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和歌山藩徳川家下屋敷(旧芝離宮恩賜庭園)

大久保家から引き継いだ名園

55万石:(紀伊、伊勢、近江)
所在地:港区海岸1-4-1
最寄り駅:JR浜松町駅

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 この場所は幕末は紀州家の屋敷だが、その主は江戸時代通じてしばしば変わっている。現在に残る見事な庭園の姿は、元禄年間に大久保家によって作られた。立地的には埋立地と思われ、まず江戸時代初期に松山などを領した加藤嘉明に与えられ、続いて小田原藩大久保家に与えられた。大久保家は庭園を楽寿園と名付け、地元小田原の庭師に作庭させ、近隣の石が多用されている。しかし1818年、大久保忠真の時に屋敷は返上され、一時堀田家の屋敷となるも、すぐに幕府の御用屋敷となり、その後1823年に清水徳川家の屋敷となる。さらに1846年、紀州徳川家の屋敷となった。
 維新後、1871年に有栖川宮熾仁親王邸となるが、1875年に英照皇太后の「非常御立退所」として皇室用地となり、1876年に芝離宮とされた。さらに1891年には迎賓館を建設したが1923年の関東大震災で焼失し、1924年に昭和天皇の御成婚を記念して東京市に下賜され開園した。

1)園内の見どころ
 
 公開後、馬場が弓道場になったり、汐入の池が水質汚染で締め切られたりしたものの、震災による被害は復旧されている。入園料150円。

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