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結果が出ていない時の過程たち

 二人の人物がいたとします。

  • 「あの人はビリだったけど、努力した時間は選手の中でも一番だったわ」

  • 「あの子が優勝したのは、ただの才能なんかじゃない。その裏で人一倍努力していたからよ」

 「どっちの言ってることが説得力ありますか」って言われたら、まあ後者ですよね。
 ビリっけつの人間の努力なんて、基本誰も見てくれないし、周りの人もあまり覚えていてくれません。そもそも努力の仕方が間違ってるんじゃないの? と疑われるのが関の山だと思います。

 結果と過程なら結果が優先される――これはどんなシチュエーションでも同じです。
 初対面の人の間に入って互いを紹介する時、どんな風に説明しますか。本に書かれている著者紹介は分かりやすい答えの一つですね。
 合格した大学、入った会社、今までに書いた書籍、受賞歴……全部結果です。人は見ず知らずの他者を知ろうと思うと、今までの人生で積み上げた「結果」でしか判断することができないんですね。

 私が好きなゲームも同じ。
 よく開発者インタビューってあるじゃないですか。あれってそもそもゲームの出来が良くないと読もうと思えないですよね。発売前に公開される場合もありますが、そういう時も大抵、クオリティーが期待できる作品じゃないと読まれないはずです。もしくは、既に実績のある企業・人物か。

 スポーツやビジネスは特にその傾向が強い。
 ビジネスの世界だと、事業が上手くいっている間はとにかくもてはやされますし、反対に上手くいっていない(ように見える場合も含めて)間はかなり冷ややかな視線で見られます。これほど手のひらをくるくるされる世界は他にないのでは。
 スポーツはまだマシな方ですが、基本的には同じ。どんなに過去に素晴らしい実績があったとしても、最近の成績がボロクソだと、だいぶ印象が変わってしまいますよね。だからこそ「最後まで強かった」はこれ以上なく高く評価されやすい。
 イチローさんが神格化されるのは、現役時の功績はもちろん、引退した今でも150kmの球を投げるなどバリバリ活躍されているから。オグリキャップが時代を超えて人気なのも、ラストランの有馬記念を勝ったからなのは間違いない。有終の美はこれ以上ないくらい偉大です。

 今まで話した例は、そりゃ当たり前だろと一蹴されるようなことでしかありません。ただ、残酷な話だよなーとも思うわけです。
 結果が出なかったとしても、本人からすれば間違いなく努力したと言い切れる場合だって、きっと多いはずです。私にだってある。まあ私の場合、今思うと努力の方向性を間違えていたな……と考えてしまいますが。

 結局このnoteで何が言いたいのかというと、もし身近な人が何かに必死で取り組んでいる時、結果が出ていなかったとしても、努力そのものは認めてあげてほしいのです。
 誰しもが受験や就職活動で一度は体験してると思いますが、結果が出ていない時の努力ほどしんどいものはないです。自分のやり方は間違っているんじゃないかと疑い、自らを卑下しやすく、精神的にも不安定です。だからこそ、周りにいる誰か一人でも、その人の努力を認めてくれたら、それだけで大きな支えになると思います。
 努力するならもちろん結果は大事ですが、結果が出る前の「過程」がもっと大事にされるようになればいいなあと、切に願っています。

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