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だから私は今日も忘れる

「私もね、あの子のことを忘れていくんよ。あんなに可愛かったのにね」



毎週楽しみにしていたドラマが最終回を迎えた。

このセリフは息子を亡くした母親が、息子の墓の前で呟いた言葉だ。



私はなんとなくこの言葉に違和感を覚えた。

恐らくドラマの中の母親は、息子を「忘れる」という行為に罪悪感を抱いていたのではないかと思う。この母親に限らず、多くの人は故人を「忘れる」ことに少なからず罪悪感を抱くように思う。だが、「忘れる」ということは本当に悪いことなのだろうか。



今の私は「忘れる」ことは悪いどころか、むしろ、人間が人間らしく幸せに生きていくためには必要不可欠な力だと思っている。とはいえ、私もつい半年ほど前までは忘れていく自分に戸惑いを隠せなかった。



私の母は2014年の9月に亡くなった。

今年の9月で亡くなって3年経つことになる。でも私の中では、もっと何十年も昔の出来事のような感覚だ。

1周忌を迎えるくらいまでは本当に苦しかった。

あまりに突然すぎたこともあり、亡くなってすぐは実感がなかったが、四十九日あたりから一気に喪失感が襲ってきた。



そこからは毎日毎日暗いトンネルの中をひたすら歩き続けているようだった。

本当につらかった。一体いつトンネルの外に出られるのか、見当もつかない。一筋の光も見えない、長くどこまでも続く道のりに、途方に暮れた。もう一生ここから抜け出せないのかなとさえ思っていた。



そんな中、我ながらよくやったと思うのは、絶望の中でも、自分の感情と向き合い、歩くのをやめなかったことだ。もちろん途中で立ち止まったことも何度となくあったが、少しずつでも前に歩を進め続けた。



そうして諦めずに前に進み続けた結果、3回忌を迎える頃には、すっかりトンネルから抜け出していた。

それと同時に気がついたことは、母を亡くした喪失感をほとんど感じなくなっていたことだ。



私は困惑した。

なんと薄情な人間だろうと自分を責めた。あんなにつらく、悲しかったことを忘れるなんて、私には感情がないんじゃないかとも思った。

だが、喪失感なんて感じようと思って感じられるものでもないし、自分をいくら責めたところで、どうしようもない。



それでも自分を責めて責めて、悩みに悩んで、ある日ふと気がついた。

喪失感はいきなり消えたわけではない。

真っ暗なトンネルの中にいた時、喪失感や悲しみや後悔といった辛い感情に押しつぶされそうになりながら、その感情一つ一つと向き合い、消化していった。



その度に一歩前に進み、また感情と向き合い、消化して……ということを繰り返して、やっとトンネルの外へ出られたのだ。

喪失感を感じなくなったのは、その感情と向き合い、消化したからであり、そうしなければ私はトンネルの外に出られなかったのだ。



人生には、食べ物と同じく、甘かったり、苦かったり、柔らかかったり、固かったりと色々な経験がある。

それを一つ一つ咀嚼して消化する。それをして初めて次の経験を受け入れることができる。



苦いものはあまり咀嚼したくないと思うかもしれない。

固いものは消化するのに時間がかかるかもしれない。

でも、苦いもの、固いものからしか得られない栄養もある。



甘くて柔らかいものばかり食べていれば楽だけれど、栄養のバランスは偏ってしまう。バランスよく栄養を摂取してこそ、元気よく幸せに生きていくことができるのだ。



「忘れる」ということは、人生で経験したことを消化することなのではないだろうか。

つらいこと、苦しいことを十分に咀嚼して、向き合ったら、それを消化して忘れていく。そして、また新しい経験をする。それを繰り返して私たちは成長していくのではないだろうか。



つらい、苦しい感情を咀嚼せずに消化もしなかったら、私たちは多分生きていけない。消化しなければ生きていくためのエネルギーも得られないし、新しい経験を受け入れるだけのスペースもないからだ。だからきっと「忘れる」ことは人間が生きていくために本能的に身につけている大切な力なのだと思う。



私は母の記憶を捨てたわけではなく、あの辛かった感情ごと咀嚼して、消化して、私の中に吸収したのだ。だから母は私の中で生き続けているのだと今では思っている。



大切な人を亡くした時、私たちは一度絶望のどん底に叩き落とされる。だけどそれでも、そこから這い上がる力を人間は持っている。もちろん時間はかかるけれど、必ずそこから出て、前に進むことはできるのだ。



それなのにその力を使わずに、悲しみに暮れてどん底にい続けることを故人が望むだろうか? 私はそうは思えない。

私たちが幸せに自分の人生を生きていることこそ故人への一番の弔いになると思うのだ。



だから私は今日も忘れる。新しい一歩を踏み出すために。

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