40歳広告代理店勤務が、信念に従って会社をやめた話。
40歳、男性。
大手広告代理店の子会社勤務。
妻と、育ち盛りの息子二人の四人家族。
(ついでにいえば、住宅ローンがだいぶ残っている、まだまだ稼がないといけない立場)
自分自身をデモグラフィック属性で表現すれば、こんな自己紹介になるだろうか。
真の社会人になった22歳からこれまでの18年間、所属し続けてきた会社を卒業し、この8月からBooks&AppsというWEBメディアを運営する会社に参画する。
家族や身近な人たちからは、
「大手の安定を捨ててまで、無名のベンチャーに転職する必要あるのか?」
「生活が不安定になるのは絶対に避けてね」
「パパ、カイシャやめて大丈夫なの? もうスシローとか行けなくなる?」
という不安の声を、たくさん頂戴した。
しかし、ここで、
「心配かけてごめんね、リスクはあるけど、この挑戦を応援してくれ!」というような、安っぽいドラマを語りたいのでは、決してない。
『なぜ、40歳の中年男が長年勤め続けた大手企業の立場を手放して、小さなベンチャー企業に移ったのか』
その意味を自分自身、きちんと整理しておきたかったのだ。
そして、
自分と同世代の悩める中年サラリーマン諸氏にも40歳以降の仕事人生をどう生きるか、について何かしらヒントをご提供できるかもしれないと考えて、勇気を出して私の生々しいリアルな葛藤をお届けしようと思う。
…青臭い告白だけれど、私は未だに広告の仕事を深く愛している。
と語ったのは故・松下幸之助であるが、この精神に深い共感を覚えて、広告の仕事をしてきたのである。
今と比べたら情報がまだまだ乏しかった時代、雑誌やTVなどのメディアは人々の生活を豊かにする最高の娯楽だった。
そこに挿入される広告も比較的あたたかく迎え入れられていた。
例えば、私と同世代の方なら、
「ファミコンウォーズが出~るぞ!、母ちゃんたちには内緒だぞ!」
とか、
「バザールでござーる」
とか、
「 ポリンキー♪ポリンキー♪ 三角形の秘密はね」
など、覚えている方も結構いるのではないかしら。
学校に行けば、テレビCMのキャッチフレーズを口ずさんだりパロッたりして、友達との日常会話の中に溶け込んでいたりしたはず。
私が大手広告代理店の子会社(デジタルコンテンツの制作を専門に行う組織)に入社したのは2002年だが、当時はマス広告の力は大いに健在だった。
ちなみに、ネット広告はまだまだオマケみたいなものだった。
会社に入って最初に携わったクライアントがドイツの高級車ブランドだったこともあるが、『売るための広告』よりも『ブランドの思想を伝える広告』に力を入れていたように記憶している。
だから入社してすぐの頃は、
「スペックもろくに書いていないような、こんなメッセージ性の強い広告で、ほんとうにクルマが売れるのかな?」
なんて疑問を持ったものだけれど、それでも競合ブランドに比べてぶっちぎりの売上台数を誇っていた。
(注:プロダクトの魅力や販売網の充実などさまざまな要因があるので、広告だけの力とは言い切れないことは補足しておきたい。)
このとき学んだことは、
【ブランドの思想を効果的に伝えることはファンを作ることであり、ファンを作ることが出来たら自ずとプロダクトは売れてゆく。】
そんなことを学ばせてもらった。
そして、時は流れてスマホ全盛時代の2010年代になると、広告の主役も徐々にネット広告にシフトしつつあるが、このネット広告というのは、なにかと“ウザい”ヤツなのだ。
スマホで記事を読んでいる最中に、間違えてバナーをタップしてしまって「チッ」、
Youtubeで好きなミュージシャンのPVを見ようとしたら、数秒間見たくないCM動画を見せられて「チッ」、
Googleで調べ物をしていて、これかな、と思ってクリックした検索結果の記事が、タイトルと中身がギャップありすぎて知りたいことが全然書かれていない、とか、中身が薄すぎるクソ記事でけっきょく調べ物が解決しなかったという残念な結果に「チッ」。
こんな経験は誰でも一度や二度はあるはず。
「おいおい、俺たち広告を提供する立場の人間は、ユーザーの邪魔をするために日々仕事してるんだっけ?
