見出し画像

写真に導かれて

2月7日に、荻窪にある本屋Titleで開催された吉田亮人さんの写真集『The Absence of two』刊行記念トークイベントに行ってきました。

この写真集に収められている作品を初めて目にしたのは、2017年の春に開催された KYOTO GRAPHIE(京都国際写真祭)です。

http://www.kyotographie.jp/fundamental/portfolio/akihito-yoshida

このイベントには毎年足を運んでいたのですが、今年はもういいかな…と思っていた矢先、ちょうど下の写真(トークイベントのちらし)を見た瞬間に「これだけは見に行かなあかん!」と思い、休暇を取って会場に向かったのでした。

この写真にひかれたのは、スカジャンを着たおとなしそうな男性(おばあちゃんの孫)がおばあちゃんと手を繋いで写っていたこと(スカジャンってやんちゃな子が着るイメージを抱いてたので)、そして、この子がおばあちゃんを置いて自ら命を絶ったことがどうにも理解できなかったからでした。

当時の私は、写真の中に「死」を感じさせる何かがあるんじゃないか…という気持ちで写真を見にいったように記憶しています。でも、写真からは孫思いのおばあちゃんと、おばあちゃん思いの孫の姿と、その日常をあたたかなまなざしで撮っている吉田さんの姿しかなく、だからこそ、残された人たちに突きつけられた現実を思い知らされただけだったような気がします。

実を言うと、今回のトークイベントに申し込むべきか、ものすごく迷いました。当時のお話を聞きたいと思う一方で、この写真集のゴールを知っていたので、またつらい気持ちになるかもしれない、と思ったからです。

なので、しばらくは「行けない理由」を探しては自分に言い聞かせていたのですが、ある日、Twitterを開くたびにイベント告知のお知らせを目にする、ということが続いて、あぁもうこれは「おいで」と言われている……と観念(?)して、行くことに決めたのでした。

お話を聞き終わった今、参加してよかったと思っています。写真を見ながら吉田さんのお話を聞くことで、私の心も晴れたように感じました。

たぶん、結末はどうであれ、3人にはかけがえのない幸せな時間があったのだ、ということを感じられたからだと思います。すがすがしい、というとちょっと変かもしれませんが、すっきりした心でこの写真集を手に取ることができてよかったです。

この写真集に流れている物語が気になる方は、ぜひイベントに足を運んでみてください。


写真とはまったく関係ないことですが、実は私がフランス語を習うためになぜか京都まで通うことになったのは、この写真展がきっかけでした。

前述したように、2017年のKYOTO GRAPHIEは吉田さんの写真展以外興味がなかったので、せっかくだから京都の本屋さんめぐりをしようと思って、写真展の前に2軒、行きたかった本屋さんに足を運んでいました。

そのうちの1軒が、丸太町にある誠光社という本屋さんです。

http://www.seikosha-books.com

入った瞬間、ビジネス書とノンフィクションしか知らない私にはハードルが高すぎる文芸書の数々に圧倒され、でもそれが心地よくて、「わたしもこんな本を読めるようになりたいなぁ」と思いながら書棚を眺めていました。

そして、「毎月はさすがに無理だけど、四半期ごとにここにきて、ここにある本を少しずつ読んだら私の世界もちょっとは変わるかもしれない。次は秋ぐらいに来れたらいいな」なんてことを思ったのです。

それから1カ月後の真夜中、ふとTwitterを開いたら「半年間限定のフランス語教室、さっき申し込みを締め切ったのですが、あと2名空きがあるのでよかったらどうぞ」という誠光社さんのツイートを発見し、それから1時間悩みぬいた末「今、この瞬間に申し込んでも夜中の変なテンションで、勢いで申し込んだわけじゃない。だから、翌朝に申し込んだことに後悔することもない」と意思確認してから申し込んだのでした。

半年間で終わるどころか、3回の延長を経て現在も続いているのはうれしい誤算です。


あの日、思い切って写真展に行き、毎月京都に通うと決めたおかげで、声と態度が大きい人の意見だけが通るひどい職場でも、つぶれることなく生きのびてこれたのだと思います。そのときはわからなかったけれど、職場以外の居場所を作ったおかげで、今もこうして無事に過ごせているのだと思っています。

実を言えば、フランス語教室は東京でも開催されています。費用のことを考えれば、東京に転校したほうがいい、と自分でも思います。

でも今の私には、職場から遠く離れた場所で、私が心穏やかに過ごせる場所はかけがえのない財産なので、教室が続く限りは通うつもりです。

#日記 #写真