見出し画像

しあわせの頂点なんてなかったと気づいた話【CRAZYPEEPSカルチャー合宿】

今回、株式会社CRAZYが運営する、CRAZYPEEPSという一切利害関係のないメンバーが集まったコミュニティ(?)の1泊2日の人生に向き合う合宿(!?)に行ってきた。そして終わった。自分で言ってて意味わかんないけど、今日から生きるのがめちゃくちゃもっとワクワクしてしまったので、とりあえず記録しておくことにしました。

1日半の合宿を通して、わたしはしあわせの頂点を自分で決めていたことにきづいた。
なんか昔から「満足」という感情になると、その1秒後には「恐い」という気持ちを感じていた。それが普通だと思っていた。

・アイドルを家で見れて満足→「ライブいかないの?」→会うなんてとんでもない!
・2つケーキ食べて満足→「もう1ついる?」→(食べれるけど)もう十分です!
・ディズニーランド来て満足→「ごはんはディズニーのレストランで食べる?」→ワゴンで売ってるチュロスとかでいいよ!

それは、しあわせメーターとかグラフとかがあるとしたら、上限を無意識につくっていた。これ以上上にはいけないと感じると、「あとは必ず落ちる」という恐怖があるから、その気持ちに耐えるため、「しあわせと感じたらあとは落ちるもの」として保険をかけるのが癖になっていた。(むしろ些細なことですぐなんにでもしあわせで満たせられることが特技と思っていた)

そうではなくて、しあわせは、人生のしあわせの壺みたいのに、できる限りたくさん入れていくものだと気づいた。

そこで、やりたいことを思いついたものをたくさんあげてみて、簡単に10個も書けてしまった。そして気づいた。全部に「お金」が必要だと……。

わたしは昔から貧乏性で、お金を使えなかった。というか無理なく使わなくて済む人だと思っていた。それは、しあわせに上限を決めていたからだった。

もちろん好きな人たちと話すだけでしあわせだし、お金がかからずしあわせを感じることはいっぱいあるけど、お金を払わないと経験できないこともいっぱいある。

「お金がかけてまでは大丈夫です🖐️」と壁をつくっていた。

だからわたしはお金を稼ぐことにものすごく興味がなかったんだと気がついた。

会社で働いていたときも、フリーランスを始めても、最低限生きれればOKだから、自分のつくるものの値段を低くすることになんとも思わなかった。

でもこれからは違う。

お金は、わたしがもっとしあわせを感じるための道具で、土掘るのに手で掘ってたらきりがないように、道具をつかって、もっと、もっと、しあわせ感じていいんだよね!あれ…なんか超ときめき宣伝部のこの曲が頭に流れてきた….

「お金」があるからしあわせになるとは限らない。でも、もっと楽しい景色をみるためには「お金」が必要なときがある。しあわせになれる環境づくりのために「お金」は必要なんだ。いい絵や歌詞が思いついたときに目の前に紙がなくて残せなかったらそのまま消える。道具を用意しておかないと、あの名曲も名画も生まれないんだよなぁ。

「しあわせ」の頂点がなくなったら、はじめて「お金」を丁寧に扱おうという気持ちが生まれた。お金、今まで雑に扱ってごめんね。丁寧に対価を払いあおう。
丁寧に大切にお金を生み出して、しあわせのために使っていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?