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「新田小学校発祥の地」

今は小中一貫校に生まれ変わる

★ジャンル【学校】
★場所 足立区新田1-1-18
★最寄駅 東京メトロ南北線王子神谷駅

★碑文
特になし

★解説
 王子神谷駅から国道122号を北に行き、環七を右に行って隅田川を渡ります。橋の左側たもとに降りると小さな墓地があります。その入り口に碑が建っています。この墓地は妙喜庵というお寺の墓地だったようですが、どうも現在は墓地のみのようです。
 新田小学校は、鹿浜小学校の分校として1883年にできました。当初は児童数わずか24人でした。
 新田地区は現在の荒川が開削されるまでは鹿浜地区の一部で、鹿浜の住人が開墾した新田、ということでこの地名になっています。現在は川で隔てられてかなり遠いですが、鹿浜小学校の分校だったのはそのような事情からです。
 戦前は水田が多い田園地帯で、生徒数は敗戦直前の段階でも140人程度の小さな小学校でした。資料はないのですが、おそらく戦後に学校は移転し、やはり環七ぞいの鹿浜橋たもとに移り、1948年には新田小学校として独立します。戦後は人口が急増し、生徒数は急増していったと思われます。
 長く続いた新田小学校ですが、2010年に新田中学校と合同して中高一貫の新田学園に生まれ変わります。学校は移転し、旧校地は新田学園のグラウンドになっています。また鹿浜小学校も2015年に上沼田小学校と統合して鹿浜五色桜小学校と

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