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「尊農」(化学肥料創業記念碑、日産化学創業の地)

日本の食糧事情を案じ渋沢が設立

★ジャンル【産業】【企業】 
★場所 江東区大島1-2-26
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄住吉駅もしくは都営地下鉄西大島駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「先覚渋沢栄一益田孝等ノ諸氏ハ維新当初ニ於テ我カ国運ノ躍進ハ必スヤ人口ノ激増ヲ来シ食糧問題ハ実ニ邦家将来ノ緊要案件タルヘキヲ洞察シ農業ノ発達ト肥料ノ合理的施用トニ因リ之カ増収ヲ企図スヘキ堅キ決意ヲ為シ欧米ニ於ケル化学肥料ノ研鑽者タル高峰譲吉氏ノ協力ヲ得テ明治二十年初メテ此ノ地ニ東京人造肥料会社ヲ設立シ過燐酸肥料ノ製造ヲ開始セリ是レ我国ニ於ケル化学肥料製造ノ嚆矢ナリ 本事業ハ官民ノ協力二因リテ漸次進展シ後更ニ空中窒素固定工業ノ勃興スルニ及ヒ農業生産ノ飛躍的増収ニ絶大ナル貢献ヲ為スニ至レリ今ヤ曠古ノ非常時局ニ際会セルモ能ク一億国民ノ食糧ヲ確保シ前線銃後些カの憂ナキニ至リシハ蓋シ化学肥料ノ発達普及ニ負フモノ多シト謂フヘシ 同社ハ後ニ大日本人造肥料株式会社ト改称シ此ノ地ハ釜屋堀工場トナリシモ不幸大正十二年ノ関東大震災ニ壊滅シ爾来二十星霜ノ久シキ寂トシテ之ヲ顧ルモノナキヲ遺憾トシ茲ニ関係同志胥謀リ碑ヲ其ノ趾ニ建テテ由来ヲ刻シ永ク偉績ヲ顕彰スルト共ニ我国農業ノ興隆ヲ期シ以テ皇国ノ盛運ヲ奉頌ス」
副碑
「植物ガ栄養トスル肥料ノ成分ハ窒素燐酸加里ガ主デアッテ之ヲ三要素ト称ヘ窒素ハ主トシテ葉ヲ燐酸ハ果実ヲ加里ハ幹根ヲ形成スルモノデアル 肥料には古来動植物質ノ腐熟シタルモノヲ多ク用ヰタガ近代科学ノ発達ハ化学的ニ窒素燐酸加里ノ各肥料を多量且ツ廉価ニ生産スルコトニ成功シ是ニ依ツテ農作物等ノ収穫ハ画期的躍進ヲ見ルニ至ツタ 此ノ處一帯ハ実ニ我国化学肥料ノ先駆タル過燐酸石灰製造工業創始ノ地デアル」

★解説
 東京メトロ、都営地下鉄住吉駅と都営地下鉄西大島駅のほぼ中間、歩いて10分弱です。横十間堀川を大島橋が跨ぐ袂の釜屋堀公園内にあります。碑は「尊農」と言うタイトルと碑文の下に、豊かに実るイネ、ダイコン、カボチャ、サツマイモなどが描かれた台座があります。また少し離れて副碑と思われる碑もあります。そこには肥料の三大要素と言われる窒素、リン酸、カリの文字も描かれています。
 そしてまたまたまた渋沢栄一(しぶさわ えいいち)登場です。
 碑文を読むと、渋沢栄一と益田孝(ますだ たかし)が企画して高峰譲吉(たかみね じょうきち)に協力を依頼したという順番に読めますが、実際はどうもちがうようです。高峰は1884年にアメリカのニューオーリンズで開かれた万国工業博覧会に政府から派遣され、そこで化学肥料と出会い、サンプルを日本に送りました。これを試したところ効果が著しく、高峰は益田に日本での事業化を提案します。
 益田はさらに渋沢に相談し、渋沢は「人口増加が著しい今、農業生産の拡大は国家の盛衰に関わる」と賛同し、企業化を進めます。こうして1887年に東京人造肥料会社が設立され、高峰が社長となります。高峰は優秀な科学者であると同時に優れた企業家であり、アメリカで醸造業を成功させたり、ま

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