お前はお呼びでないよという話

最近、昔あったブランドの再上陸がチラホラある。そもそも撤退したことすら知らないのに再上陸、と銘打たれているブランドもあれば、名前だけ同じで果たしてこれは同じブランドと捉えてもいいのだろうか、みたいなこともある。しかしそもそももうブランドというもの、記号に対してさほど大きな拘りを持っていない身になり下がってしまった私としては、何となく長く使えそうだし、しっくりきそうなシンプルなプロダクトで、常識的な価格であればそのブランドの過去がどうとかそういうことは割とどうでも良い。

ただ、アメカジの呪いにかかってしまったような人たちの中には価値観のアップデートに失敗し、一生90年代から抜け出せない様な呪いをかけられた人たちも一定数存在する。それだけその頃が良かった、素晴らしかった、という事の裏返しなのだろうけど、そういう人達は今の世の中を大変生きづらそうに生活しているので、個人的には価値観のアップデートというのは割と大事だし、柔軟にやれた方が日々が楽しくなるのではないか、と思っている。

そういう呪いにかかったような人が好きこのんでいたようなブランドやプロダクトのアップデート、復刻がされるたび、そういう人達は烈火のごとく怒りだし、SNSに呪詛の言葉を並べる。重箱の隅を突く様な細かさでオリジナルとの違いを並べ立て、当然そのアップデートされたブランドのプロダクトを買うわけでも無い。そういう人種はなぜかリサ屋に通う。そして商品の画像を撮影して、高いと喚く。法律に詳しくないけど、ああいうものをSNSにUPするのって果たして大丈夫なんだろうか、と余計な心配をしてしまう。高いと喚くだけならまだいいが、今度は自分が気に入ったプロダクトが叩き売られているとそれはそれで恨み言を書き連ねる。お前の事誰が好きなん?と粗品でなくともついつい言い出してしまいそうになってしまう。

一時期は、そういう人達は企業のマーケティング活動を阻害してるめんどくさい人たちだなぁというイメージを持っていたけど、逆に考えるとそういうめんどくさいオッサンたちがいたからこそ購入に対して二の足を踏んでいた潜在的な顧客もいたはずで、イメージの刷新とともに、そういった古にしがみつくオッサンたちを一緒に切り捨てて行った、と思う方が割といろんなことが納得感が産まれる事に気づきました。そういう意味ではマーケティングとしてリブランディングっていうのは非常に合理的ですね。売れるか売れないかわからないし、そういうブランドが刷新したとて成功してるイメージはあんまりなくて、また何もなかったかのように元に戻ってたりするけど。

そういうリブランドの裏側には伊藤忠が必ずいる、みたいな都市伝説もあったりなかったりだとは思いますが、そこに拘る人、否定する人はまずそれ以前に自分自身を省みるところから始めた方が人生楽しくなるんじゃないか、と思いますがまぁそれもひとそれぞれの価値観ということですね。

ま、そもそもこんなことを書いてる私自身もそもそもそれ以前の問題だろ、と言われると返す言葉もないのですが。



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