見出し画像

2021年12月 宮古諸島へ 伊良部島・下地島篇

1日目:那覇市
今年最後の旅は宮古諸島へ。今月は西表島に続いて2度目の沖縄入り。那覇で乗り継ぎ時間がたっぷりあるので、町へメシを食べに出かけた。国際通りは日曜というのに閑散としていた。さすがに観光客や修学旅行もいなくなったのかなあ。後で地元の人に聞いたら、沖縄本島は今、レンタカー不足で観光客を受け入れきれない状態になっているとか。

画像1

24時間営業の食堂でビールセットをやり、金月そばで旨い沖縄そばを食べた後、故東松照明さんの奥様がやっておられるギャラリーで若手写真家の写真展を観てきた。会う度に奥様は、いま何をしていらっしゃるの?と訊ねられるので、完全リタイアして旅三昧です、と同じ答えを返すのだが、その都度、まあいいですねえと少々憐憫の表情を浮かべて笑われるのだ。

画像2

那覇空港から下地空港まではスカイマーク。スマホに座席指定済みの搭乗券もどきもあるが、それでは搭乗不可、QRコードを読み取って紙の搭乗券を発券する必要がある。ダルい。

画像3

那覇空港にはいつも自衛隊機がスタンバっている。

画像4

機内はさすがに成田~那覇までのジェットスターとは違って、座席間隔も広く、おまけのマスクとチョコも配ってくれた。

画像5

下地空港へは18時前の到着、降下を始めると日が沈む方向に石垣島と西表島の島影が見えた。

画像6

==============================
1日目:伊良部島
この日は、下地島に隣接する伊良部島のハンモックの宿、カサ・デ・アマカ。2年半ぶりに宿泊。実はその間に移転していた。ご主人Sさんが空港へ迎えに来てくれ、チェックイン。他にお客はいない。

画像9

早速、近所のおでん綾へ腹ごしらえに。何はともあれ生ビールとおでん、これで小盛り。ビールジョッキを凍らせてあるのはいつものお約束。テビチが旨い。

画像7

2年半ぶりに来たとママさんに話していたら、今日釣ってきたというアジを煮付けにしてサービスしてくれた。これが上品な味付けでめっちゃ旨い。奥の座敷に大学のゼミグループだろうか、女子5名と教授かな老人1名、助手かな若手男子1名の集団が入ってきた。
ぼくはビールから泡盛に変えて、〆の1品。野菜炒め。が、1人前がスゴイ量。奥のグループも同じものを頼んでいたので、半分ぐらいをあちらに差し上げて下さいと頼んで、減らしてもらった。それでもたっぷり。スパムと豆腐とキャベツ、モヤシなど。ご馳走さんでした。

画像8

宿に帰ると、ご主人Sさんとウイスキータイム。最近、眼の手術をされて、酒も飲めなかったのがやっと復活したそうだ。ご自慢のコレクションから、まずは、ウシュクベ。上品な香りと味わい。吞みやすい。でも高そうだな。

画像10

次はバランタインの年代物。さらに台湾のKAVALAN。これは台北に行った時に吞んだことがある。確か土産でも買ってきた。さほど高くないけどバランスの取れたいい酒。Sさんは漫画Barレモンハート全巻を読んでウイスキーの勉強をしたそうな。そもそもSさん、コロナ前は毎年2月頃は宿を閉めて1ヵ月くらい中南米をされてきた人。それで、ハンモックの宿を始められた。前に泊まった時は、昔、取材で宮脇俊三さんとペルーに行った時の話などして盛り上がったのだった。今夜も美味しいお酒を酌み交わしつつ、楽しいおしゃべりタイム。実は昔の宿は数十mしか離れていない。そこを出なくてはいけなくなった経緯、今の場所を見つけた話などなど。現在は建物の2階部分しか使ってないが、いずれ階下も改装するかもとも。ちょうどコロナでお客さんも来られなくなった間に、手づくり改装をしてオープンされたのであった。
その後、グレンフィディック、ボウモアと吞み続けて、お開き。

画像11

2日目:伊良部島
さて、翌朝はパンとゆで卵、コーヒーの朝食をいただいて、周辺をお散歩。昨日は暗かったので宿の全容もイマイチ分からなかったが、こんな感じ。マスコットの白いネコちゃんがお見送り。

画像16

画像13

画像14

で、すぐ近くの昔のカサ・デ・アマカは、外壁のペイントなどはそのままで使われていた。

画像15

伊良部島と下地島の間には複雑に入り組んだ入り江があり、何本かの短い橋で繋がっている。これが独特の景色を生み出している。

画像16

さて、今日は昼前に下地空港でレンタカーを借りる予定。それまで自転車を借りて下地島を一周して来よう。まずは佐和田の浜へ。潮が引くと、冒頭写真のように岩がいくつも剥き出しになる不思議な浜に変身する。一番いい場所にホテルを建設中。数年前から伊良部島周辺は大バブルが始まって、海岸沿いの美観地域はどこもかしこもホテルやカフェ、別荘などで埋め尽くされてきて、今もなおその延長線上にある。

