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行かなきゃ損の八丈島、ヘゴの森と無人島ツアー

ゆうゆう2023年12月号掲載

 昨年晩秋、いつも花目当ての山歩きを楽しんでいる仲間と、八丈島へ行くことになった。全国旅行支援の他、東京の島旅に使えるおトクな地域通貨、加えて都民優遇割引もあり、行かなきゃ損みたいな時期だった。島旅に詳しい友人に計画を話したら、同行してくれることになり、心強い限り。
 羽田から飛行機で八丈島へ飛び、レンタカーで島巡りスタート。まず、八丈富士の七合目へ向かった。
 目に飛び込んできたのは、ハチジョウアザミ、イズノシマダイモンジソウ、ハチジョウアキノキリンソウなど、島ならではの秋の花。盛り上がる。
 登山道はずっと階段。延々登り続けて50分、やっと火口壁に着いた。そこからお鉢巡りをして、標高854mの山頂まで往復。霧が立ちこめ、周囲は真っ白。分岐まで戻り、お鉢の中へ下って、浅間(せんげん)神社にお詣りした。小さな社の前に拳ほどの石が山積み。多くの石に青いドラえもんが描かれていた。
 下山して、ヘゴの森に向かう。八丈島のジュラシックパークとも呼ばれる貴重な動植物の宝庫だが、私有地で、公認ガイド同行を条件に限定開放されている。もちろん有料ツアー。
 案内役の高橋さんは、ガイドの他に八丈砥石や木工品の制作販売などを仕事にしている。大好きだった八丈島に通い詰め、移住したという男性だ。
 ヘゴとは木のように大きくなるシダ類で、ヒカゲヘゴがよく知られるが、八丈島はその北限地。森にはリュウビンタイなど、シダ類が数十種類も生えている。背の高いヒカゲヘゴが生い茂るあたりまで来ると、まさに恐竜が現れそうな雰囲気。解説を聞きながら、2時間ほど森を歩くのは楽しかった。
 翌朝、幸い天気も良く、今回の旅の目玉、八丈小島ツアーは催行されそう。集合場所の八重根(やえね)漁港には、渡してくれる漁船が停泊していた。船長さんは中学まで八丈小島で暮らしていたという方だった。我々の他に、40歳前後の男性4人組とダイビンググループ。八丈小島に港はないため、波が穏やかな日で、しかも一定の人数が集まらないと船を出してもらえない。
 八丈小島には室町時代から人が住んでいたと伝わり、平安末期には源為朝がこの島で自害したという伝説も残る。が、昭和44年、全島民が離島した。
 穏やかな海を走り、八丈小島が目の前に迫ってきたが、どこに上陸するのか見当も付かない。やがて岩礁の先に、荒削りな石段が見えた。舳先のタイヤが波で崖に寄せられる間に、飛び移る。
 少し登ると、開けた平地。一面、イソギクが黄色い花を咲かせている。ここからは岩崎さんという女性ガイドの話を聞きながら歩く。
 集落跡は急坂をさらに数十m登った先にある。そこまでの小径は、なんと都道で、春先には東京都が道の両側の雑草刈りをするという。
 離島時に、島のこちら側、南側の宇津木地区は人口31人、反対の北側鳥打地区に60人が暮らしていた。鳥打の方が平地が広い。絶滅危惧種のクロアシアホウドリが繁殖活動を行う秋から春は北側へは上陸できない。
 集落までの斜面には、拝み場所遺構や墓石などが残っている。石組が残る集落跡を抜けると、広々と開けた平地に出た。小中学校跡。鳥打にも学校があり、互いの校庭で1年おきに開かれる運動会には全島民が参加したそうだ。
 下の平地まで戻り、自由行動。我々は花目当てなのでイソギクなどの写真を撮って歩くが、一緒に上陸した4人組はここでビールを飲むのが目的とかで、早速一杯やっていた。
 彼らはもともと青ヶ島行きのヘリコプターの予約をしていたが、欠航のため急遽、こっちへ来たという。日本各地の港に6隻のクルーザーを係留してるという、リッチなご一行様だった。

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