虐待のススメ ②受験

小学校5年生くらいから、中学受験のシーズンに入った。それは虐待のシーズンの始まりでもある。

当時はまだ中学受験は少数派で、受験組はクラスに3人くらいしかいなかったと思う。私もなぜみんなと違う中学に行くために、死ぬほど勉強させられているのか、しばらくは理解できずにいた。

私の両親は共に高学歴ではない。中学も公立に通い、母に至っては祖父のコネでOLをやっていた。そのせいか、学歴への執着心が尋常ではなかったのだろう。私を大学付属の有名中学に入れることに躍起になっていた。

しかし。もう一度言うが、私の両親はともに高学歴ではない。つまりその子どもである私も地頭は決して良くない子どもだった。毎日朝6時に起きては、学校へ行くギリギリまでドリルに勤しみ、学校で出た宿題は休み時間に終わらせ、帰宅するなり塾のリュックを背負って、夜まで集団に埋もれながら詰め込み教育。家に帰っても、夕食の時間は15分ほどで、そのまま塾の宿題やテスト対策、過去問、単語の暗記、模擬テスト・・・今思えば体重30kg台のか細い体で、よくこれだけのタスクをこなしていたなと思う。

ただ、勉強自体はやればいつか終わる。それ以上に私を苦しめたのが、虐待だ。

どんなに勉強しても、なかなか成績の上がらない私がよっぽど憎かったんだろうか。殴られるのはもちろん、ペン先で頭を何度も刺され、辞書を頭に投げつけられ、裸にされ体を蹴られ、時には頭を踏みつけられた。何度も頭を痛めつけられたせいか、常に脳みそが揺れていたように思う。家の柱が揺れているように見え、茶色い木の柱であるはずなのに虹色に見え、虐待を受けていない時にも、家中にある全てのものが私に迫ってくるような恐怖を感じていた。

この頃から、精神的な虐待も始まった。

死んじまえ。産まなきゃよかった。死んだ魚みたいな目しやがって。役立たず。腐った女みたいな声出すな。・・・脳みそが常に揺れていたせいで、ほとんどの罵詈雑言は記憶にないが、勉強の辛さを忘れほどの精神的なダメージを受け続けていたことは覚えている。

そして、この頃から母の愛というものを一切感じなくなっていった。

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えんぴつ

虐待のススメ

昨今の児童虐待のニュースや、児童虐待対策関連法が成立したことを受けて、自分が幼少期に受けた虐待を振り返り、その記憶が今の自分にどのような影響を与えているのかについて、ツラツラと考えてみたいと思います。
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