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「日本銀行創業の地」

実は箱崎で設立された日本銀行

★ジャンル【産業】
★場所 中央区日本橋箱崎町1-2
★最寄駅 東京メトロ水天宮前駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治十五年十月十日 日本銀行はこの地で開業した。明治二十九年四月日本橋本石町の現在地に移転した。創業百周年を記念してこの碑を建てる」

★解説
 駅から遠い不便な場所です。隅田川に面した日本IBM本社の南側、日本橋川が隅田川に注ぐ河口付近の歩道脇にあります。
 「銀行発祥の地」で書いたように、明治初期の日本の通貨・金融制度は混迷を極めていました。1871年の新貨条例で「円」を通貨単位とし、金本位制を導入してその安定に努めました。
 1872年には国立銀行条例を定め、金兌換券を発行できる民間銀行を設立させます。これを主導したのは伊藤博文(いとう ひろぶみ)や渋沢栄一(しぶさわ えいいち)ですが、彼らはアメリカの金融制度をお手本にしました。世界ではこの当時、アメリカ流の分権方式銀行制度とイギリスを中心とした欧州の中央銀行制度がありました。伊藤はアメリカ流を主張し、イギリス流を主張する大蔵官僚らに勝利します。
 しかし日本の経済力はまだ貧弱で、国立銀行条例に基づいてできた銀行はたったの4つ(のち5つ)で、紙幣発行額は少なく、とても経済の潤滑油になりませんでした。
 そこで政府は1976年に条例を改正し、同じ年に行われた旧武士階級の切り捨て政策、秩禄処分で発行した金禄公債を銀行の資本にすることを認め、不換紙幣の発行も認めるなどの規制緩和策を取ります。当面の金に困っていた旧士族階級はたちまち金禄公債を売り払い、その多くを銀行家が手にしました。
 すると相次いで153もの国立銀行が設立されますが、逆に紙幣発行額が増えすぎてインフレ気味になったところに、1877年に西南戦争が勃発、資金のない政府は不換紙幣を大量に発行してさらにインフレを招きます。
 この状態でも大蔵卿だった大隈重信(おおくま しげのぶ)は積極財政を維持しますが、1881年(明治14年)の政変で大隈が失脚。代わった大蔵卿の

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