけど、「くりことクマ子」は私にしか描けない。私が創る、大好きで楽しい世界。

これからも舟は漕ぐ。どこに辿り着くのかわからないけど、ゆらりゆらりと流されてばかりいた人生で、はじめて自分で漕いでみている。描き出して数ヶ月の作品で、何かの結果が出せたのは私にしては上出来です。ビギナーズラックかもしれないけどそれは言うまい(あ、言っちゃった)。

noteさん、ありがとうございました。

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