画像17

おや、道路にカニ。オカガニかな。これは美味くないらしい。

画像18

違う角度から見た佐和田の浜。

画像19

この先、車は入れないが、自転車は空港の滑走路の先を回りこむことができる。そこには通り池、という名所がある。

画像20

空港を回り終えると、一面のサトウキビ畑。ちょうど刈り取り時期。サトウキビ畑のほかにはカボチャ畑。

画像21

宮古一帯に欠かせないのがマモル君。

画像22

自転車を返して、荷物の一部は部屋に置かせてもらう。3日後にはまたここへ戻って1泊するので。空港までゆっくり歩いて30分弱。道端にはネムノキの仲間かな、白い花。
とりあえず、ここまで。後は別の日のお話です。

画像23

===============================
4日目:伊良部島
宮古島、来間島、池間島、大神島と回り終えて、また伊良部島に戻ってきた。カサ・デ・アマカに荷物を置いて、車で伊良部島北部へ。白鳥岬、風が強い。フナウサギバナタ、展望台があり、かつてはその展望台の上に大きな鳥が屋根となって作られていたようだが、今は壊れたのか、ただの高台のみ。海を見れば、白波が砕け散っている。

画像24

画像25

伊良部島の東側、橋がない頃は連絡船が宮古島と行き交っていた佐良浜港。ここは今もカツオ漁の基地。町外れの高台に大主御嶽がある。行ってみたら大主神社と書かれていたので賽銭箱の前でお詣りしたが、後であそこは今も御嶽で鳥居の中には入ってはいけないのだと教えられた。バチがあたりませんように。

画像26

その向かいには、いかにも御嶽らしい御嶽。こちらはもちろん外から手を合わせただけ。

画像27

坂道が続く狭い道の町並みは漁師町らしい風情。

画像28

ただし、廃墟が多い。取り壊された家もちらほらあるが、中には建物はそのままで、家財や食器などが放置され、荒れ果てた家もあり、ちょっとコワイ。

画像29

港に面した公園の一角にはこんな碑も立っていた。

画像30

少し坂を上がると、カツオブシ工場直結の土産物売店もあった。ニンニクなどを混ぜ込んだカツオフレークを土産に買い求めた。

画像31

島の中央部を横断すれば車で10分もかからず宿に戻れた。さて、今夜のメシは、民宿もやっているマルヨシで。

画像32

泡盛、宮の華をやりつつ、スクガラス豆腐、アオサかき揚げなどをいただく。アオサの風味が好ましい。

画像33

量が多そうだったので、ちゃんと1人前払うから少なめにしてね、とお願いしておいたけど、やっぱり量が多い。もう1品食べたら、もうお腹いっぱい。ナス味噌炒め。ここにも豆腐たっぷり入っていて、もう満腹。ご馳走様でした。女性ふたりでやっておられたが、客は他におらず、ほとんど会話もさせてもらえず。

画像34

宿に戻りシャワーを浴びた後は、今宵はSさんとラムタイム。BGMはジャズ。てっきり、レゲエやスカなんかがお好きなのかと思いきや、一番好きなのはジャズとのこと。
ラムの前に今夜もスタートはウシュクベ。ラムのトップバッターは、レモンハート。な、なんと、アルコール度数75.5%。いや、きついけど旨いなあ、これ。過ぎたら、ぶっ倒れそうだけど。

画像35

お次はインドでボトリングされたラム酒、マクダウェルズ。まあ吞みやすい。で、さらに次は、お人形のボトル。トリニダード・トバコのお酒。アンゴステュラ。このボトルは幻の酒なんて言われてるらしいのは帰宅後調べてみて分かった。なかなかいい感じ。

画像36

で、その後は、ロン・パルマ・ムラータ(キューバ)。これはサイコーに上品で旨い。いつまでもころがしていたい感じ。グラスの残り香でさえ十分楽しめる。Sさん曰く、葉巻やりながら吞んだら最高ですよ。これも帰宅後調べたらめっちゃ高いやんか。〆はパンペオ・アニヴェルサリオ(ベネズエラ)。少々甘くて吞みやすい。うーん、こんなにあれこれラム酒を飲んだのは初めて。

画像37

カサ・デ・アマカの部屋は造りこそ素っ気ないが、壁には異国情緒漂う飾りがたくさん。遠い国々の夢など見ながら、ハンモックで揺られるのはいい気分。

画像38

5日目:伊良部島
翌朝は最終日、朝ご飯を食べ、チェックアウトして、再び宮古市役所へ。

画像39

画像40

空港でレンタカーを返す前に、最後にもう一度佐和田の浜へ。

画像41

==============================
5日目:下地島
下地空港は南国ムードたっぷりのリゾートエアポート。ゆったり搭乗時間待ちをできる。

画像43

画像43

画像44

画像45

==============================
5日目:那覇市
帰りも那覇で乗り継ぎ時間たっぷり。知人に空港へ迎えに来てもらい、町中で沖縄そばのランチとカフェでコーヒーを飲みながら、おしゃべりしてきた。那覇発成田行き最終便のジェットスターは、ほぼ満席。その半分ほどが若いアメリカ人男女。沖縄の基地で働いてる人たちかしら。キャンプハンセンでクラスター発生のニュースがしきりに流れていたので、かなり不安な気持ちで成田までの機内を過ごした。

画像46

画像47


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?