2019年1月25日~28日 沖縄中北部、伊江島、読谷闘牛大会

画像1 1月26日。本部港から出航したフェリーぐすくが瀬底大橋を潜ると、行く手に目指す伊江島が見えてくる。ぐんと突き出た山が城山(ぐすくやま)で、伊江島タッチュウと呼ばれている。タッチュウとはとんがりの意味。
画像2 1月25日。那覇空港からレンタカーでやんばるを目指した。遅めの昼メシを食べたのは大宜味村の前田食堂。名物の牛肉そばはてんこ盛り。もやしと牛肉を食べても食べてもなかなか麺に辿り着けない。
画像3 1月25日。大宜味村から国頭村へ北上し、戻って東村へ抜けた。カヌチャリゾートを過ぎると、やがて大浦湾の向こうに辺野古の海が見えてきた。キャンプシュワブのゲート前には誰もいなかったが、辺野古の町の道路脇に小さなメッセージボードを持った女性が、ひとり無言で立って抗議していた。
画像4 1月26日。本部港からフェリーぐすくに乗り込んだ。700名定員、昨年夏に就航したばかりの新造船。伊江島までは30分。
画像5 フェリーぐすくが瀬底大橋をくぐり抜け、しばらくすると、瀬底島の向こうに小さな平らな島が見えてくる。本部村に属する人口40人あまりの水納島。クロワッサンアイランドと呼ばれて、訪れる観光客も多い。
画像6 伊江島の城山山頂から本部方面を眺める。山頂からは360度の眺望が得られる。この日は風が猛烈に激しく吹いて、体が飛ばされそうなほどだった。反対側の海は白い波が立ってシケ模様。
画像7 伊江島のアシは電動レンタカー。短時間で島内を巡るには便利。6時間まで3500円。返却時に走行距離に応じて電気代を支払う仕組みだが300円だった。
画像8 伊江島はユリの産地として有名。春先が開花期で、島の北側にあるリリーフィールド公園ではGW中にゆり祭りが行われる。冬場は閉園中だったが、スミレの花が咲いていた。リュウキュウコスミレだろうか?
画像9 湧出(わじ)。断崖の下に水が湧いていて昔は貴重な水源だったという。海が荒れて厳しい光景が広がっていた。
画像10 伊江島南西部の海岸近くにある、ニャティヤ洞。戦時中は防空壕として使用され、多くの人の避難場所となっていたため、千人ガマ(洞)と呼ばれていた。
画像11 伊江島タッチュウにほど近い集落内にある島村屋観光公園。資料館には昔の道具類の他、戦争関連の遺物なども展示されている。手前の小屋には生きたハブが飼われていた。
画像12 1月26日。伊江島からの帰りに読谷やちむんの里に立ち寄った。20近い工房が一帯に集まって作陶している。毎年12月には陶器市が行われ賑わう。
画像13 やちむんの里にある登り窯。昭和55年に作られて以来、共同で使われてきた。
画像14 コザの町中で出会ったネコ。島ではよくネコを見かけるが、町中ではあまり出会う機会はないように思う。
画像15 1月26日、夜。コザの繁華街。内地のいわゆる居酒風の店が最近増えてきた。走りはパークアベニューの足立屋ではないかと思うが、足立屋は那覇の牧志公設市場脇にまで出来ていて驚いた。
画像16 1月27日。うるま市の海中道路を走っていくと、日曜とあってか、ウィンドサーフィンのボードがたくさん海上に走っていた。
画像17 海中道路の先、ぬちまーす観光製塩ファクトリー脇にある果報バンタの絶景。とある土産物を探しに出向いたのだが、見つからなかった。
画像18 1月27日。うるま市石川多目的ドーム闘牛場で読谷闘牛大会が行われた。トラックで牛たちが続々運ばれてきた。
画像19 多目的ドームといいながら、これはもう完全に闘牛場専用の造り。観客席には近くの基地に勤務しているのだろうか、子連れの外人さんファミリーが多くて、びっくりした。
画像20 闘牛場中央には盛り塩が3つ。実は、沖縄奄美の闘牛をナマで観戦するのはこの日が初めてだった。
画像21 この日の大会では10番の取組が組まれていた。まずは軽量級から試合開始。軽量級といっても800㎏以上のクラス。
画像22 見事に勝負に勝った牛には晴れがましい“ガウン”が被せられて披露される。こういうパフォーマンスなしにさっさと引き上げてしまう牛もいた。
画像23 1トン近い重量級の取組で15分近く組み合った一番。たがいに血まみれ。どちらも譲らず、場内の実況アナウンスも一際熱が入った解説が叫ばれていた。勝負が付いた時は、割れんばかりの大拍手がおくられた。
画像24 勝った牛の角に飾りを付けてやる場面も見られた。この日の取組は組み合う前に勝負がついてしまう不戦勝が非常に多かった。
画像25 1月28日早朝。コザの繁華街のビルの壁に描かれた落書きアート。ゲストハウスへ朝食を食べに行こうとしたが、開店前だった。結局、コンビニ飯になった。

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