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『虹ヶ咲』で描かれるスクールアイドル同好会は理想の社会の姿なのかもしれない

どうも。
「アイドルものはハマらないだろうなあ」と思ってたら、普通にラブライブにハマってしまった人間です。

初めに言っておくと、私がラブライブシリーズをちゃんと見るようになったのはつい最近なんです。一応、サンシャイン一期はリアタイしていましたが、内容は忘れていますし、二期も見ていません。「μ's」の初代ラブライブにしろ、今回語る『虹ヶ咲(アニガサキ)』にしろ、自分が見る頃にはアニメの放送は既に終わっていました。
なので思い入れは特になかったのですが、最近結構ハマっていまして、時間が空いた時に視聴していました。

ところが、Liella!やμ'sのアニメを視聴し、「結構いいじゃん」と思い始めていた矢先、事件が起きます。満を持して放送された『ラブライブ! スーパースター!!』の二期が、もう本当にどうしたのってレベルでクオリティーが低かったのです。その酷さには笑うしかなく、それでも最後まで見られなかったレベルでした。
一期から怪しい部分こそあったものの、社会現象を作った「μ's」のラブライブと同じ制作陣で、まさかここまでやらかしてくれるとは思いませんでした。
そんな傷を負った私を癒やしてくれた存在、それもまた同じラブライブシリーズである『虹ヶ咲』だったわけです。

せっかくなのでラブライブ全体の魅力について語りたいのですが、実は今回お話する『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』って、シリーズの中でも結構異色の作品なんですよね。もちろん、スクールアイドルとして活動する女子高生を描いていること自体は変わらないのですが、作風は同じようで結構違う。
というか、シリーズを重ねる毎に固まりつつあったラブライブの「当たり前」を、虹ヶ咲は意図的に外している側面があります。
というわけで、シリーズ全体に共通する魅力に関してはまた「μ's」のラブライブについて語る時にとっておくとして、今回は『虹ヶ咲』ならではの魅力を中心に語っていけたらと思います。

『虹ヶ咲(アニガサキ)』は今までのアニメと異なる制作陣によって作られた作品で、スマートフォン向けゲーム『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』が元になっています。つまりソシャゲ原作アニメなわけですね。ゲーム内の主役は「ゲームをプレイするあなた」ということになっていますが、アニメでは「高咲侑」というオリジナルキャラクターが登場し、アイドルたちをサポートしていきます。「アイドル」ではなく、「アイドルをサポートする」立ち位置の侑は、少し特殊な存在と言えますね。

今作にはもう一つ大きな特徴があり、それが「登場するアイドルは皆ソロアイドル」であること。μ'sもAqoursもLiella!も一つのグループとして活動していましたが、虹ヶ咲は基本的に個別に活動しています。かといって敵同士ではなく、「ライバルであり仲間」なのが素敵なところ。時に競い合い、時に助け合い、時にはユニットを組んで無限の可能性を生み出していく……そんな多種多様な関わり合いが『虹ヶ咲』の魅力と言えるでしょう。

そんな今作、アニメ放映前は今までと異なるスタッフなのもあって不安に思う人もいたみたいなのですが、蓋を開けてみれば大好評。あまりにも評判が良いので、スクフェス2はこちらの世界観が正史になったくらいでした(まあ元となったスクフェスのシナリオが炎上したのもありますが)

一期では、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会に所属するアイドルを、一話で一人ずつ掘り下げています。
それ自体は大人数が主役のアニメでよくある形式だと思いますが、注目すべきはその構成。私は脚本術を少しかじった経験があるのですが、素人の私でも「すごい、ちゃんと脚本の勉強をしてる人が作ってる!」とクオリティーの高さを感じられます。
ざっくり言うと、一話一話の中で各キャラがそれぞれの悩みを抱き、それを乗り越えていく様が描かれています。その過程を見ていると、自然とそのキャラクターのことが好きになっていくんです。合間には他のスクールアイドルが協力してくれるので、彼女たちの関係性も含めて皆が大好きになるんですよね。

