ゆたかさ について考えてたら、世界は今すぐにでも優しくなれる事に気づいた

”ゆたかさ”について考えてみる。まずは自分の知見を広げるため、いい答えを持ってそうな3人にインタビューをした。


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お金があればゆたかなのか
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私の知人に会社の経営者がいる(A氏とする)結構、お金を持っているので話を聞いてみた。


「ゆたかさについて考えています。最初に思い浮かんだのが【お金があること】だったんですが、あなたは今ゆたかですか?」

A氏「確かに ある程度、欲しいものは買えるし行きたい場所もそれなりには行けるから不自由はないかな。ただそれがゆたかかと訊かれれば、はっきりYesとは言えないかな。」

「…と、言いますと?(…なんか腹立つな)」

A氏「物質的にはゆたかだけれど心身的には満たされない、とでも言うのかな。俺は結婚もしてないし趣味といえば週末にクラブで豪遊するぐらいで、常に寂しさはあるね。自分のためだけにお金を使うのもだんだんと虚しくなってきたよ。。」

「なるほど。何か夢中になれるものがあればその気持ちは変化しそうですか?(おいおい贅沢な悩みだなおいおい)」

A氏「そうだね、生きがいや夢中になれるモノがあれば違うと思うね。いまはお金はあるけど、ただそれだけだしね。ずっと生きがいを探している最中だよ。もう数年見つからないけどね。。見つかるまでは今まで通りいろんなお姉ちゃんと旅行して豪遊する日々が続くだけさ。。」

「お姉ちゃんたちに全財産を吸い取られろ!!(勉強になりました。ありがとうございました。)」


なるほど、確かにお金があれば物には困らないし生活するのに不自由はない。ただ、なにか「物足りなさ」がありそれを埋めるために夢中になれるモノを探している。テレビやSNSで同年代が頑張っている姿を見ると胸がかゆくなるらしい。お金があればゆたかである、とは言い切れないようだ。


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生きがい や家族があれば ゆたかなのか
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今度は、お金は多くはないけど充実した生活を送ってそうな知人に話しを聞いてみる。定食屋で働き、奥さんと4人の子供を持つB氏だ。


「今ゆたかさについて考えています。あなたは いつ会っても幸せそうですが、今ゆたかですか?」

B氏「確かに妻と子に囲まれて毎日幸せだよ。それに元々 料理は好きだから仕事も趣味みたいなもんだしね。夢中で働ける。ただ ゆたかかと訊かれれば、そうじゃないかもしれないな。やっぱりお金は欲しいよね。子供が4人もいるとお金はかかるからね。やりたい事も制限はある。まあアンタよりは幸せだけど。。」

「幸せだけどゆたかではない…詳しく聞かせてください(…カンにさわる野郎だ)」

B氏「【ゆたかさ】と【幸せ】は別のモノだと思うんだよ。必ずしも『幸せであればゆたかである』とは限らないと思うんだよね。その逆もそう。幸せになる方法のひとつに”ゆたかさ”という項目があるだけで。…て、凡人に理解できるかな。。」

「ぜひ凡人の私にも分かるようにご説明をお願いします。(おいおいとんでもないモノ言いだなおいおい)」

B氏「”ゆたかさ”がなくても他の項目で幸せにはなれる。なれるけど”ゆたかさ”があれば幸せの強度を上げる事ができる。いわば補強材のようなものかな。家族には良い思いをさせてあげたいからもっと稼がなくちゃと思うね。だから経済的なゆたかさを求める。まあ僕みたいに そもそもの幸せ者が持つからこそ補強材の意味がでてくるんだけどね。。」

「愛想つかれて妻子に逃げられろ!!(勉強になりました。ありがとうございました)」


なるほど。2人とも”ゆたかさ”の認識が違う。A氏は『生きがい』B氏は『お金』と考えている。おもしろい。じゃ両方持ってる人は完璧なゆたかさを手に入れているのか。さっそくアタックだ。


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”お金”と”生きがい”両方あれば ゆたかなのか
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そろそろ”ゆたかさ”について答えがでてきそうだ。公私ともにうまくいっているC氏に話しを聞いた。


