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気まぐれ日記2020.11.21

【11/1天赦日】
数日前、我が家で『奇跡の水』が話題になった。きっかけは、姉と一緒に行った天神神社の雰囲気が、知っている湧き水の場所に似ていたから。
私は行ったことがないが、20年以上前に姉の子供が体調を崩した際、その水を飲ませたところたちまち良くなったという姉にとっては感謝の水だった。その水のことは母から聞いたらしいが、母は姉(伯母)から聞いたとのこと。


11/1(日)姉から水を汲みに行きたいという事と、どこか参拝に行きたいのでおすすめの神社はないかという連絡があった。姉の旦那が珍しく「神社に行ってみようかな」と言い出したらしい。
おすすめというより、私の中では次に行きたい神社は決まっていたのでそれを伝えた。

お互い「一緒に行こう」とも「行きたい」とも言わないまま電話は終わった。それからしばらくして姉が1人で訪ねてきた。旦那が車を洗い始めたらしく、始まると長いのでその間に母と水を汲みに行くとのこと。
私も誘われたが、前回の神社参拝動画をまとめたかったのでとりあえず水汲みは姉と母だけで行ってもらった。

その湧き水は案内板もなくポツンとあるらしい。
戻ってきた2人に話を聞いたところ、水を汲みに行く途中の畑で偶然おばさんに会い、湧き水の話を聞けたとのこと。おばさんは知人から「病が治る」「弘法大師ゆかりの水」と聞いたらしい。
他にも家の菩提寺にも湧き水があり、そこは「不動明王ゆかりの湧き水」だとも教えてくれたらしい。すぐ行ける場所なのに、お墓参りにもなかなか行けていないので、近いうちお墓参りを兼ねて行ってみようと思う。

水を汲みに行っている間、一緒に神社へ行くかどうか考えた。天気も悪くないし、家族みんな予定がないし、動画はいつでも作れるし…

迷っている間、その日が『天赦日』だということを知った。あまり意識したことがなかったが、どんな日なのか調べたらすごくいい日だということがわかった。

『天赦日』とは(天が赦(ゆる)す日の意) 陰陽道で、一年中の極上の吉日とする日。何事をするのにもよいという日。春は戊寅、夏は甲午、秋は戊申、冬は甲子の日とする。
『この日は、百神が天に昇り、天が万物の罪を赦す日とされ、最上の大吉日である。そのため、天赦日にのみ「万(よろづ)よし」とも注記される。』
天赦日は日本の暦の上で最上の吉日とされており、新しい何かをスタートさせたり躊躇していたことに挑戦するにはもってこいの日。
年に5~6回しかない貴重な開運日。

「いい日なんだよなー。でもやりたいことあるんだよなー。」という独り言が父に聞こえたようで、「せっかくだし後でできることなら今日は神社に行ってくれば」と言われた。確かに。

母が持ち帰った『奇跡の水』を飲みながら、一応両親に一緒に行くか尋ねたところ、母が即答で「行きたい」と言った。父は「俺は留守番してるからみんなで行ってきな」と言ったが、強がりなのは百も承知。

脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残っているので、みんなの足手まといになると考えたのだろう。
探してみると、その神社の参拝動画があったので父に見せてみた。参道の長い階段、坂…山全体が参拝コースになっている。やはり難しいか…。
調べたところ、本殿近くまで直接行ける道があり駐車場もあるようだったので、父には頂上の本殿で待ってもらいみんなは参道を通って来るかという話にもなったが、話をしているうちに「俺は全然大丈夫だ」「こんな階段問題ない」と言い始めた。結局行くのね…。
嬉しい反面、不安もありつつ最終的には家族6人で向かう事になった。このメンバーで出掛けることなど滅多にないので、思いがけないプチ家族旅行になった。
と言っても家から車で30分ほどの距離なのだが。

最初に向かったのは、【石都々古和氣(いわつつこわけ)神社】で、過去の日記にも書いた『つつこわけシリーズ』の1つだ。ここはなぜか夫も気になっていたらしく、私が以前行ってみたいと話していたのを思い出して前日にナビで場所を調べていたらしい。
これはもう偶然ではなく必然…
だからこんなにトントン話が進むのだろう。

石都々古和氣神社の特徴は、古代祭祀跡、石川城跡にあり、地元の有志が協力して参道などを整備したことなどから、とても愛を感じられる神社だった。
他の方の参拝動画の中にも、剪定をする方が映っていたが、私達が行った時にも一生懸命お手入れされていた。
是非また来たいと思わせてくれる神社だった。

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帰りに、もう1つの神社へ向かった。
私は狛犬も好きなので地元の狛犬を調べていた時に、波乗り兎の狛犬がいる神社が近くにあることを知った。
狛兎?
県南の狛犬見学ツアーの中にも組まれるような、珍しいものらしい。
残念ながらだいぶ昔にすべての耳が折れてしまったそうなのだか、それでもマニアにはたまらない作品だそう。

ネットで検索してみると、「行き方がわからない」「迷子になった」「地元の人に聞いてやっとわかった」など、かなり不安な言葉が並んでいた。

今回はみんな居るし辿り着けるか不安がある。直前までどうするか考えたが、やはりせっかく来たのだからトライだけはしてみようと家族の了解を得てチャレンジすることになった。

そして案の定道に迷う。Googleマップで「ここを曲がる」と出た時、絶対ここではないと思ってしまった。
たぶん大型車ではギリギリくらいの細い道。
もっと他に行き方があるはずだと近くの道を曲がったが、どんどん離れていく一方。
そんな時、集会所らしき場所を見つけたので車を停め歩いて散策することにした。
父は車で留守番をすることになった。
結果的には行かなくて大正解。道もないのに「すぐそこ、絶対着くよ」と結局山を突っ切って神社に辿り着くことになった。整備していない山では父は歩けないだろう。獣道もない大自然の山の中だ。

いろいろな勘違いからとんでもない登場になったが、野生の感というか執念があれば、「なんとかなる」ということがわかった。(野生の感があるのなら正しい道を行っているはずだが…)
これが1人なら問題ないが、私の暴走に付き合わされた家族には大変申し訳ないことをした。
特にお義兄さんは慣れていなかっただろう…反省。

動画では、正しいルートに編集して作成してみた。

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そんなこんなで、石川町の参拝旅行は無事に終了した。
夫はもちろんだが、両親や姉夫婦も神社参拝について理解があるし、どんな話をしても驚かない。
まぁ最近では私より姉の方が見えない物に目覚めて興奮の毎日を送っているので、私は穏やかなものだろう。
何があっても驚かない。

こんな娘達を両親はどう思っているのか…
否定もせず驚きもせず淡々と話を聞いてくれる。
こういう話ができる相手がいる事は幸せなことだ。

父は私が休みの度に「今日はどこの神社に行くの?」と聞いてくる。「行ける時に行きたい所へ行くだけ」と答えるのだが、私は神社参拝の亡者とでも思われているのだろうか。
どちらかと言えば大きく立派な神社より、自然を求めに神社へ行くようなものなのだが。


明日は「己巳の日」、弁財天を参拝するのに絶好の日だ。
私は近くの山にある神社へ行こうとしていたが、夫にせっかくだから遠出しようと言われている。
今夜は家族会議だ。


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