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神の気配を感じてしまう、宮古列島の小島、大神島

ゆうゆう2022年12月号掲載

 宮古島の北に浮かぶ小島、大神島(おおがみじま)は、宮古市に属する有人島で唯一、橋で繋がっていない島。人口20数名。秘祭、祖神祭(ウヤガン)が今も伝わる「神の島」。島内の多くは聖域で立入りすらできない。

 島旅に詳しい友人から、数年前からやっと島内に宿泊できるようになったと聞き、昨年暮れに訪れてみた。島尻(しまじり)漁港から小船で15分、大神港に着く。同乗の中年女性は、男ふたりを供に引き連れ、お菓子や食品、日用品などで膨らんだビニール袋をいくつも運ばせている。島の実家に里帰りだろうか。

 港から右手に上がると、小中学校の廃校跡。その向かいが、おぷゆう食堂。今夜の宿である。食堂兼売店兼島ガイド兼民宿。この島出身の大浦さんが親の介護のために沖縄本島の家族と離れて単身帰島したが、島内には商店もなければ休憩場所もなく、島の活性化のためにと、旧教員宿舎を買い取り、2013年に食堂を開業。その後、宿泊も可能にした。島内最年少、下地さんと2人で切り盛りしている。

 食堂奥の部屋に荷物を置き、宮古そばのランチ。食後、周辺をぶらついていると、午後の船が入港した。下船したご夫婦が、島内ガイドツアーの予約をしており、ぼくも便乗させてもらう。

 電動カートに乗って出発。下地さんがガイド役。まずは港の一角に祀られた神様の岩にお詣り。本当は島に来たら真っ先にお詣りすべきだったようだ。今の船で来た団体客一行も、案内役の女性がお供え物をして参詣するのに倣ってお詣りしている。供え物は置きっぱなしにしてはいけないと注意書きがあり、きちんと回収していた。パワスポ巡りツアーのようだった。

 島の中心の高台にある遠見台を目指して、長い階段を登る。手前のバナナ畑は92歳になるオジイが栽培しているそうだ。聖域があるので脇道へ入るのは禁止。秘祭ウヤガンのクライマックスは数日間の山ごもり。期間中は島人も山には一切立入禁止。神と対話できるウヤガミと呼ばれる神女が、睡眠も食事もとらず、祈り続け、夜通し神唄を口ずさみながら儀礼小屋と御嶽(ウタキ)との間を行き来する。昔はその神女が10名もいて、集落まで山から唄声が聞こえたそうだが、今では89歳の老女がひとり大役を果たしている。

 遠見台からの眺望は素晴らしい。島は周囲を青いサンゴの海に囲まれ、西には宮古島、その北には橋で結ばれる池間島。ここまでずっと先導してくれた、12歳の老犬ユリも寛いでいる。島で唯一の犬。ネコは人間より多くて、50匹以上いるようだが。

 山を下りて、カートに再び乗り、島の西岸を進む。北端で道路は唐突に終わる。道路工事中に祟りが起きて、中断せざるを得なかったという。さすが、神の島。海には、ノッチと呼ばれる奇岩が並ぶ。波に浸食され根元が細くなり、いつ倒れてもおかしくなさそう。

 港に戻ると、そろそろ最終便が出る時刻。日帰りの人達が乗船して帰ると、島は一気に静まりかえった。

 さて、他にすることもなく、食堂で呑み始める。つまみは、おまかせで出してくれた。店の名物、自家製カーキタコ(タコの燻製)とタマネギの炒め物。パタレ、という小魚の刺身山盛り。どれもこれも旨い。泡盛が進む。

 食堂のふたりに、島の人がひとり加わり、四方山話で盛り上がる。下地さんは、アキ坊と呼ばれて小僧扱い。最年少とはいえ、50代半ばというのに。

 ぼくと同じ船で来ていた女性は島の人かと訊くと、誰かなと皆さん不思議そうな顔。彼女が話をして、持参してきた多くの土産を渡していたのは、島の神女で、あんな身内はいないとか。

 夜も更け、皆さんが自宅に引き上げると、雨風が強まった。暗い部屋で、ひとり秘祭調査報告資料を読んだ。

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