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日本史中毒&占い狂人が考察~姓名判断を用いて武田信玄の死去地と偏り癖を暴く~

自己紹介

偏屈強情マニア性格の貧乏性で知能は小学校三年生!

「見た目は大人!頭脳はこども!迷探偵ご飯!モグモグ!」

のフラフラの遠回り人生の占い師です

人生失敗ばかりなので歴史人物から世の中を考察して難を避ける事を念頭に日頃から占いを使い倒して過ごしております



前書き

よく解っているようで本当のところは結局良く解らないのが歴史の人物

科学的な見方や分析家から古文書を解読して

「きっとこうだろう」

とは推測出来るものの謎の部分はとても多いです

姓名判断で解き明かせるのかについて係数計算で真相に迫ってみました

 

今回は戦国時代で一番天下に近いとされ惜しくも天下統一ならずの戦国最強と謳われた甲斐の虎

武田信玄についての姓名判断で隠れた癖や思考回路、死因について割り出しについてこの度お伝えします

 

武田信玄という名前は法名であって、姓名判断の原理原則として戸籍名を使いますので、武田晴信で鑑定致します

甲斐武田氏は源氏であり源晴信とするのが正しいという意見もありますが、彼の数代前は既に「武田」という姓を名乗って使用していたので、書簡も武田ですから源晴信ではなく武田晴信を採用します

 

武田信玄の死因の定説


晴信の死因は

①日本住血吸虫

②胃癌、食道癌

③鉄砲傷の悪化

④肺結核

⑤毒殺

と言われて今もまだはっきり解明しておりません

 

①は彼の腹部が盛り上がっており症状からほぼ病んでいたと確定して考えられておりますがそれが直接の死因と言えるかは謎です

 

日本住血吸虫は昭和時代まで山梨県に多い疾患で富士川系統の甲府一帯は国内最大の感染地域であり、特に河川域の地区の女性を嫁に迎えるなという差別もありました

 

河川のミヤイリ貝が原因で泥沼に潜み感染すると腹部が盛り上がる為に特に女子は一見で不貞や貞操観念を疑われ実は非常に厄介な風土病であったのです

 

晴信も武家の男子ですから武道必須教科の水泳はしていたと思われますから感染してもおかしくはないです

 

②は亡くなる数日前に口の中がただれ、歯がボロボロと抜けた症状から推測されておりこちらも根強い説です

 

③について、晴信は笛の嗜みがあり、野田城攻めの時に敵方に笛の名人がいてついついその敵方の笛の音色に聞き惚れて城壁に近寄った所を狙撃されその傷が元で亡くなったという説もあり、狙撃地点まで「伝承」として今に伝えられております


 狙撃側は「晴信を狙撃したら武田陣中が騒がしくなった」とだけの記載なので確実なる根拠とは言えない状況です

 武田側は狙撃後の死亡を否定しております

④若年期から肺を煩い京都から肺病に効く薬草を手に入れており、しばしば喀血もあった様子で、体調が悪い時期は出陣が延期になっていたのはこの肺結核と言われておりますが、晴信自身は温泉入浴が好きであり、肺結核持ちならば温泉は良くない治療のハズで、当時の医師も解っていたハズですがこれもまた直接の死因となるのかについて疑問の余地があります

 

⑤晴信は恰幅が良く健康そうなイメージですが、実は若い頃から病弱で常に服薬をしており、薬は沢山持っており織田のスパイが毒薬をすり替えて暗殺という説もありますが根拠が無いために空想の話になります

 

死去地すら不明


三方ヶ原の戦いでは徳川家康に圧勝し、その後の軍の動きが停止していた時期がありその時に重体に陥っていたと軍事行動記録から考えられております

 

死去地として考えられているのは

①駒場

②浪合

③海上の森

④根羽

等があり三方ヶ原の戦いから長野へ北上のルート上にいくつか死去地の噂は集中しておりますがその代表地が駒場です

 

現時点では通説は①駒場となっておりますがそこも確たる証拠に乏しいながらも一番推測として確率が高いながら、その反面、軍の行動ルートと伝承からの割り出しにすぎません

 

定説の北上ルートと全く違う③海上の森は晴信側室の茜の墓があり、伝承では晴信が息を引き取った後に茜が自害したと伝えられており、火葬の後も発掘されておりますが万博によって整備されるという事態があり、開発を免れたか開発によって濃厚な痕跡が現在も残っているかについて筆者はそこまで知りません。万博当時に新聞に載り話題となっておりました

 

その他に合戦場跡地の兵隊の塚が晴信の火葬ポイントという伝承の地域もある様子でまだまだ候補は伝承だけで数多くあります

 

「法衣が出土した」

「火葬の痕跡がある」

という話はあちらこちらに散見され、武田軍の動きが不自然すぎる為に晴信の死を隠し通せない為に、敵国のスパイを気にして幾つもそれらしい場所を匂わせて、死亡説が沢山出ているけどどれも根拠がないから生存しているという事を表面化して情報攪乱を狙っていた等とも言われております

 

晴信の死は真偽不明として各地に痕跡を敢えて残して領国では顔がそっくりの弟信廉をメインに影武者を使い、死亡はデマ騒ぎという事を画策していたのかもしれません

 

姓名判断では健康運、社会運、性格、結婚などが鑑定可能ですが死去地を割り出す事は難しいです

 

今回は姓名判断に補助として気学で方位を取り死去地の候補までを占いの観点で解き明かしたいと思います

 

①武田晴信の全体イメージ

②何故跡取りは四男勝頼なのか

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