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令和三年 断捨離を極めたい

長い間、noteの更新が滞ってしまった。
去年の暮れ前くらいから何も書くことができなくなった。
一応、小説は少しずつ書き進めてはいたけれども、書くということはなかなか思うように進まなかった。書くということが僕にとって好きなことのはずなのに、なんだかその行動に意味があるのかをすごく問うていた時期だったと思う。それに加えて「生きる」ということ自体にも何か疑念を感じていた日々だった。


そんな苦しい去年には、僕には大きく二つの学びがあったと思う。
一つは、多分誰しもが今もずっと直面しているコロナの存在がある。
コロナが流行り始めた時、あまりの環境の変化に体調を崩した。
幸いにもコロナにかかった訳でもなく今を迎えられているけれども、それでも対策に追われることへの窮屈さ、いつ自分が罹ってしまうのではないかという不安に駆られながら過ごしたとても大変な一年だったと思う。
その年の中で、僕は僕がいる地点での見え方に過ぎないけれども、世界や日本やそして自分の周りが、以下にいろいろな矛盾?問題?欺瞞?、そういったろいろなものが至る所に散乱しているにもかかわらず、それをただ見て見ぬフリをするしかない日常があるのだという一旦を回見えた気がした一年だった。

そして、もう一つは、誰も頼りにはならないし、たとえ誰かが自分に何かこうしなければならないということを言ったとしてもそれは100%信じるには決定的な根拠がありさえしないかぎり、値しないということだ。
これからは昔はこうだったから僕もこうしなきゃいけないという先輩や先人たちの知恵を全て受け入れてはいという訳にはいかないなと感じた。
先人たちが経験したものとは遥かに何か違う世界が今のこれからの年月を作り始め出しているのだから。

その二つを踏まえて、僕は今年、今ある自分が信じることを武器に、30歳の手前を迎える僕の人生に立ち向かい、今に慢心せずに新しい扉を開きたいという目標を持つことにしている。

そのためには、今まできっと優しい人であることが、世の中ではいい人だと信じて疑わない自分がいたし、その自分を大事にしたいからこその今までの自分の苦しみがあったように思う。

でも誰もがきっとわかり切っているし、わかっていなかったのは僕だけだと思うけれども、優しさだけが正義とは限らないんだという気付きは僕の中で一番、去年感じた結論だった。

最近はずっとamazarashiというバンドが好きで、自分の励みのためによく仕事前に聞いていたりする。
amazarashiの曲で去年、発表した楽曲に「ボイコット」というアルバムがある。僕はそのアルバムの曲を聞いた時のインパクトがすごく大きかったし、その言葉一つ一つに支えられたことが多かった。
拒否という概念は僕の中ではあまり今までなかった。
だからこそ、これからは相手を受け入れるということも大事だけど、相手との距離と一線を置くという拒否ということを大事にしたいと感じ始めることができた。

その上で、僕が今年、大事にしたいのは『断捨離』だ。
去年、コロナ下で散々やった方も多いだろうが、僕は小売という世界に身を置いていたせいか、あまりそういう機会よりも日々をどうにか回して日々を過ごすことで精一杯だった。
だからこそ、本当に仕事も趣味も生活の日々も全てが受け入れるや取り入れることで自分をどうにか成長をしていきたいという思いが強かった。

でも今年はそういうことに見切りをつけていきたい。
今までは本当にいろいろなことを抱え過ぎた気がする。
僕というキャパシティはそんなに大きくはないことを知った。
だからこそ余分な部分を削ぎ落としてこそ、成長できる。
そういう年でありたい。
何か僕の中にあるものや、僕に降りかかってくるもの、僕を形作るもの、全てをぶっ壊していくことで新しい世界を受け入れる準備をしていきたいし、新しく変わっていきたい。

そういう一年を作っていけるようにこのnoteも新しく作っていきたいと思っている。20代最後の反撃の狼煙を上げていくべく!!

1ヶ月遅れになりましたが本年も、よろしくお願い致します。


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