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佐渡のトキの保護活動は無意味だった

トキが絶滅した原因について一般的には農薬による中毒や、農薬によってカエルや小魚などのエサが不足したからだと思われていますが、実は違います。

トキが絶滅た原因は農薬ではない
農薬やエサの不足が原因であるならば、トキと同じようなエサを食べているサギ類などの他の鳥も同じように数が減るはずですよね。しかし実際には、同じ餌を食べているサギ類は絶滅していないですよね。これって「農薬中毒やエサ不足でトキが絶滅した」という話とは辻褄が合いませんよね。

さらに、農薬やエサ不足が原因ではないとする理由はもう一つあります。ネット情報によると少なくとも1850年ごろからトキの個体数が急速に減少し、1900年代初頭の時点で、すでに危機的な状況となっていたそうです。その一方で日本で化学農薬が広く使用されるようになったのは1950年代以降です。農薬が絶滅の“とどめ”を刺した可能性は残るものの「農薬やエサ不足がトキ減少の主要な原因だ」という話は、前後関係からして矛盾しているのです。

本当の原因は少子化
「トキと同じものを食べていたのにサギは絶滅しなかった。その一方でトキは絶滅した。」この違いがどこから生じたのか色々と調べたところ、最も原因として疑わしいのが【少子化】です。

トキとサギの特徴の大きな違いとして、繁殖方法が挙げられます。トキは背の高い大木に巣を作るのに対して、サギは背の低い木(利用価値の低い木)に巣を作ります。つまり、建築資材として魅力的な大木が伐採されることで巣を作ることができなくなった。そして少子化で次世代が生まれないことで「群全体が老齢化して絶滅した」という理屈です。

環境破壊(森林伐採)はいつ頃から始まったのか
江戸時代に作られた記録によると1700年代の日本の人口は、飢饉や災害で一時的に減る事はあっても、ほぼ3千万人程度で安定していたようです。この時代は資源のほぼ全てを国内でまかなっていたので【人口 = 環境負荷の量】と考えて差し支えありません。

しかしその後、明治から昭和までの間に日本の人口は約4倍に膨れ上がります。その近代化していく過程で、エネルギー源や建築資材として大量の木が伐採されました。そして不足分は戦争や輸入によって確保を図りました。当時の先進国はどこも似たようなことをしていたようで、その結果として2度の世界大戦につながるわけです。また戦中〜戦後にかけては、復興住宅の材料として木材の需要がさらに高まりました。

つまり
①急速な近代化の過程で資源の需要が高まる→
②輸入を増やすために戦争をする→
③戦争をするも戦況の悪化により、さらに国内の資源を消費する→
④戦争復興として国内資源の浪費に拍車がかかる

このような理由から、戦中から戦後にかけて日本の山は大部分がハゲ山の状態となっていたそうです。

棚田って 実はそんなに古くない
棚田や段々畑の作り方を簡単にいうと
①斜面の表面にある柔らかい土を移動する
②表土の下にある岩を砕いたり、岩石を撤去する
③撤去した岩石で斜面の下側に石組みを作る
④石組みの内側に撤去した岩石を敷き詰めて平らに整地する
⑤最初に撤去した柔らかい表土を、整地したところへ戻す

:これ等の重労働を全て手作業で行う必要があるのです。

棚田や段々畑の開発には多大なコストがかかることが想像できますね。この話を踏まえたうえで、全国各地にある棚田や段々畑を眺めていると「何故あんなに開拓コストのかかる急傾斜地に田畑を作ったのか?作る必要があったのか?」という疑問が沸いてきますよね。じつは有名な棚田について調べてみると、明治以降に開拓されていたり、江戸時代からある古い棚田は一部分で、その他の部分は明治以降に新しく拡張されているような所が多いそうです。

先ほどの「1700年代の日本の人口は、ほぼ3千万人で安定していた」という話に戻ります。これはつまり【開発コスト > リターン(資源の価格)】の状態となって、山間部や急傾斜地のような開発コストの高い土地の開発は後回しになっていたということです。そして、明治以降の急激な人口増加により【開発コスト < リターン(資源価格)】の状態となったことで森林伐採が進行したのです。

トキ・棚田・棚田米・自然保護・日本の原風景の意味わかってる?
「トキ・棚田・棚田米・自然保護・日本の原風景」これらのキーワードを絡めた、地域おこし活動や農産物の販売などはネットに限らず新聞やテレビでもよく見ますよね。でもそれって本当にトキの保護や日本の原風景につながっているといえますか???

棚田や段々畑の開拓には多大な労力が必要です。普通に考えて、自分が人力で農地の開拓をするなら「河川のすぐ近くにある土砂が堆積したような平坦地」から開拓しますよね。その一方で傾斜地を棚田にするのは後回しにしますよね。

つまり「明治以降の人口増加、近代化の中での食糧増産、戦時下での食糧増産」という意味での【歴史的な遺構】としては価値があると思います。しかし、日本の原風景としてふさわしいのは棚田ではなく平地にあるありふれた水田の方であり、自然保護・トキの保護という意味においても棚田は不適当なんです。

佐渡の人達が長年やってきたトキ保護活動は、たぶん無意味だった
ここまで説明してきたように、トキが減ったのは農薬中毒でもエサ不足でもなく【森林伐採や乱開発によって巣を作れる巨木の減少 = 少子化】と思われます。その一方で佐渡の人達が行ってきた
保護活動は「エサ撒き・米の有機栽培」などのエサ不足対策が中心です。

つまり
トキ減少の原因(少子化)と対策(餓死させない)はズレている。

近年では野生下での営巣や繁殖が確認されるようになってきましたが、これは戦後70年以上もたったことでトキが巣を作れるほどの巨木が育ってきたからであって、佐渡の人たちが有機栽培米で「生き物の多い田んぼ」を増やしたからではない。努力とは無関係に「時間が解決した」ということなんです。

トキ保護活動の問題点
ここまで書いてきたようにトキ絶滅から得られる教訓としては「原因を確認せずに、思い込みやイメージだけで突っ走った結果、本当の原因が後回しになって最悪の結果を招いた」といえると思います。現在でもトキの保護活動を呼びかける団体や、米農家のホームページを見ると「タニシやカエルなどの小動物の多い棚田を維持することはトキの保護身つながる」という説明をされています。

でも何度も言うようにトキが減った原因は農薬でも飢え死でもありません。なので、保護団体の方は無知&環境保護というオカルト宗教、有機農家は無知&トキ保護に便乗した軽薄なビジネスと思って差し支えないと思います。

そして、もう一つ私が気になっているのが、学校で行われる環境保護に関する教育です。残念ながらいまだに「トキは農薬で死んだ、エサ不足で死んだ」という間違った知識を前提にした教育が行われているようです。そして「原因を確認せずに、思い込みやイメージだけで突っ走った結果、本当の原因が後回しになって最悪の結果を招いた」という教訓が生かされていないということです。

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