テクノロジーの進化によって、巧妙にユーザーを釣る手段ばかりが洗練されていき、ユーザーの貴重な時間を奪ってるんじゃないか?」
私に限らず、多少なりとも良心を持ち合わせた広告パーソンなら誰しもこんな問題意識を持っているだろう。
とはいえ広告代理店の果たすべき責務は、数値上の成果(バナーのクリック数だったり、広告主が運営するサイトへの送客だったり)であるから、ユーザーの不利益を憂いている場合ではない。やらなければ競合他社に仕事を奪われるのみだ。
しかし、
「チッ」と思われるようなモノを量産するのは、想像以上に辛いものがある。
「チッ」=「早く消えてくれ」という存在に成り下がってしまった今の広告の仕組み。
すべての広告が駄目なものとは決して思わないが、ユーザーから嫌われる存在になりつつある今の広告に果たして明るい未来なんて、あるのだろうか?
そんな思いが日に日に増していった。
モノ余りの時代かつ人口減少時代に入っていくと、国内でのマーケティングは相当に厳しいものになる。数字上の目標達成のため手段を選ばず、なんでもやらなければいけない。
「広告も、そろそろ終わりかな・・・。」
構造上の限界を感じて広告の仕事への情熱はだんだん冷めてしまって、代わって、まだ世の中に存在しない『新しい価値を生み出すこと』に私の関心はシフトしていった。
やがて広告の会社に在籍していながら広告の仕事は一切辞めてしまって、新規事業開発に携わるようになってゆくのだが、そんなときBooks&Appsに出会った。
Books&Appsには、毎日様々な記事が繰り広げられているが、中には企業からの依頼によって作られている記事も混じっている。
例えば、
とか、
これらは、いわゆる「記事広告」であるが、まったく広告のにおいがしない(=売らんがためのものではない)、読むに値する記事だと感じるのである。その証拠に、広告ではない通常の記事と全く遜色なく読まれている。
ちなみに、面白い記事って、一体、どんなものだろうか?
私が思うに、著者の体験に基づいた主張が繰り広げられていて、そこには“ほんとうのこと(リアリティ)”が書かれている。
そのリアリティの中に、意外性や共感を感じる要素を見出したとき「んー、これは面白いな」と感じるのだろう。
そして、面白い記事は発信者の主張に聞く耳を持ってもらえる。
つまり、ファンを作ることができる。
ファンを作ることができれば、ブランドは育つし、そのブランドの商品は結果的に売れることにつながるわけだ。(ファン本人が買わなくても、周囲に推奨してくれたりするだろう)
再び、松下幸之助の言葉がこだまする。
つまり、Books&Appsを運営するこのティネクト社は、情報過多でメッセージが極めて届きにくい現代において、『ターゲットに届くメッセージを量産する技術』を持ったコンテンツメーカーなのである。
企業からのメッセージが極めて届かない時代において、『ターゲットに届くメッセージを量産する技術』は希少価値である。
私からしたら<まことに尊い仕事>をしているわけである。
この希少価値を、困っている企業に提供することは社会的にも良いことではないか。何より自分が心から応援したい企業に届けてあげたい。
しかも、既存のプレイヤーとは異なる独自のやり方を持っており、そのため他社に真似されない(厳密に言えば、なかなか真似ができない)方法を確立しつつある。
これは私が情熱的に取り組んでいる、まだ世の中に存在しない『新しい価値を生み出すこと』とも大きく合致する。
かくして、
大手広告代理店グループ企業のサラリーマンから、まだまだ小さいながらも可能性溢れるベンチャー企業の経営に携わる立場にシフトすることになったのである。
最後に、裏側の話を少しだけしておくと、
実はティネクト社と出会ってから移籍するまでのあいだに約2年という期間を要している。
その間、ゆっくりとマイペースに事業の手伝いをしていたわけである。
(朝7:30から喫茶店でミーティングをこなしてから、本業の勤務先に出社という感じの日々を続けてきた)
40歳でイキナリ転職はさすがにリスクが大きい。それは迎え入れる側も同じはず。
こういったことを見極めるため、私の場合は結果的に2年という期間を要したわけである。
自分と同世代の悩める中年サラリーマンには、是非ともイキナリ転職ではなく、ゆっくりとマイペースに見極めるための『お見合い期間』を大事にして欲しいと思う。
私の場合は朝が比較的強い(かつ、迎え入れる側も応じてくれた)ので早朝時間を活用したわけだが、他にも工夫次第ではやり方はたくさんある。
最近は有給休暇の取得を奨励されているからそれをうまく活用して、可能性を感じた企業に「週1勤務」したって良い。
制度がなくても、試行錯誤してみたら案外なんとかなることって多いはず。
40歳という年齢は体力的な無理は徐々にきかなくなるが、その分、知恵を使って自分の理想とする仕事人生を歩むための試行(トライ)はやりやすくなっているはず。
もし、この先どうしようか迷っているならば、「もう、いい歳だしな」と諦めないで自分の理想とする仕事人生を歩むための試行(トライ)を続けて欲しいと思う。
以上、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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