2019年10月 粟島の宿と食

画像1 着いた日は祭なので店もすべて休み。昼食は宿で名物のわっぱ煮を食べた。焼いた石を入れてジュッと加熱する。
画像2 粟島の宿は、たてしま。同行した友人が島の知人から、島で一番珍しいものを食べさせてくれると紹介された宿。2泊した。
画像3 わっぱ煮の中身は、タイ、イシダイ、メバル、カワハギ、アイナメの5種。すべて焼いてあって、すごくいい出汁が出ていた。イシダイの皮はプルプルして旨い。
画像4 わっぱ煮と一緒に改装も。この地ではナガモと昔から呼ばれていたそうだ。でも食べ始めたのは昭和30年頃、山形の人が来てから。ギバサとも言うが、標準名はアカモク。佐渡や能登、丹後など日本海側ではよく食べられる。
画像5 たてしまの初日の夕食膳。昼、わっぱ煮を食べながらご主人とあれこれ話して、我々が珍味系大好きなことを知って、ご主人が腕を振るってくれた。焼き魚は舌平目、煮付けはサワラ、揚げ物は鱈のエラ、カゲとフキ、それにタコと紅ショウガ。タコのアタマは酢味噌。
画像6 刺身は、まず中央のレンコダイ、皮目を炙って。甘みが濃い。下の青魚はサワラのたたき。これも旨味十分。右はヒラマサ、しかもハラス部分で脂がたっぷりのっていた。
画像7 マダラの胃袋。重曹で煮ると柔らかくなる。柔らかな味の酢の物に仕上げてあるが、柑橘の皮が風味を添えている。
画像8 マダラの真子は醤油に漬けて。味は薄味で美味しい。気がつかずに大根おろしと思って食べる人もいるとか。
画像9 マグロの心臓、心臓の弁、白子などは、やはり重曹で煮て柔らか仕上げ、ギョウジャニンニク醤油漬けと和えて。絶品。
画像10 小千谷の酒蔵で仕込まれた、島でしか呑めない吟醸酒粟島。味はすっきり系。
画像11 翌朝、宿の前の港には朝陽が輝いていた。昔は宿の前はすぐに砂浜だったそうだが、埋め立てられ、島とは思えない幅の広い道路が作られた。
画像12 朝食も思わず一杯やりたくなるおかずばかり。マス塩焼き、カメノテ、トビウオ卵、シッタカ、ナガイモ、煮物、アオリイカのエンペラが具の味噌汁。
画像13 カメノテは薄味の出汁で煮てある。身が旨いのは当然だが、つい煮汁も飲み干してしまった。
画像14 これが絶品、トビウオ卵。極く極く、薄味でたいてある。大きめの卵の一粒一粒の食感がたまらない。素材の味がほんわり口の中に広がる。
画像15 小ぶりなシッタカ。安全ピンを加工して、殻の中に潜り込んだ身を尻尾に付いてる肝まで、くるんとほじくり出せる。
画像16 食堂の壁に貼ってあった手書き新聞。昭和39年の新潟地震で島全体が1m以上隆起したそうだ。
画像17 たてしまには有名人もたくさん泊まりに来ているようだった。南伸坊さんも来ていたとは! 現役編集者時代、ずいぶん奥さん共々、お世話になった。
画像18 2日目のお昼は本当は釜谷集落のかもめ食堂で食べるはずだったが、営業していなかったので、内浦の食堂あわしま屋で食べた。
画像19 あわしま屋の中華そば。昔風のあっさりした支那そば系。懐かしい味わい。
画像20 たてしまのご主人が今夜の支度をしていた。7キロの大物ヒラメ。ちなみにご主人は、ぼくや同行した友人と同じ、昭和29年生まれだった。
画像21 漁火温泉おと姫の湯で一風呂浴びた後、お酒も売ってる丸屋商店で店内立ち飲み。次々と島の方々が買い物にやってくる。ここは島のコンビニだな。小学校の先生も時々、立ち飲みに寄るとか。
画像22 缶ビールの後は、ワンカップ朝日山。常連さんがひとりやってきて、定位置に陣取った。島の社交場でもあるんだな。
画像23 たてしまの2日目の夕食膳。刺身、ブリ煮付け、アジフライ、アマダイ塩焼き、サザエ、ウミゾウメン、グメ、タイ鱗揚げ。
画像24 グメはアワビの孫ぐらい小さな貝、と教えられたが、カモガイという岩場に張り付く小さな貝らしい。なかなか酒の肴としては上等な旨さ。
画像25 タイの鱗の唐揚げ。パリパリでいいおつまみ。
画像26 この日の刺身はアマダイとオコゼ、そしてもう1種類は最初はタイと言われたが、実は大物ヒラメだった。タイと見紛うぐらい厚切りにしてあり、美味しかった。でも、アマダイとオコゼの旨さはそれ以上、別格の旨さだった。
画像27 2晩目はこれまた粟島でしか呑めない、粟島産のじゃがいもで造った焼酎、んっぽん。生産数が限られるので、丸屋商店でも売り切れていた。
画像28 この夜のおつゆは、タイとサワラとブリのアラ汁。数種類の魚を混ぜると、アラ汁も旨味を増すという。
画像29 3日目の朝、朝食膳。カボチャ煮、温泉卵、〆サバ、シシャモ、イモタコ煮、イカゲソタマネギ炒め、タケノコの味噌汁。
画像30 サバは酢と出汁で〆てあり、塩は不使用。まるで刺身のような食感。柿との相性バツグン。これも酒がほしくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?