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晩年に何を想うか

2010/2/1


「納得して死にたいのよ!」と、母は言う。それはそれは威厳に満ちた表情で。

治ると思って入院したのに治らない、私の病名は何だったか、この先どんなふうになっていくのか、どこが悪くなっていくのか、私の病名を英語で何と呼ぶんだったか、等々…

無表情で、暗く小さな声で、遠い目をして語られたりすれば、こちらの気持ちも滅入るというもの。

母の神経質はどんどんエスカレートしていき、ほぼ神経症レベル。ベッド内の両脇にティシュのケースがなくちゃダメだし、ベッドサイド両脇の床に、ゴミ箱が置かれていないと気が済まないし、左右のベッドサイドチェストの両方に、時計が置かれてないと気が済まない。おまけに時計の向きにもこだわりがある。

入浴に向かうときには羽布団を取って、代わりにピンクの大判バスタオルをかけていくこと。車椅子の脇には、前開きのベストが2枚にカーディガンが1枚、肩かけローブが1枚、膝かけ1枚、バスタオルが1枚~2枚に大判バスタオルが1枚。常に用意されていなければならない。病院から支給されるレンタルタオルは使いづらいので、自前のタオルを使いたい。

副菜として、ごましおや梅干し、おかかや切り昆布、高菜やきゅうり等の漬物、煮豆等々、あらゆるものを常備し、食事の時に出してもらいたい。のりの佃煮やラッキョウなど、わずかな副菜を常備している患者さんは何人かいるけれど、母ほど多くを望み、家族に要求する人はいない。

看護師や介護スタッフの言葉づかいへの不満、真夜中に何度もナースコールする我儘な自分への対応の、スタッフによる違いと評価、摘便スキルの優劣の評価と、食事時に介助してくれるスタッフのスプーン運びへの不満…

すべてが的確でありながら、あまりにも手厳しい。どれだけ他人に完璧を求めるのか、どれだけ手厚く介護してもらえば納得するのか、それより何より自分自身、そこまで完璧な人間なのか、あなたはそんなに偉いのか…
そんなことも思ってしまったりする。どうしてもね。

先日、娘が赤ちゃんのころのビデオを観た。そこに映って娘をあやしている母の姿は、大きくて、太っていて、何の屈託もない明るく暢気な表情で笑っている。どの場面を見ても、明るく大きな声で笑う母が映っている。

本来の母の8割はそんなふうで、でも残りの2割の部分に潜んでいた、実はちょっと陰湿で嘘つきで見栄っ張りで神経過敏で他人に厳しくて、決してわが子を褒めることのなかった陰の面ばかりが今、マックスに誇張された形で表面化している。

美しく老いていくのは難しいなぁ。美しく死んでいくのは至難の業だなぁ。生きるうえで、自分にとっていちばん大切なものは何か。自分は人に何を与え、何を受け取りたいのか。最期に、何を願いたいのか。誰に、何を伝えたいのか。心から誰かに、ありがとうと言えるのか。

そんなことも、私は考えておきたいなあと、母を見ていて想う、今日このごろ。


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