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鹿児島旅行記①~島津家墓参り編~

去る9月21日~23日の三連休、前の連休に引き続き今度は鹿児島へ行って来ました。あいだの四日間の平日、いっそ東京に帰らなくても良いのでは? と心の悪魔が囁いていたわけですが、繁忙期だったのでちゃんと帰って仕事をしました(当たり前である。)

鹿児島は初めて! おまけに今回は人と三日間の共同旅です。滅多にないことなのでソワソワとわくわく……メンバーは細川ファン(私)と大友ファン(友人1)と島津ファン(友人2)という、歴史好きが行く島津の旅と相成りました(笑)

今回のお空ベストショット。ソラシドエアは初めて利用しました! 丁度前の週に引き続き、台風17号が来るか……来ないか……というような空模様だったんですが、無事に飛行機も飛んでくれましたし、トータルとしては文句なしの日程となりました。

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そして一日目。
旅行前からどこに行こうか……という話を再三していた我々。やはりここは島津のお家元に行くのだから、その土地を回ろう、ということに自然となっていきました。そこで参考にしたのがこちら。

戦国島津氏に関する市内の史跡を巡る
(日置市ホームページ より)

こんなの作ってくれてるんですか日置市!? 歴史オタクに優しすぎる。漠然と行ってみたいねとは言いつつも、島津のお家にまつわる史跡やお墓、寺などはどうやら随分と山奥……山……ふもと……? というざっくりした認識しかなく、その上全員が土地勘ナシ。そこでこちらの情報が大変役に立ちました……本当に有難うございます……。このあたりを周ろう、となった時点で車移動が決定。レンタカーを予約して当日を迎えたわけですが。

結論:島津巡り、車があっても大変。

当日車内で出た名(迷)言 ↓
「島津の土地広すぎだよ!」
「こんな山城誰が攻めるの……? あっ島津か……」
「蛮族が過ぎる」(※褒めてます)
「このあたりが全部島津だったとか怖すぎる」
etc……

巡った場所の詳しい説明は、日置市ホームページさんが最も分かりやすく丁寧に解説してくださっているので(ある程度)割愛させていただき、場所のお写真と地名を記録しておきたいと思います。

【岩剣神社】
岩剣城(いわつるぎじょう)は鹿児島県姶良市平松にある中世城郭。標高210mの岩剣山頂にあり、山は剣の平(けんのひら)とも呼ばれています。島津義久、義弘、歳久の初陣の合戦が行われた城として、また、鉄砲が日本史上初めて実戦で使われた城として有名。この神社はその麓にあります。石橋は、境内鳥居前を流れる小川に、幕末の嘉永2年に架けられたもの。
岩剣城がなかなか落城しないのは、岩剣神社の加護があるからだとして、御神体を白銀坂にある島津氏の本陣に勧請して願を立てたところ、その夜のうちに城から敵勢が逃亡し落城したとの言い伝えもあります。

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【徳重神社(妙円寺跡)】
島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、その後義弘公を祭神とする徳重神社となりました。本堂まで行く時間がなく……御参りだけ。妙円寺詣り、来てみたいですねえ。

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【一宇治城跡】
第15代の太守・島津貴久がこの城を中心として薩摩・大隅の平定に力を尽くしました。山の上には館もあったそうで、子供の義久、義弘、歳久なども幼少期をここで過ごしました。

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【大乗寺跡】
島津15代太守・貴久の夫人・雪窓の建立によるもの。文禄4年(1595)に日置島津3代常久は初代・歳久の冥福のため、ここを日置島津家の菩提寺にしたといいます。

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【天昌寺跡】
日向佐土原城主・島津豊久が、関ヶ原の戦いで伯父の島津義弘を守って戦死した後、豊久の遺臣たちが永吉に移住し、豊久の墓をここに建てました。以後は永吉島津氏の代々の菩提寺になったそうです。

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【梅天寺跡】
永吉島津氏初代・島津家久の墓や五輪塔などが残っています。家久は、義久を筆頭とする島津四兄弟の四男。若年の頃より祖父・島津忠良から「軍法戦術に妙を得たり」と評され、頭角を表していったそうです。

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【多宝寺跡】
島津氏の分家であった伊作島津氏代々の菩提寺。歴代の領主(3代及び10代を除く)と夫人の墓があります。

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【伊作城跡】
城の縄張りは南九州特有の独立した曲輪による群郭式とも呼ばれる構造で、「亀丸城」「山之城」「東之城」「蔵之城」「西之城」などの曲輪がありました。(「本丸」とか「二の丸」とかじゃないんですね。)
現在城址は「憩いの森」という名の公園になっており、本丸にあたる亀丸城跡に城址碑が建てられています。遺構は多くないものの土塁や空掘を確認することができます。

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……はい、延々と巡ったところの写真だけアップしてましたが、よく一日でこれだけ周ったな! と褒めたいくらいです(笑)本当に、車がなければ絶対に無理でした……一つ一つの場所がけっこう離れているのもあり、公共の移動手段はほぼ皆無(電車はもちろん、途中でバスなどもあまり見なかった……)少なくとも「最寄り駅・停留所」とされるところからの移動距離はそこそこあったんじゃないかな……車で良かったと思います。

マジで山が深いんですよね!!!(何度も言う)

苔むしてるなんてよく言いますけど、むしてるレベルじゃないんですよ。びっしり隙間なく獣すら通ってないんじゃ? ってくらい自然の中にぽつんと残されているんです、どこも……枯れ葉が敷き詰められてて、足を踏み出したら五センチくらい土が沈むくらいふっかふかで、本気で誰も来てないの!? と驚きました……山が……深い……!

同時に、こんな山々の中に島津家のかつての居城があったり、日々を過ごした館や櫓、石垣があったのかと思うと感慨深くなりました。菩提寺となった寺の多くは明治の廃仏毀釈の際にかなりの数が打ち捨てられてしまったようなのですが、それでもこうして形が僅かでも残っていることに、この土地の人々の愛着と歴史を感じてしまいます。

台風が接近していたため、風がびゅんびゅんすごくて(いやもう本当にすごくて)途中山々の木々がぎっしぎっし揺れるものだから、かなり怖くてですね……(笑えない)カーナビさんがあくまでも山道を指し示しているものですから、最後は帰れるか非常に不安だったんですが無事に下山も住んで一日目のホテルへ行けました。朝から日が暮れるまで、がっつり周れたので良かった!

最後にこの日のお食事写真をお送りしてこの記録を閉じたいと思います。リーズナブル! 美味しい! 肉が美味いぞ薩摩!

徳重神社からほど近い定食屋さん【和食ダイニング 雅流】でランチ。こんなにボリューミーで1000円しなかったのだから驚きです……最高……

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一泊目のホテルで夜いただいたお夕飯。鶏飯初めて食べました!うま~~

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鹿児島の美味がたっぷり!
台風が押し迫る中、雨も降り出してきて夜が更けます……二日目へ続く。

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