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2024年4月 マレーシア4・ポートディクソン、マラッカ

旅の4日目。クアラルンプールのホテルを後に、郊外のバツー洞窟へ。大きな鍾乳洞を丸ごとヒンドゥー寺院にしてしまった所。

いきなり、ビックリさせられる。巨大な神様像とハデハデの階段。

いやあ、階段登り、しんどいわ。一方通行でないから、下りてくる人もいる。皆さん、自力です。登り切ると、洞窟。

鍾乳洞ではあるが、天井は穴が開いている。だから、所々、上から水が落ちてくる。寺院スペースは何ヵ所もあるが、土足厳禁。うっかり靴のまま上がって注意されてしまった。すんません。
野生の猿が洞窟内にたくさんいる。観光客の足下にも群がってくるが、日本のどこかの猿のように遅いかかってきたりはしない。身体もニホンザルよりずいぶん小さい。

ヒンドゥーの次は仏教。天后宮。

こっちも負けずに派手ですなあ。
結婚の届け出をこちらの寺でできるようで、何組かのカップルがいた。

クアラルンプールを後に、政府の機関が集まる人工都市、プトラジャヤへ。ここで働く人はほとんどが公務員。奉職中は、みなさん公務員宿舎が用意されているのだそうな。
まずは、ランチ。

マレー料理。ご飯を中央に置いて、おかずを回りに並べ、ご飯と混ぜながらいただく。

食後は、プトラジャヤ観光。最初に、プトラモスク、通称ピンクモスク。行政機能をここへ移転させるに当たり、真っ先に建造されたそうだ。

文字通り、ピンク色のモスク。
髪の毛や肌を露出している女性や、短パン姿の男性は、ガウンを強制的に着せられる。
ドームの天井。イスラム教寺院は偶像などは何もなく、礼拝するためのスペースがあるのみ。

モスクの近くには首相官邸がある。

プトラスクエアと呼ばれる広場から眺めた首相官邸。

プトラジャヤの町の中はバス車内から見学し、今夜のホテルのあるポートディクソンを目指す。1時間半ほどの行程。

高速道路の沿線風景も、またまたアブラヤシ畑ばかり。

やがてポートディクソン到着。田舎町の風情。海岸に突然、大きなリゾートホテルが現れる。レクシス・ハイビスカス。泊まる部屋は海上コテージ。

各部屋にはプールが付いている。その脇にはサウナもある。
部屋も広々していて快適。

本棟の13階へ上がると、ホテルの全容が見える。

ハイビスカスの葉っぱと花びらと突き出す雌蘂をかたどってコテージが建っている。割り当てられたコテージは手前の方の葉っぱの部分。先の方へ行くほど部屋代が高くなるみたい。一番高い部屋は、雌蘂の先っぽのプレジデンシャルスイート。

今日はさすがに15時半過ぎにホテルに着いた。夕食もホテル内なので、それまでプールやサウナに入って寛ぐことができた。
問題は、夕食だ。このホテル、圧倒的に中国人客が多い。が、なぜか日本食レストランがあり、今夜はそこで日本食だという。

やっぱり大外れだった。左上は蕎麦だけどマヨネーズまみれ。右上のサケは甘いタレで焼いてある。そして右下、なぜかタコ焼き風。寿司はマヨネーズをかけてあるし。そうそう、真っ先に茶碗蒸しが出てきた。で、その後に、いきなりご飯とみそ汁。しばらくして、このおかずが登場。笑えないなあ、貴重な旅の1食なのに。

食後、最上階のバーで夜景を楽しみつつ、食後酒を1杯。

こういう時には、ジンソーダが一番無難。
夜景はそれなりに美しい。

明日の朝は出発も9時半と珍しくゆっくりできる。

ウサギのぬいぐるみはホテルからのプレゼント。

まあ、ぐっすり眠ることはできた。早朝、プール脇に出てみたら、電灯の明かりはあるものの、多くの星を観ることができた。

部屋と本棟の間はカートで運んでくれるが、歩いてもさほどの距離でもない。
料理のバリエーションは今回泊まったホテルの中でも最も多かった。麺類コーナーへ直行。
幅広の米粉麺を選択した。
部屋までの通路は、コウシュンカズラだろうか、いかにも熱帯風な黄色い花に彩られていた。
ベッドルームとプールの間には、シャワーブースやトイレ、洗面所があるが、床はガラスが嵌め込まれていて、下の海が見える。が、決してきれいとは言えず。海で泳ぐ人もいないのではないかな、ここらでは。部屋のプール以外にもプールはあるし、海水を引き込んだ海辺のプールもある。