「ゆたかさについて考えています。単刀直入に訊きます、今あなたはゆたかですか?」

C氏「ゆたかさの定義が何かによると思うけど、、おれは ゆたかではない、かな」

「!!…意外です。。お金も生きがいもある人ならゆたかだろうと思っていました。理由をお聞かせください」

C氏「確かに、家族との関係も良好で会社もどんどん拡大していって、社員たちとも良いコミュニケーションがとれていると思う。経済的にもストレスなく過ごせているので充実はしている。ただ…人間てのは欲深い生き物なんだろうね。ずっと同じ環境だと飽きてくるし、上には上がいるから自分はまだまだだという焦燥感はいつもあるよ。キミは経験したことあるかい?」

「なるほど。常に心が焦っている状態。これをゆたかだとは言えない、という事ですか?当然、私なんぞは経験ないです(ないの分かってて訊いてきたくせに)」

C氏「おれはそう思うよ。まあ人それぞれだと思うけどね。焦りはあるけど自分は自分だ、と割り切れる人もいれば、そもそも焦りは感じてなく現状で充分だと思う人もいるだろうし。キミみたいな下の人間を見て『よし、おれはあいつには勝ってる』と その程度で満足する人もいるだろうしね」

「ゆたかさの定義や基準は人それぞれ、ということですか。(おいおいディスり方がストレートだなおいおい)」

C氏「結局はないものねだりってヤツなんじゃないかな。不足を埋めてもまた次の不足を探してしまう。それの繰り返し。それをどこかで止めないとゆたかな状態ってのは訪れないと思う。逆に言えば欲をとめれば今すぐにでもゆたかだと思えるんじゃないかな。まあ おれが今のキミぐらい低水準だったら欲はとめないけどね」

「…なんかいっぱいトラブルに遭え!!(勉強になりました。ありがとうございました。)」


お金と生きがいの両方を持っている人でもゆたかではない。。いや、ゆたかだと思える環境でも本人がそうだと認めていないだけなのか。つまり『ココから向こうは”ゆたか”で、ココからこっちは”ゆたかではない”』という全員が納得するラインは存在しないということ。



少し話しは変わるが、むかし海外ボランティアをしていた知人から こんな話しを聞いたことがある。

ある貧困地域のスラム街に行ったそうだ。そこはゴミが散乱し悪臭立ちこめる場所で、貧困・栄養失調・伝染病などは日常茶飯事。ゴミをあさり残飯を煮込んだモノを路上で売り生計を立てている家族もいる。とてもゆたかとは言えないが場所だが、だからといって不幸とも言い切れないようだ。とにかくよく笑うのだ。特に子供たちは楽しそうに近寄ってくるのだとか。

ただでさえ深刻な日常なのに、戦争や内紛、地域によっては地雷の恐怖もすぐ隣にある。そんな毎日なのに日本より笑顔の総量は多いと感じるらしい。その光景を目の当たりにした後で日本で悩み思い詰めている人を見ると、考えを改めさせられてしまうようだ。どこを基準におくかでゆたかさの定義は大きく変わりそうだ。



話しを戻す。
おそらくスラム街に住む人たちから見れば日本に住んでいるというだけでゆたかと思うだろう。戦争もない。地雷もない。生活保護の制度を活用すれば清潔な家にも住める。贅沢はできないが、少なくとも栄養失調や伝染病の不安からは解放される。この状態が”ゆたか”だとラインを引く人もいるだろう。

しかし、現状の不足が満たされれば また次の不足を探してしまう、という本能ともとれる働きがあるかもしれない。周りにいる自分よりも良い暮らしをしている人を見続けると、もしかしたらスラム街の人たちも日本に住むだけでは満足できなくなるかもしれない。おそらくは他者との比較が”ゆたかさ”と関係しているのだろう。



ずいぶん長くなったが私が考える”ゆたかさ”とは

望めば いつでも手に入り、常に変化するモノ

と定義することにした。


他者との比較で霞んで見えるが、高望みしなければ実はもう持っているモノ。人それぞれ大きさや形や色、手触りは違い、時代によってもまた変化し続けるモノ。世の中の移り変わりが早い現代だからこそ今の自分の環境に合わせて常にアップデートしていく必要がある。いつでもゆたかさの基準は同じではなさそうだ。ゆたかかどうか決めるのは他人からの評価ではなく自分の気持ち次第。世界中の人が”ゆたかな心”の持ち主になり得る今、優しい方向に世界が動いてくれることを願う。

そう考えれば少しでも明るい未来を迎えに行けそうだ。





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