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「東京盲唖学校発祥の地、日本点字制定の地」(筑波大学附属視覚特別支援学校発祥の地)

画家、岸田劉生の父が始めた東京の盲学校

★ジャンル【学校】【社会】
★場所 中央区築地4-15-2 市場橋公園内
★最寄駅 東京メトロ日比谷線東銀座駅、都営大江戸線築地市場駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1879(明治12)年 ジョサイア・コンドル設計による校舎完成
 1880(明治13)年 楽善会訓盲院として開校
 1887(明治20)年 官立に移管 東京盲唖学校と改称
 1890(明治23)年 日本点字制定」

★解説
 旧築地市場前のかつての掘割を埋め立てた公園内にあります。校舎は碑を正面に見て右側の一角にありました。現在は高級料亭で芥川賞・直木賞の選考会が開かれる新喜楽や築地共栄会ビルのある広大な敷地です。碑は年表だけの変わったものです。碑は開校当時の校舎をかたどっており、。授業開始130年、点字制定120年に当たる2010年に建てられました。
 1875年(明治8年)5月、ジャーナリストの岸田吟香(きしだ ぎんこう)ら6人が集まって視覚障害者学校設立のための「楽善会」の発足決め、さらに翌年、前島密(まえじま ひそか)や山尾庸三(やまお ようぞう)といった政府要人も加わって、「楽善会訓盲院」の設立認可が下ります。当初の6人には他に津田仙(つだ せん、津田梅子の父)や古川正雄(ふるかわ まさお、慶應義塾初代塾長)、外国人のフォールズがいました。
 岸田はヘボンとともにかなのローマ字表記を考えるなどマルチな才能の持ち主でしたが、ヘボンは元々眼科医で、岸田の目の治療をしました。その縁で岸田は「楽膳堂」という薬局を銀座に開き、日本で初めての点眼式の目薬を売るなどして成功しています。視覚障害者教育への関心や「楽善会」という名はそうした縁と思われます。ちなみにヘボンは今普通に表記すれば「ヘップバーン」です。キャサリン・ヘップバーンは一族ではないかと言われています。
 岸田はなかなかユニークな人物です。もともとは美作(岡山県)の農民の

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