2019年4月12日~14日 甑島

画像1 中甑島と下甑島の間に建設中の連絡橋。まもなく上、中、下、3島が橋で繋がることになる。高速船デッキからの眺望。
画像2 川内港から乗船した高速船甑島は、九州新幹線などをデザインした水戸岡鋭治による設計で、お洒落な内装に驚いてしまった。
画像3 上甑島と中甑島、探訪の足は一人乗り電動カーCOMS。昔、沖縄の渡名喜島で運転したのと同じ型。バッテリーが貧弱で、1日たっぷりとは走れない。
画像4 上甑島の北端、市の浦海水浴場。承久の変の功績で、この地を領地として与えられた小川氏が初上陸した地点として、講之元神社がここに創建された。
画像5 上甑島の中心地、里。海辺の民家に鯉のぼりが立てられ、元気に泳いでいた。
画像6 上甑島一番の景勝地、長目の浜。幅50m、長さ4㎞に渡り続く砂州。藩主が「眺めの浜」とその景観を讃えたことが由来とされる。展望所には桜が咲き残っていた。
画像7 上甑島、どん突きの小漁村、桑之浦。可愛らしい風見鶏が1軒のお家の庭に立っていた。
画像8 同じく桑之浦の一番海寄りの家の塀の上には、サンゴや自然石を使った細工やペイントがずらり並べてあった。
画像9 中甑湾に面したコシキテラスはお洒落なカフェ。黒豚丼のランチをいただいた。味噌汁の具の豆腐がとても美味しかったので、店員さんに伝えたら、自家製とのことだった。
画像10 上甑島と中甑島は、すでに2本の橋で結ばれている。こちらは鹿の子大橋。もう1本は甑大明神橋。
画像11 中甑島、平良の漁港。漁師達が網の手入れをしていた。
画像12 帽子山展望所から眺めた平良集落。江戸時代から漁港としてだけでなく、密貿易の中継所としても栄えたという。
画像13 帽子山展望所へ行く道ばたにアザミがたくさん咲いていた。
画像14 甑大明神。岩がご神体。甑(せいろ)に似ているところから、島の名の由来となったとも言われている。すぐ脇に架けられた橋の名は、甑大明神橋。
画像15 上甑島の中心、里集落はトンボロと呼ばれる陸繋砂州の上にある。日本三大トンボロは、他に函館、串本だという。
画像16 里集落の一角に武家屋敷跡が残る。美しい玉石の石垣と生け垣が続く。手前には八幡神社が立つ。
画像17 里港の北の高台に恵比須神社が立っている。すぐ脇には古い社跡も。砂州の両側が見晴らせる。
画像18 恵比寿神社の下に、お世話になった御宿えびす屋、があった。庭に名産鹿の子ユリがたくさん植わっていた。
画像19 御宿えびす屋の夕食。左端の皿は、こちらでヤマジョイガネと呼ばれるウチワエビ。味が濃くて旨かった。煮魚はハンタと呼ばれるブダイ。今日揚がったばかりでめちゃくちゃ美味しかった。
画像20 下甑島、瀬尾観音三滝周辺にタツナミソウの群落。上甑島でもタツナミソウはたくさん見かけた。
画像21 瀬尾観音三滝の一番下に落ちる三の滝。ここから少し登ると、一の滝と二の滝が一緒に見られる場所に出る。
画像22 下甑島、手打集落に残る武家屋敷跡。上甑島里の武家屋敷跡とは微妙に異なり、玉石垣が高く、生け垣も樹が高い。海からの風を避けるためだろう。
画像23 島のあちらこちらでネコを見かけた。島にネコはつきもの。人見知りもいれば、人懐っこいのもいる。
画像24 下甑島、手打集落で造られている「こしきの塩」の製造現場。満潮時の海水のみを汲んできて鉄鍋で煮詰める。鉄鍋ならではの味が出るそうだ。
画像25 下甑島西海岸の小漁村、瀬々野浦のすぐ沖に浮かぶナポレオン岩。確かに人の顔に見えなくもないが、なぜナポレオンなのか不明。
画像26 下甑島最北端、鳥ノ巣山展望所から工事中の連絡橋を見る。冬は西風が非常に強く、クレーンなどが倒れるので工事は中止となる。
画像27 鳥ノ巣山から少し西へ行くと、夜萩円山公園。高さ200m、鹿島断崖の絶景が目の前に聳え立つ。
画像28 道路にキジが出て来た。下甑島では、すでに別の場所でも野生のキジを見た。島の人に言ったら、珍しくも何ともないと言われた。
画像29 下甑島の長浜集落。高台の敷塩神社に登ると、集落の奥の小学校と桜がよく見えた。
画像30 下甑島、長浜の民宿あづまの夕食。女将さんは宿の前は居酒屋をやっていたというだけあって、料理は美味しかった。白子が入った旬のイサキの塩焼きは最高。

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