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202103 黒糖焼酎を堪能した、闘牛の島・徳之島の夜

 昨年3月初旬、これまで訪れたことがなかった徳之島へ出かけた。4月から5月までステイホームとなるとは、その時は思いもよらなかった。

 奄美大島で飛行機を乗り継ぎ、徳之島に着いたのは18時半。レンタカーを借りて、空港とは反対、島の東側の海縁に立つ宿「遊学リゾートきむきゅら」に着く頃には陽もすっかり落ちていた。

 部屋に荷物を置いて、食堂へ行く。ワンドリンクサービスで生ビールをもらい、席に着くと、まずは刺身とサラダ。嬉しいことに、卓上の黒糖焼酎は自由に吞んで下さいとのこと。刺身は、ミーバイとソデイカと甘エビ。小鉢は豆腐のあんかけ。黒糖焼酎をお湯割りにして吞んでいると、青竹を割った器が運ばれた。中には熱々の豚骨付きあばら肉(ソーキ)の黒糖煮がたっぷり。いい宿に巡り会えたようだ。

 翌朝、目覚めると、窓の外は大海原。宿に入った時は真っ暗だったから、こんな素敵な立地とは分からなかった。海辺へ下りると、ジャガイモ畑。波打ち際で、海の上に昇る朝日を眺めた。周囲にはイソヒヨドリが何羽もいる。

 宿を出て、島の西側の港町、平土野(へとの)へ。小さな町だが、塀や壁、あちこちに色鮮やかな絵が描かれている。漫画チックな絵もあれば、大胆なウミガメ、壁一面の大きな蝶の羽…。商店街活性化のためのプロジェクトで、地元の高校美術部員や地域おこし協力隊員らが描いたアート作品。応援したくなる。

 空港近くにあるウンブキという名勝は、海中から隆起した鍾乳洞。今でも海と繋がっていて珍しい生物が棲息している。近くの素朴な闘牛会場を見た後、南下。西にぐっと突き出した犬田布(いぬたぶ)岬には、戦艦大和慰霊碑が立つ。戦後長く、大和の沈没位置が徳之島の西、と伝えられたため昭和43年に建立されたが、実際にはもっと北に沈没していることが後に確認された。

 岬の駐車場に、島で栽培したコーヒー豆を焙煎して飲ませてくれる店がある。1杯650円。なかなかいい香り。奥さんが淹れてくれたが、ご主人と二人で35年前に本土から移住し、コーヒー豆栽培を始めたと話してくれた。最近でこそコーヒー豆栽培をする人も増えたが、当時は誰もやっていなくて、すべて手探りで、苦労されたそうだ。四方山話をしていたら、千葉に共通の知人がいることが分かって驚いた。

 お昼は、岬から少し南、「やどぅり」という店で。月桃の大きな葉っぱの上に、地の野菜料理、豚足、地魚唐揚げなど盛り沢山のおかずが、見た目も美しく盛られている。車なので呑めないのが残念。焼いたバナナの葉に包まれた味噌むすびは玉子焼きで包まれていた。

 食後、徳之島なくさみ館というドーム屋根の闘牛場へ。新型コロナウィルスの影響で、いつも通りの闘牛大会が開催できないようだ。併設資料館を見学していたら、係の人が、闘牛場に牛を慣らしに来ていると教えてくれた。闘牛場の匂いを覚えさせることによって、牛に縄張り意識を持たせ、戦う際に興奮させるという。若そうに見える牛はしきりに前足で蹴った砂を自分の体にかけている。お供で来ていた子供が、愛おしそうに牛にブラシをかけていた。

 この日は島の中心市街、亀津の安宿泊まり。夕食は居酒屋に出向いた。観光客向けのおまかせコースを選択。ハンダマとマカロニサラダに続いて出されたのは、夜光貝刺身。

 カウンターの端でひとり飲んでいると、同世代の島の人が話しかけてくれた。奥さんとは離婚したが、お義兄さんとは毎週一緒に酒を飲むし、自分の実家にはほとんど行かないが、元ヨメの実家にはしょっちゅう遊びに行くという。旅先の酒場でしか聞けない話だった。



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