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「自分の言葉で説明せよ」の対処法

国語の記述問題で「自分の言葉で説明しなさい」っていう設問がありますよね。

あれは、どのくらいの自由度で説明すればいいのでしょうか?

今回はそれについて考えてみます。
(中学受験を想定していますが、高校大学の受験にも共通することです)

よく見られる勘違い

よくある話なんですが、「自分の言葉で説明せよ」ということについて、なにかオリジナルな発想で本文と全く違うアプローチで説明しなければいけない、というように思っている人も多いです。

そう考えてしまうと、逆に良くないことが起こります。

たとえば、記述の説明問題で、オリジナルな説明をしようとするあまり、本文の根拠から外れてしまっている。そういう解答も多く見てきました。

そうではなく、(国語のテストに限ってですが)「自分の言葉で説明しなさい」というのは、本文中の該当箇所では解答にならない(理由:あいまいすぎるなど)ので、それを「自分で考えて該当箇所を言い換えなさい」という程度のものです。

よって、抜き出し問題、本文中の言葉を使って説明する問題とおなじように、「本文の根拠をベースにして違う言葉で言い換える」という点はじつは変わらないわけです。

受験国語は人生の役に立つか?

そういう意味では、国語の記述というのはちょっと面白みに欠ける感じもしますね。。しかし、それだけにとどまらない重要な側面も秘めています。

受験国語から離れて、少しレベルの高い課題について考えてみます。「自由な発想でアイデアを出す」というような場合です。

このとき「新しい!」と感じるものは、例えば、なにか「2つ」のことについてしっかりとした知識があって、「あれとこれをミックスしてみるとどうなるだろう」と、何かベースをもとに考えることで生まれるものなのかもしれません。携帯電話とインターネットがひとつになってスマホが生まれたというような例も、この話に当てはまると思います。

これと同じように、国語をはじめとした言語表現において、「ちょっと高度な説明をする」というときも、ベースになるものがあります。例えば、「たしかに〜かもしれない、しかし・・・」のような「基本的な話法」を身に着けていて、さらに、高度な内容に対応する「語彙力」をつけることによって、説明力が1つレベルアップする、ということなのかなと思います。

受験国語では少なくとも、「自由な発想」「独創性」はあまり問われません。そのかわりに、「論理立てて説明する力」や「高度な内容を説明できるだけの語彙力」をつけていきます。しかし、そういった一見したところ地味〜な「武器」を身につけることで、丸裸の状態では到底不可能だった「ほんとうの意味で自由な表現」が将来的に可能になるのではないかと思います。

(その自由な表現を獲得するためには、単に受験国語の解答マシーンになるだけではダメで、たとえば子供の頃に思いっきり遊ぶことだって重要だと思うんですけどね。そこが受験生にとって難しいところです。)

というわけで、受験国語では、そういった地味な能力を磨いていきたいと思っています。

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