すべては the joy of making のために
なぜ作るか。
もし作った経験があるなら、なぜ人はわざわざ作るのかという問題に対する答えを知っているはずだからだ。自分の手で何かを作ったなら、そしてそれが日常使ったり接したりするものであれば、自分で作ったということで、特別な価値が生まれる。
わたしはこの記事が好きで、たまに読み返しています。何かを作ること、その意欲いうか、もっとも単純な気持ちを取り戻したい時だ。作りたいんだよ。
作りながら、作ることの楽しさを覚えたはずだ。
the joy of making を体感して欲しい。難しいことじゃなくて良いんだよ。特別に作品じゃなくたっていい。写真を撮るのも、日記(ブログ)を書くのも、植物を育てるのも、手芸も、ハンドメイドも、料理も。
洗濯、掃除、食器洗いだって、ステキな住環境を作ると捉えれば、makingなんだ。
1羽の折鶴
わたしは小さい頃、身体が弱い子でした。今はメンタルがちょっと弱いけど身体は丈夫です。月に2,3回は保育園を休んで病院に通ってたんじゃないかな。
都内のそこそこ大きい総合病院で、とにかく待ち時間が長くて。すぐ退屈しちゃうんですよ。スマホ持ってないし、字もろくに読めないから時間つぶしに読書もできないし。
いつも通りグズってたとき、隣にいた知らないじいさんが、折り紙くれたんですよ。それで鶴を作ってくれて。それがおもしろくて、やってみたら難しくて不出来なんだけど、じいさんが褒めてくれて。
たぶん、それがわたしのものづくりの原点だと思うんだ。それ以降、病院の待ち時間は折り紙作ってたし、今では退屈な飲み会のときに箸袋で折り鶴作ったりしてます。
このエピソードも創作かもしれませんね。
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