デモクラティックスクールと出会うまで

 デモクラティックスクールまっくろくろすけが始まりましたが、最初は見学者が一人もありませんでした。たまに見学者が来ても「シュタイナースクールとどう違うのですか?」と聞かれました。1990年代、「オルタナティヴスクール」というと「シュタイナースクール」だけが有名だったのか、「シュタイナースクール」と比べて、理解しようという方が多くいました。あるいは、不登校の子どものための「フリースクールとどう違うの?」と聞かれていました。「デモクラティックスクール」としての私たちに関心を持ってくれる方はほとんどいませんでした。

しかし、2000年も半ばになると「デモクラティックスクール」として見学してくれる方が増えて、今では年間見学者が100名を超えるようになりました。興味を持ってくれる人が増えてくれていることはとても嬉しいことです。

そんな中、よく聞かれる質問の一つが「どうしてデモクラティックスクールを作ろうと思ったんですか?」というものです。
 自己紹介もかねて、振り返ってみます。

小中高校は本当に好きだったのか?


 「くろちゃんって卒業式で絶対おお泣きするタイプだよね~」と友人に言われるぐらい、はた目には高校生活をエンジョイしていたように見えていたのだろう。自分でもそう思っていた。そりゃあ、嫌な先生や馬鹿らしい校則とかあるけど、友達と遊ぶのは楽しかったから。
 しかし、卒業式ではまったく泣くような気持ちにならず、それどころかせいぜいした。制服も二度と着なくていいのかと思うと、なんともいえない開放感だった。別に通っているときは、そんなに大嫌いでもなかったのに…。制服が象徴するように、学校生活を楽しんでいた割には全く中学・高校時代に後ろ髪惹かれるものはなかったし、卒業して離れてみて、そして時間を自分自身に取り戻してみて、本当は学校の何が好きで、何が嫌だったものにどんどん気づくようになった。
学校に行っているときは、長期休みがあけると、制服着るの嫌だな…と憂鬱になったが、それに向き合うと学校に行くのが嫌になるので、仕方のないことだとあきらめて、感じないようにしていたと思う。制服以外にもいくつものことをそういうふうにどうしようもないことだとあきらめたり、感じないようにしていたと思う。 

しかし、大学になって、それは一変した。何を着て行ってもいいし、どんな髪型でもいいし。先輩や先生に挨拶してもしなくてもいいっていうか、人が多すぎて、だれもいちいち頭を下げたりしない。
一日の過ごし方も自由。親も時間割を細かく理解しているわけではないので何も言ってこない。だから、好きな時間に起きて、好きな時間に大学に行き、あるいは休んでもいい。休んでも誰も注意してこない。休みすぎたら単位が取れないだけ。自分で自分の学びを管理していく。毎日、朝から寝るまで好きに時間が使える。
時間というものが自分が管理するものに生まれて初めてなった。(つづく)

 
**話は「デモクラティックスクール」に戻りますが、もし、「デモクラティックスクール」に通っていたら、最初から時間は「自分のもの」であり、「自分でやりくりするもの」。一般の幼稚園、小中学校での時間のとらえ方とデモクラティックスクールでは大きく違うのです。そして、それが、私がデモクラティックスクールが大好きで、多くの人の成長に合っていると思う理由の一つです。


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