ポートディクソンからマラッカまではバスで1時間半。暑くなる前に、まずは世界遺産マラッカの町を歩く。

店の軒先にヘチマがぶら下がっていた。左下の黒いのは黒糖。
中国仏教寺院で線香をあげてお詣りしている人たちがいた。参拝者それぞれで、回る順番や線香をあげる場所など違うようだった。
現地風ドレスのレンタルショップの店先。
マラッカ旧市街、メインとなるジョンカーストリート。完全に中華街のノリだなあ。

そして、少し前にNHKの世界街歩きで見た運河に出た。

マラッカ川沿いに、船から様々な交流資源を水揚げする貿易拠点があった。
マラッカはまずポルトガル、次にオランダ、そしてイギリスとヨーロッパ各国が貿易拠点として統治し続けた。ここはオランダ広場。正面には古い教会。
広場には観光客を乗せるトライショーがいっぱい駐まっている。なぜかキティは大人気。

広場の上には、あのザビエルゆかりの教会が建っている。

教会まで登る途中、後で寄る予定のマラッカタワーが見えた。
ザビエルは、ここマラッカから日本へ渡り、そして戻ってきたが、母国へ帰る船を待つ間に亡くなった。
教会からマラッカ海峡を眺めると、沖にはクルーズ船が停泊していた。
ザビエルゆかりのセントポール教会。1521年に建てられた。今は外壁だけが残る。奥にザビエルの墓だった場所がある。この日は日差しが強く、暑かった。

その後、サンチャゴ要塞へと下り、涼しいショッピングモールの中をくぐり抜けて、バスへ。ランチは、現地の料理、ニョニャ料理。

ニョニャ料理、期待したら、昨日の昼とほぼ同じ。食後のかき氷は美味しかった。ココナツミルクと小豆、プルプルしたゼリー状のものが入っていて、全体に甘さ控えめ。

午後は、このツアーで初めて買い物タイム。小さな店でお菓子が主体。あとはナマコ石けん。民芸品などを期待したが、見当たらず。

最近、加藤登紀子さんがこの土産物店に来たそうで、写真が飾ってあった。

午後の観光は、マラッカタワーとマラッカ海峡モスク。

マラッカタワーは、回りながら円形状の展望台が80mまで昇っていく。古い町並み方面の眺め。

金曜日のため、モスクは特別な礼拝日。14時半から見学可能のはずが、15時まで入れず。バスで待機。

お祈り疲れしたのか、床に横たわる人たちがいた。
マラッカ海峡に浮かぶモスク。
モスクの近くにきれいなピンクの花のようなのが見えたので撮影したが、花ではなくガクらしい。ムッサエンダという樹で、花は黄色い小さなのが咲くようだ。

さて、これで観光も終えて、最後のホテルはまたクアラルンプール。今回も違うホテル。結局、3泊したが、すべて違うホテルだった。その前に最後の食事。明日は朝食を食べる暇もない。4時過ぎにホテル出発。

高速道路の車窓。こちらでは集合住宅はどこでもこのような長屋方式みたい。横にかなり長く続くのが特徴。古い住宅は平屋、最近のものは2階建て。
最後の食事はマレー料理。が、ここは違うホテルの朝食場所。ちゃんとしたレストランでもないし、何より、昨日の昼から、今日の昼、夕食とすべてほとんど同じじゃないか。今回のツアーは食事は完全に外れだった。

ホテルにチェックインしたのは20時半頃。すぐ近くのコンビニ3軒、さらに足をのばして22時まで営業しているスーパーへ行ってみた。

そこそこ大きなスーパーだったが、さほど面白いものは見つけられず。少しだけ買い物をして、帰りがけにホテル近くのコンビニで缶ビールを買って帰り、寝酒とした。

帰国日、ホテル出発は4時15分。サンドイッチとバナナと水の入った袋を渡され、車内で口に押し込んだ。飛行機は定刻、7時15分発の予定が30分以上遅延。が、成田には定刻前に到着してくれた。

クアラルンプール空港。かなり広い。
朝日に見送られてマレーシアを離れた。

うーん、コロナ明け、昨年から3回、台湾、アンコールワット、マレーシアと、ツアーで海外へ出かけたが、もうツアーでは行かない。無駄な時間が多すぎるし、自由行動時間はないし、何より、メシが最悪。分かってはいたことだが、うんざりだ。個人旅行に戻るしかない。

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