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其処に愛はあるのか

人生をノーダメージで生きていくことは不可能だ。
肉体的には勿論の事、精神的にも。
どんなに気を付けてても意地悪な人と接してしまう機会は必ずあるし、
時には自分で自分を傷つけてしまうこともある。
では、人を傷つけるのは悪意だけなのだろうか。


昔僕がバンド活動に勤しみ、
毎週深夜のスタジオでメンバーと夜通し切磋琢磨し合っていた頃の話だ。
その日も僕は約束の時間にメンバーと落ち合い、スタジオに入ってセッティングをしていた。
少しだけ専門的な話になってしまうが、基本的にスタジオのドラムセットはツータムでセッティングされているのだが、
当時のドラム担当がワンタムで叩くドラマーだった為
(ワンタムとかツータムについては説明がややこしいので興味がある方はてめーで調べていただけると幸いです)、
たまたま手が空いていた僕がパーツを一つ外して近くの適当なところに置いていた。
しばらくの間セッティングに時間をとられ、
「さぁ、始めますか!」
と意気揚々と足下の機材を操作しようとしゃがんだ瞬間、さっき置いたドラムセットの棒が僕のケツにぶっ刺さった。
「あっ!」
と、声が出てしまいメンバーが何事かと僕の方を見る。しかし僕はすぐに「いや、なんでもない」と誤魔化した。
考えてもみて欲しい。
ギターボーカルなのだ。僕は。
ボーカルっつったらあなた。バンドの花形だ。
言わばバンドの顔でもあるし、メンバーの中でも一番魅力的な存在でなくてはならないのだ。
そんなボーカルが深夜一時に人知れずスタジオの狭い個室でドラムセットの棒をケツにぶっ刺して悶絶するわけにはいかないのだ。そんなんじゃメジャーデビューなんて夢のまた夢だ。
しばらくは我慢して平静を装ってはいたのだが、やはりケツのダメージは深刻であった。
すぐに「ごめん、やっぱ無理…」と一言言い残し、僕は膝から崩れ落ちた。
メンバーは突然座り込み悶絶している僕を訝しげに見ている。
息も絶え絶えといった感じで状況を説明すると、
責任を感じたのであろうドラム担当が「大丈夫っすか?」と僕に近寄ってきた。
しかし顔はニヤニヤしていた。
「この野郎、おめーがワンタムじゃなかったらこうはならなかったのにちくしょう」と思ったが、僕の方が一歳おにいちゃんなのでグッと堪えた。
続いてギター担当も「大丈夫?」と言って近寄ってきたが、こいつもニヤニヤしていた。
「この野郎、おめーが俺のアンプを移動させなければこうはならなかったのにちくしょう」と思ったが、そのとき金を借りていたのでグッと堪えた。
最後にベース担当が「大丈夫か?」と言ってきた。
彼はニヤニヤなどせずに心から心配してくれているように見えたので、
「おぉ、心の友よ…」
と心の底から感謝したが、次の瞬間に彼の口をついて出た言葉に僕は戦慄した。

「店員さん呼ぶ?」

もう一度言うが。
ボーカルなのだ。僕は。
メンバーの中でも群を抜いてカリスマ性に富んでいる存在でなくてはならないのだ。
そんなボーカルが深夜一時に人知れずスタジオの狭い個室でドラムセットの棒をケツにぶっ刺して悶絶し、仲間だと思っていたメンバーからはニヤニヤ顔で上辺だけの心配の声をかけられ挙げ句の果てには店員さんを呼ばれるなんて事があっていいワケがないのだ。そんなんじゃ武道館なんて夢のまた夢だ。
というか、店員さん呼ぶって。なんちゅー発想だ。人殺しの発想だ。とんだサイコパスだ。異常快楽殺人鬼だ。
どんな説明をして「ちょっと来てください」と言うつもりなのだ。そして呼ばれた店員さんは何をしたらいいのだ。ボーカルだぞ、俺は。店員さんなんか呼ばれてたまるか。ボーカルだぞ。

結局僕はその後ろくに演奏も出来ず、スタジオから帰った後も恐くてしばらくトイレに行けなかったおかげで便秘になり数日間苦しんだ。

こんな事もあった。
そのバンドのライブの打ち上げに来ていた関係者の女子が急に
「佐藤さん、絶対領域って知ってますかー?」
と聞いてきた。
僕は皆目見当もつかず、
「エヴァンゲリオンの何かかな?」
と答えると
「違いますよー。女の子がニーハイを履いたときのスカートとその間のフトモモのことで、そこにオタク達は至福を感じるらしいですよー。佐藤さんなら絶対知ってると思ったのにー。」
と言ってきた。
…ん?佐藤さんなら絶対に知ってると思った?
何故?どういうことだろう?
と困惑していると、もう一人の女の子が
「すみません、この子、ちょっと天然っていうか、周りの人が思ってても黙ってることを平気で言っちゃうっていうか、あの、全然悪気はないんです」
と慌ててフォローをしていた。
僕は「そっかー、悪気はないもんねー」と言いつつも、
「いや、悪気があってくれた方がむしろ良かったなぁ…」と、なんとも言えない気持ちになり、朝まで飲むつもりだったのに終電の数本手前のやつで帰宅した。
んで、結局家で一人、アニメを見ながら金麦を飲んだ。(そういうところだよ)


と、このように。
善意も時として人を傷つけることもある。
勿論、僕が誰かに向けたそれが相手を傷つけてしまうこともあるだろう。
人を傷つけてしまうのは悪意や敵意だけではないのだ。
しかし、結果は同じでも。
そうであったとしても。
それでも僕は問いたい。
其処に何があるのか。を。

言葉にすればどうしても陳腐になってしまうが、
やはりそれこそが“愛”なのではないだろうか。

僕はこの人生において何度も傷をつけられた。
悪意にも、善意にも何度も殺されかけた。
しかし、それは確実に僕を成長させ、
やがては僕の血肉となる。
故に僕はそれを愛と呼べるのだ。
この身に残っている数々の傷跡も愛おしく思えるのだ。

「愛だなんてこっ恥ずかしくて言えっかよ」
と昔は思っていた僕もこの歳になって心から素直にそう思える。
あなたの優しい温もりと、
あなたの鋭く丸い刃と、
すべての愛と出会いに感謝します。


ただし、バンドの元メンバー。
お前らだけは絶対に許さん。
僕の純潔を返せ。

お金は好きです。