個人的に気に入っている演出があって、それが二期の「愛さん」こと宮下愛の回。
ざっくりとあらすじを説明すると、愛さんが自身のお姉ちゃん的存在の美里を励ますために、同じ同好会の朝香果林とユニットを組んでライブをするお話です。その中で注目してほしいのが、美里のカバンにぶら下がっているキーホルダーがちらっと映る演出。
このキーホルダー、序盤に皆で遊んだ時にクレーンゲームで手に入れたストラップなのですが、そのストラップがずっと背中を向けて映し出されるんですよ。
この時、美里は長い入院からようやく退院できたばかりで、愛さんの活躍と自分の境遇がギャップになって苦しんでいました。つまり、後ろ向きのストラップは美里の気持ちを表現しているのです。なんて繊細な表現なんだろう。
そして後半、愛さんと果林のライブに美里が心を打たれ、ライブ会場に駆けつけるシーンでは、ストラップが正面になっています。愛さんの歌が美里に力を与え、前に進ませたことを表現しているわけです。
今のは一例ですが、虹ヶ咲はメタファーの使い方がめちゃくちゃ上手い作品です。一瞬しかない些細なシーンにもしっかりと意味を込めてくるので、テンポの良さを持ちつつも急ぎ足には感じさせない、充実した内容に仕上がっています。

加えて、キャラクター造形も魅力の一つ。
それぞれのキャラクターには「芯の強さ」と「ギャップ」が備わっていて、アニメを見終わる頃には全員が好きになってしまうくらい魅力と個性に溢れています。
私が好きなのは、かすみんこと中須かすみ、そしてお姉さんキャラの果林。かすみんはラブライブシリーズでもはや恒例の「自分が世界で一番かわいいと思っている系キャラ」なのですが、これが本当にかわいいので見ていてびっくりしました。今までは似たようなキャラを見ると、かわいさより先にあざとさを感じていたのですが、かすみんに対しては素直にかわいいという感情が湧いてくるのです。これに関してはアニメをぜひ見ていただきたい。また、スクールアイドル同好会のリーダーという側面もあり、いざという時の行動力は「かっこいい」という言葉が出てきます。この二面性に惚れ惚れしてしまうわけです。
一方の果林は、モデルとしても活躍するクールなお姉さんキャラ……と見せかけて、実は世間から求められている人物像を演じているキャラ。実生活は結構ズボラで、私室が散らかっているのを見た時、私は心を奪われてしまいました。でもステージの上ではしっかりキメる。そんな果林の弱さと強さが見られる果林回は必見です。

二期では、今までのメンバーに加えて、新しく三人のスクールアイドルが登場するのですが、彼女たちにもそれぞれに魅力があります。
ランジュこと鐘嵐珠は、当初スクールアイドル同好会に所属せず、ソロで活躍するスクールアイドルとして登場します。ライバルであっても敵ではない、お互いに競い高め合うまさに理想のライバルキャラを演じていました。
そんなランジュと組んでいる作曲家のミアは、個人的に遊んでいるプロセカの宵崎奏と重ねて見ていました(笑)。同じ作曲家だし、何かを伝えようと思ったらまず曲を作るところもそっくり。
三船栞子は、かつてスクールアイドルだったお姉さんの過去を理由にスクールアイドルになろうとしないキャラで、それが非常に印象に残っています。ラブライブシリーズで焦点が当たるユニットって、当然ながらラブライブを勝ち上がっていく猛者たちなわけです。けれど、その裏には何十何百という敗者たちがいるわけじゃないですか。その敗者の物語を垣間見ることができたのは、虹ヶ咲ならではだなあと思いましたね。

ここまで虹ヶ咲の魅力を語っていきました。すっごいベタ褒めしてると思うのですが、ふと考えたことがありまして。
『虹ヶ咲』がなぜこんなにも魅力的に映るのだろうと考えた時、私は「現代が目指す理想の社会を描いているからではないか」と思ったんですよね。
基本はソロアイドルとして活動するけど、お互いに競い合って高め合い、時には協力する。一人ひとりの個性が否定されることはなく、むしろ他にはない魅力になり、見ている人を元気づけていく。全体主義であると同時に個人主義のコミュニティーが形成されていて、見ていてすごく心地が良いのです。

多様性を大事にしようと叫ばれる昨今ですが、バラバラな個性を否定せず受け入れたり、時には組み合わさることで化学反応を起こしたりする『虹ヶ咲』の世界は、まさに目指すべき理想を追い求めた先にある社会と言えるのではないでしょうか。

そんな考えを書いたところで、今回のnoteを終えようと思います。


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