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掌握小説「憧れ」

あなたにもこんな気持ちになる人が誰かいるだろうか?
会うだけで胸が高鳴るようなそんな人が。

登校時間より1時間は早く着く電車に私は毎回、乗っている。
特段、早起きが得意なわけではない。
実際は一日中、欠伸が止まらない日もしばしばだ。
それでも私は少し早く学校に行きたい理由があった。
いつも通りに朝早い電車に乗り込んだ私は、電車の進行方向に横長に伸びる席の隅っこに腰を下ろす。
すると、私に付いて隣に座る影があった。
「おはよ!」
「あ、おはよう」
同じクラスメイトの花織ちゃんだ。
「梨沙ちゃん、こんなに朝早くにどうしたの?」
「うーん、早く行った方が勉強が捗るかなって思って」
私の適当な嘘に、素直に納得した花織ちゃんははにかんだ笑顔で答えた。
「梨沙ちゃんって勉強熱心だね」
こういう明るくて純朴な性格の彼女だからこそ、入学当初、いち早く内気な私に声をかけてくれたのだ。彼女の天真爛漫さはまるで私にとって太陽だった。
「そんなことないよ……」
つい私は悪いことをしているようで、俯き加減で答える。そんな私の様子を気にして花織ちゃんは答えた。
「大丈夫?もしかしてどこか具合が悪いの?」
「全然」
首を振って彼女の心配を否定した時、次の駅に電車は着いた。開いた扉から数人の男子高校生が騒がしく入ってくる。
早朝の静けさを蹴散らすかのような笑い声だ。
私はその高校生の中に、彼の顔を見た。
その瞬間、目の瞳孔が自分でも驚くほど開いてしまうことを私は知っている。
心なしか胸の鼓動が高鳴るのを感じた。つい、私は胸に手を当てた。
その様子を隣で繁々と眺めていた花織ちゃんは、私をじっくり観察した後に不思議そうに聞いた。
「あの人が好きなの?」
私はさらに瞳孔を開いた。
「え!?いや、そんなこと……」

ガシャン

取り乱した拍子に膝に載せていた鞄を落としてしまった。その途端、彼は集団の中からいち早く私の元に来ると、鞄を軽々と拾い上げ、私の膝に載せ直した。
「気をつけなよ」
「あ、ありがとうございます」
笑顔を向けた後、去っていく彼の背中を二人で見つめた。
「いいなあ、素敵な人」
「花織ちゃんも彼氏いるじゃない?」
中学校から一緒の男の子らしいと他の友達から聞いた。花織ちゃんは少しはにかんで答えた。
「うーん、ずっと一緒の幼なじみで、向こうが私を好きになってくれたから付き合っている感じかな」
「えっと、それって……」
本当は好きではないってことなのかな。
「いや、好きだよ。でも、憧れるって訳じゃなくてただなんとなく一緒にいていいかなって思ってるだけ」
花織ちゃんは私の心が読めるのか?
大事な友達である花織ちゃんを見つめると花織ちゃんは言った。
「だって梨沙ちゃん、なんとなく思っていることがわかっちゃうんだもん!」
「そ、そんなにわかりやすい!?」
私は自分を指差して驚いた声で言うと、花織ちゃんはこくりと頷いた。そんなにわかりやすいのかな。素直な自分がどこかバカバカしくなる。
「でも、それが梨沙ちゃんの良いところだから。だからさ、先輩に連絡先聞いてきたら?」
花織ちゃんの声にどきりとする。
「え?へ?れ、連絡先!?」
「そうだよ。今、聞かなきゃ、いつ聞くの?」
「そ、そうだよね」
私は自身の憧れを叶えようと立ち上がった。隣の花織ちゃんは両手を握りしめて私の行く末を見守ってくれている。
私は彼の手が届く手前まで歩いていった。
「あの……先輩」
私の存在に気がついた先輩は振り返るとびっくりしたように私を見た。
「あの、先輩、さっきはありがとうございました」
「あ、さっきのことね!声をかけられると思ってなかったからびっくりした」
「先輩、良かったら……」
「え、和馬、その人誰?」
私は先輩の顔しか見れていなかったけれども、隣の車列から移動してきたらしい女子高生が私と先輩の横に立っていた。
「ああ、里帆か。今日はまた電車乗り過ごしたのかと思ってた」
「あ」
私は不意に声が出た。先輩は、彼女の可愛らしい手に触れて握りしめたからだ。
「あ、そういえば君なんだっけ?」
「いえ、別になんでもないです」
私は、頑張って笑顔を作ると、そのまま踵を返した。
電車の座席に戻ろうとする香織ちゃんの瞳が悲しそうに私を見ている。
私は静かに笑うと、涙がそっと頬を伝った。

叶わない恋はたくさんある。
それでもやっぱり私は憧れがいい。悲しかったけれどもそう思った。
私は香織ちゃんみたいに器用じゃないから。

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